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II. 真白 <マシロ>
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 細い崖の道を、早足で登って行く姿がある。
 尖った耳と細い光彩で猫族の血は明らかだが、初めて会った者はいつも彼の血統を不思議そうに聞いてくるのが常だ。その銀の髪のせいで。だから彼は生まれた時に真白、と名付けられた。

 真白の家は、薬師(くすし)だった。薬師は世襲ではあったが族名は持たず、雑種とみなされていた。両親、親族共に皆、いかにも雑種らしい亜麻色の髪と目をしていた。真白だけが、輝く銀の髪を持ち、色の薄い瞳の光彩は赤みを帯びていた。

 薬師である父親にもその理由は解らなかった。銀の髪を持つ猫は彼の他にいない。可北(カホク)の山に住む春草の一族は、金の髪と緑の目を必要以上に誇りとしていたが、その薄い金の髪とも、真白の銀髪は全く異なっていた。
 ただ、廣瀬の流れを越えた平原のはるか東、そこに巨大な城壁を張り巡らせて住む「人間」の中には銀の髪を持つ者がいるとも聞く。だから、真白には人間の血が流れている、と陰口を叩く者もあった。昔、人間と猫との間には大きな抗争があったらしく、父親よりも上の世代は人間を忌み嫌っている。人間の血が流れているというのは猫の間では侮蔑の言葉に他ならなかったが、真白はあまり気にしていなかった。

 そもそも真白は人間を見たことがない。耳と目の他は猫と同じような姿をしている、と老猫達から聞いたことはあった。だが、野の動物達と戦う力も無く、石の壁に閉じ籠って生きているそんな弱々しい生き物に、真白達若猫は興味を示さなかった。
 それに彼は、今となっては薬師のたった一人の息子だ。父の後を嗣いで早く一人前の薬師になろうと勉強を重ねている彼には、そんな陰口にかまけている暇は無かった。

 本来であれば父の後を継いでいた筈の真白の二人の兄は、四年前、可南と可北が交えた戦で揃って命を落としていた。
 薬師の息子までを駆り出す程に、当時の戦は激しく、多くの大人猫、若猫が犠牲になった。期待をかけていた長男、次男までもを亡くした父は一気に老け込み、家に閉じ籠りがちになった。それからというもの、本来ならまだ見習いで、他の若猫と一緒に遊び歩いている筈の年齢である真白が、既に薬師筆頭として可南可北を問わず、猫の部落を忙しく駆け回っているのだった。
 戦で数が減ったとは言え、猫族の全てをたった一人の薬師で面倒を見るのはさすがに至難の業であったが、幸いな事に「みそっかす」真白はなかなか賢い子猫であった。ふさぎがちになった父親にハッパをかけて仕事をさせるのも、今や彼の役割だった。


 口笛で合図を送ってから、奥の小屋に呼びかける。
「剣っ、いるか?」
 まだ眠そうな目を擦り、剣が小屋から這い出してきた。
「真白〜、いやに早いな。まだ夜明け前だぜ」
 剣と真白は同年だった。細身だが長身の剣と並ぶと真白はいささか弱々し気にも見える。だがその銀の髪に惑わされ、彼をなめてかかった者は、キレのある短刀の刃さばきでひどい目に合わされる事を剣は知っていた。
「悪い。これから可北に行かなきゃいけないんだ。ナギの実があるって?」
「ああ、頼むよ。家で間に合わせに煎じて使ったんだけど、あんまり利かなくて」
「ナギは煎じただけじゃダメなんだよ。薬にして、明日また届けてやるよ」
「助かる。……あーあ、すっかり目が覚めちまった。可北に行くって?」
「ああ。一緒に行かないか?」
「そおだなァ……」
「あっちは今、銀木犀がキレイだぜ。簓、好きだろ」
「……天気良くなりそうだもんな。丁度いい遠乗りだ。馬小屋まで付き合ってくれよ」
「いいよ。俺の馬も、崖下に繋いである」

 可南と可北は、間に二つの丘を挟んでいるだけだ。馬を使えば一日で往復出来る。
 二人が馬を並べて走らせる頃には、朝日が秋の山肌に照り映えていた。山育ちの馬達は、多少の傾斜や岩はものともせず森の中を駆け抜けて行く。猫社会では馬はなかなかの貴重品ではあったが、薬師の家は財に困ることはない。そもそも広い丘陵地帯を駆け回る薬師には、必需品でもあった。

「簓、悪いの?」
「いつもの熱だよ……でも、ちょっと長かったから」
「秋祭で神卸したばかりだもんな。でも、今年は雪が遅いみたいで、良かった」
「去年は降ったよなあ。雪降ってからの狩りはキツいんだ」
「何言ってんだよ……お前ン家じゃ、自分で狩りする必要なんて無いくせに。趣味だろ」
「まアね。好きなのは認める」
「それに比べてコッチは生活掛かってるんだぜ。去年は苦労したよ。春も遅くて。薬草切らしちゃってさ」
「雪ン中這いずり回ってたもんなお前」

 可北の山は、可南に比べて高さもなく、傾斜も緩い。平地に近い道を馬達はいかにも楽しそうに走り抜けて行く。やがて森を抜け、春草の部落が遠く見えて来た。質素な木の小屋の多い可南とは異なり、色の付いた石で出来た可北の家々は、豊かさを誇るように広く、花や彫刻で飾り立ててある。

「相変わらず、ハデハデしいったら」
 横を向いて呟いた剣に、真白は笑った。
「剣も春草嫌いか」
「……ナンか気取っちゃってよ」
「まあね、猫族の中じゃ歴史は古いんだ。本当に純血を保ってるのはこの一族位のもんだろ。多少は気位も高くなるさ」
「お前は一応商売相手だからなあ、ゴヒイキになってもしょうがネェけど。でも武門族の連中にとっちゃ、春草は宿敵よ。黒矢(クロヤ)や日刺(ヒザシ)なんて、カタキみたいに嫌ってる……実際カタキだけどな」
「まあ、あいつらほとんど可北に来ないしね……。ここがどんなに綺麗な所か知らないのさ」
 眩しげに、剣は山の風景を見渡した。
「キレイなのは認める。萩も盛りだナア……」


 確かに可北は美しかった。岩の多い可南には見られない花々や果実が、今を盛りと山肌を飾っている。かつて猫族が、そのどことも知れぬ故郷から「遠い旅」を終えたとき、彼らは初めこの山、豊穣たる可北に住み着いたのだという。豊かな山は新参者を温かく迎えてくれた。可北を支配した春草一族は、永く猫族の支配者でもあった。絵画や工芸を愛し、花々を育て、贅沢を極めたその生活は、今でも可南では類を見ないものだ。
 だが春草はその血を誇るあまり、「雑種」を忌み嫌った。執拗な迫害を受けた雑種達は、やがて狩場であった可南の山へと移り住んで行った。雑種故の強靭な体躯を持つ彼等にとって、可南の厳しさは問題にはならなかった。豊穣ではあるが羚羊や山羊などの大きな獲物が少ない可北よりも、彼等にとっては可南の方が楽園たり得たのだ。

 そして、春草が自ら狩りをしなくなり、贅沢に慣れたその手が戦う力を失った時、その支配も終わりを告げたのである。所詮猫族は狩猟民族であり、力の社会であった。織物や工芸の伝統を受け継ぐ可北が豊かさを失うことはなかったが、もうここに「力」は存在していなかった。
 一時目を細めていた剣は、だがすぐに視線を前に戻した。彼はやはり黒の血統を持つ猫であり、滅びかけた儚げな美しさによりも、力の魅力に惹かれる血を持っていた。

「真白……オイ」
「何」
「……俺の前走るなよ」
 真白はニヤリと笑った。
「悔しかったら、抜いてみなっ」
 二頭の若駒は、その力を競い合い、秋の草原を駆け抜けて行った。
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