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序章. 篝火
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 篝火だ。

 岩だらけの急斜面にごつごつと根を張ったたくましい木々に、山はうっそうと被われている。針葉樹の森だろうか? 数百年の間黙々と生き続けてきた老齢な松や、杉の巨木。
 下生えの潅木の間を、湿った木の葉や枝を踏みしめて、抜けて行く足音がある。まだ雪の残る危険な岩肌を、もう日も落ちた薄暗がりの中を、若々しくまるで走るように渡ってゆく。やがて枝の隙間からちらちらと漏れ見えてくる灯り。木々を切り開いて作った広場から、熱を帯びた生き物達の気配が漂ってくる。
 ほっとして、彼は足どりを緩める。祭りの音楽はまだ聞こえてこない。間に合ったのだ。神卸(かみおろし)が始まる前に、一杯の果実酒をあおるくらいの暇はありそうだった。最後の枝を両手で払うと、いきなり瞳に飛び込んでくる炎の眩しさに----彼はしばし目を細めた。
 切り株に座っていた友が、笑って彼に呼びかける。
「遅かったじゃねぇかよ」
 友の差し出す木の杯を、彼は黙って受け取った。


 始めに、篝火があった。
 どんなときにも、四季を彩る華やかな宴にも、夢見心地の婚礼の席にも、そして死者を送る静かな夕べにも、そこには常に篝火が焚かれ、生ける者は皆手を伸ばし、孤独な慰めをその温もりから得るために、群れ集った。彼等の中心にはいつもその炎があった。これは、ある意味では篝火を巡る物語だ。寂しさを知る、それ故に憧れを知る者達が寄り添い、また離れて行くための、その神託としての灯火。その周りに咲いては散った憧れの物語だ。だから、まず想い浮かべて欲しい----山を覆う木々の中にぽつりと咲く広場。炎の勢いは留まるところを知らない。彼らはこれから始まる狂乱への期待に溢れ、瞳にその炎を写し取りながら、山と積まれた薪木を、盃ごとの酒を、次々と炎の中に投げる。立ち上る炎が今宵は天まで届けと。雪よ早く消えろ。やがて山は緑に萌える。月が昇る。夜はまだ長い。

 味わう間もなく飲み干した杯を、彼は周りの大人達に倣って炎へと投げた。そして弦の調律にも飽き、旋律のかけらを広場にちりばめ始めた楽士達をからかいに立ち上がる。今宵初めての踊りは誰を誘う? さっきから赤の長女が誘うような視線をよこしている。燃えるような赤い髪が暗がりに浮かび上がる。
 その昔、光あれ、と暗黒に始めの炎を灯したのが誰であったのか、彼は知らなかった。だが空を巡る星々の中心に、小さな羽を震わせて頼りなく飛び交う虫達の目指すところに、その灯火は常にあった。それが誰であったのか----彼は確かに灯したのだ。あらゆる生き物達の胸の内に、憧れという名の、小さな光を。
 暗い森を抜けて彼の歩む先に、いつもその光が確かにあった。


 篝火だ。
 そして、再生の祭りが始まる。
 そこから、全ては始まる。
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