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III. 日刺 <ヒザシ>
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 キラキラと秋の陽射しに照り映える一筋の水面。二頭の若駒が比佐水(ヒサミ)の細い流れを飛び越えて行くのを、日刺は紅葉した白山の中腹から遠く見送っていた。

 栗毛は剣だ。黒い鬣は昨年の秋祭に族長から真白に送られた二年馬に違いなかった。声の届く距離ではなかったし、馬を持たない日刺に彼らに追いつく術はなかった。秋晴れの朝、水面に輪を残して駆けて行く馬達は本当に気持が良さそうに見えた。だが、もう冬支度を始めねばならない時期であった。幼い妹と二人きりで厳しい丘陵の冬を越さねばならない日刺には、貴重な秋の一日を無駄に遊んで費やす余裕はない。

 誰の縄張りでもない白山(シロヤマ)は日刺にとって良い狩場だった。大きな獲物こそいなかったが、日々日刺と妹を養う程度の小鳥やオキサミ、小動物を狙うには十分だった。去年は吹雪が長く、かつかつの食料しか確保していなかった日刺は妹の日羅妓(ヒラギ)と木の根を掘った。今年こそはもう少し楽に冬を越したい。罠にはまって暴れる丸々と太ったオキサミに止めを刺そうと、日刺は腰から短刀を手に取った。

 短刀の柄は雪羚羊の角で出来ている。若猫達の狩りで日刺が仕留めた羚羊の角を、族長が緑族に細工に出してくれたものだ。黒矢や剣と共に追い詰めた獲物だが、止めは日刺が、その大剣で刺したのだ。名誉ある角は、彼のものとなった。年にただ数回ある狩の儀、大人のそれには未成人の日刺はまだ参加出来ず、黒矢達若猫と自発的に行っている「若猫の狩の儀」ではあったが、それは麓にたむろする雑種の一人に過ぎない日刺が堂々と可南に立ち入り出来る数少ない機会だった。


 猫は縦社会だった。主に、「可南に住む者」「可南に住めない者」、「白山に住む者」「可北に住む者」に大分出来た。
 ひときわ高くそびえる可南の山には、部門族の選ばれた猫達が住んでいた。頂に居を構え、頂から山裏の広大な狩場を独占する族長、羅族。その真下には羅族の片腕黒族。その下に黒の分家藍族、中腹には赤族と巫子族、麓近くに比較的新参の月族が、それぞれの縄張りを護っていた。黒を筆頭に、赤、月の「御三家」が、今は族長の直属として権力を誇り、可南に住む権利をも与えられていた。

 可南の脇腹、白山には、刀師や弓師、鉄師、銅師、薬師などの特殊な技能を持つ者達が固まって住んでいた。特に族名を持たない彼らではあったが、まとめて雪族と呼ばれることもあった。可南、白山から比佐水の流れと幾つかの丘陵を隔ててある低山、可北には春草が、分家、舞芸の光族(ひかりぞく)、工芸の緑族(みどりぞく)と共に暮らし、侮蔑と畏怖のないまぜになった一種特殊な扱いを受けていた。

 そして可南の麓から平原にかけて----族名も、身分も持たない雑種達、数にして猫のおよそ半数を占める彼らが、平原と可南との間の土地を、森を、縄張りを争って暮らしていた。所詮武器や食料も基本的には自給自足の世界である。雪族や緑、光等の特殊技能者がいるにはいたが、猫の家の殆どが、武の一族、普段は狩りで生計を立て、戦となれば戦いを生業とする一族だった。武門族の地位は戦の度に族長の一存で上下した。現に月族は四年前の大きな戦いで名を上げるまでは、平原の端に住む雑種の家族でしかなかった。
 そして日刺は、その戦いで全てを失った日一族の末裔だった。


 前族長、羅族羅冠(ラカン)の死後八年間、猫の丘陵は常に戦場だった。ただひたすらに黒族と春草が争い続ける戦乱の日々が続いたのだった。羅冠の息子羅猛が再び猫族を一手にしたのは僅か四年前。成人したての若猫だった羅猛が覇権を握れたのは、黒一族の無条件の後押しがあってこそだった。羅猛には、後ろ盾となる自分の一族が既に無かった。春草が羅冠に反旗を翻した際、辛うじて逃げ延びた羅猛以外の羅族は、女子供までが皆殺しにされた。獰猛で名高かった可南の覇者、羅族は今は存在しないのだ。相変わらず羅族絶対の態度を崩さない黒族ではあったが、もし今黒が彼に背を向ければ、たった一人の羅猛に何ができるだろう。その意味では可南の勢力図は微妙だった。かつては頂きに集落を広げ無敵の名を欲しいままにした羅族。だが今は焼き払われた頂に羅猛の小屋がぽつんと一つあるきりだ。それは力の三角形を描くはずの可南としてはいささか不安定な図と言えなくもなかった。

 だが、いかに不安定であるとはいえ----猫の族長の権限は常に絶対である。
 可南の狩場は全て族長の権限の元にある。一族の縄張りも全て族長によって決められる。獲物の豊富な可南の山に住めるのは、族長に認められた御三家とその分家だけ。族長の配下、頂に近い場所に住む者は、より有利な立場で狩りが出来るようになる。

 四年前の戦乱で両親、親族のほとんどを失った日刺は、すぐにその縄張りも他の猫に奪われ、可南を追われた。かつては可南の麓に住み、黒族との交流も深かった日族ではあるが、今現時点で力を持たない者には猫は冷たかった。
 可南から離れた雑種同士の縄張り争いは、既に族長も関知しない所であり、彼らは平原に近い痩せた森を、より可南に近い有利な場所を、奪い合って暮らしていた。だからその勢力図の移り変わりは可南よりなお激しかった。狩りを生業とする猫の縄張りは広い。自分より強い猫の狩場を荒そうものなら、その場で叩き殺されても文句は言えなかった。逆に、強い猫に自分の縄張りを犯されることは、仕方ない事として諦めなければならなかった。親を亡くした十歳猫の日刺に縄張りを守ることなど出来ようもなく、生き残った幼い妹と二人、危険な平原で暮らした事もあった。

 だが、日刺はもう十四になっていた。いかにも雑種らしい茶色の髪に浅黒い肌を持ち、はしばみ色の目を油断無く光らせた若猫に。その年にしては大きく逞しい身体は、もう大人猫にひけを取らない。何度かの抗争の後、今は日当たりのいいせせらぎのほとりに、小さな住まいを手に入れていた。
 二年後の成人の日を、日刺はただ待っていた。成人すれば----名前だけでも日族を名乗ることが出来る。地位争いへの権利も手に入る。「色」の似た雑種を集めて日族を再結成することも出来るだろう。かつて月族がそうしたように。だがそれまでこの平安な世では、祭りの技比べ(わざくらべ)でその力を誇示するほどのことしか出来ない。あとは、剣や黒矢達若猫と、暇を見ては刀を交わす位のことしか。

 普段は一族以外交わることの少ない猫達だったが、若猫同士は皆仲が良かった。住む場所の差こそあれ、剣も、黒矢も、真白も、今は只の友人だった。だが、成人すれば話は変わる。この縦社会の中、それぞれが一族を有利な場所に置くために、力と身分を競い合うことになる。
 黒族の末弟である黒矢、薬師である真白は、もうその地位を約束されている。剣も巫子族ではあるが、長子でない上に黒髪だ。いずれは本家である黒族の一員に名を連ねることになるだろう。
 まだ何も手にしていないのは、日刺だけだった。
 成人まで、まだ二年もある。
 自分の若さが、日刺は歯がゆかった。


 だが、羅猛が猫族を制圧したのは、僅か十六の時ではなかったか。敬愛していた前族長、羅冠への義理立てがあったにせよ、黒の長黒葉が羅猛の技量を認めたからこそのことではなかったか。今尚若い飾り気のない族長が、日刺は好きだった。若さ故の憧れ、共感によるものか、羅猛は若猫達にも絶大な人気があった。成人したあかつきには彼の近い側近になりたいと、他の若猫達と同様に日刺も常に願っていた。一人きりになってしまった羅族が今なお一族を補強しようとしないのは不思議だったが、元々「雑種色」をした家であるからには、日族にも十分機会はある。羅族を名乗ることがかなわぬまでも、分家扱いになることは出来ぬものか。それには、成人までに自分の力をもっと族長に知ってもらわねばならない。技比べや狩りの儀だけでは心もとない。戦になれば、とさえ日刺は考えていた。大剣を取れば人並み以上の働きが出来る自信はあった。戦は勢力地図を塗り替える絶好の好機だ。自分の力になりそうな、将来日族の力になりそうな雑種の若猫を、既に何人か日刺は側に置くようになっていた。もちろん今は友人としてだが、名もない彼らも、いつか日刺が日族の名を取り戻すことを狙ってこそ彼の傍らにいることを、日刺も当然知っていた。彼らを結びつけているのはただ、いつか可南へ----。
 そうすれば、望む力も狩り場も手に入る。

 だが。もしかしたら、いつの日か。
 若き族長より、なお若い日刺が、彼以上の力をその手に蓄えたその日。
 そうなったら、もちろん日刺は黙っているつもりはなかった。
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