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IV. 春水 <ハルミ>
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「春水様」
 窓から外を眺めていた黄金色の髪が、ゆっくりと振り返った。色の薄い緑の瞳を宝石のように二つ湛えた白磁の肌が、秋の陽射しに透けるようだ。
「薬師が峰棒を届けに参りましたが。次には何が御入り用かと」
「楠木が、直接?」
「いえ、息子の方が」
「真白が? ……僕が出よう」
 女はあわてて言った。
「いえ、春水様が直接いらっしゃるほどの事では。私がご注文を伝えますので」
「いいんだ。すぐ行くと伝えてくれ」
「でも……」
 春水が手を振ったのを見て、女は引き下がった。春草の家に当主の言葉に逆らうものはいなかった。足首まである黄緑色の緩い上衣に、瞳と同じ緑の帯を締めただけの、春草の長にしては軽装の姿のまま、春水は戸外へ出た。


    ----彼女の目はみどり色
    声はすみれ色
    ああ 恋よ
    花咲くオレンジの木かげ!


 そこには、庭があった。
 春草の庭は、一級の芸術品だった。緑族の庭師に隅々まで手入れされたそこは、今まさに秋の盛りを迎えていた。野の草や潅木が高く低く地面を被い、木々は計算され尽くした間隔をおいて一本づつすくすくと伸び、いかにも気持ちの良さそうな木陰を作り出している。繊細な彫刻の施された石の柱が遺跡を模してそこここに建ち並び、やわらかく黄色に変わりかけた緑の蔦をびっしりと巻きつけていた。庭の中央には、細い小道にぐるりと囲まれた華奢な泉。そして、花、花、花----。

 可北の庭は花に覆われていた。銀木犀の潅木は雪が降り積もったかのような白い鞠をちりばめ、眩暈のしそうな香りを四方に振りまいている。地面のそこかしこには薄雪草の群落、つんと自己主張する白花曼珠沙華。落葉しかけた木々には氷月花のツタが高くまで巻き付き、雪片のような小さな花を溢れんばかりに咲かせている。一見さりげなさそうに、だが巧妙に配置された二色や三色の自然岩にも、そのくぼみに小さな盛り土が施され、可憐なノチアの花が一輪、つと咲いていたりもするのだった。石柱を上部で繋ぐ石の梁からも、銀の篭が鎖で下げられ、当主が最も好むらしい白い花が、クリアス、ノチア、うすく紅を引いた御柳、ソチナなどが、東屋の緑のベンチの上に、重く垂れ下がっていた。そして庭を囲む白い塀のように、再び香り立ち咲き乱れる銀木犀の群落----。
 白い、花の庭であった。ただ何本か、グミの赤い実が、遠く近く控え目な彩りを沿えていた。


    スズメが一羽うたっていた
    小さなオリーブの茂み
    ああ、恋よ
    花咲くオレンジの木かげ!


 光族の女が東屋に腰をかけ、三弦のギターを爪弾いて歌っている。白一色の、だが爛漫な香りの中を、春草の当主はゆっくりと歩いて行った。四年前、遂に黒と羅猛がこの庭に踏み込んだあの日、随分と荒らされてしまった庭ではあったが、もうその荒廃の後もすっぽりと花の陰に隠れ、どこにも残ってはいなかった。


 春草の前主、春風がなぜいきなり可南に戦いを仕掛けたのか。
 今となってはそれは誰にも計り知れぬことだった。衰えかけた一族の復興を狙ったものだったのか。確かに遠い昔は猫の覇者であり、今は武器を嫌う優雅な暮らしぶりだけにその面影を留め、可南からただ蔑みの視線を浴びるだけの一族と成り下がった彼らには、鬱屈したものもあったであろう。だが地の恵みの豊かな可北の山で、彼等は可南とは袂を別ったままでも生きて行けたはずだった。春草を神のように慕う緑族の「加護」の元で。

 紡がざる一族である春草は、実質彼らに養われているようなものだった。春草の分家、緑族は、可北、可南のあらゆる装飾品を賄っている「紡ぐ」一族であった。普段は衣食住全てを自給自足で賄う可南の猫達も、いざ祭りや婚儀、華れの場が近づくと争って緑に発注を出した。華美な衣装、甘く飾り立てた菓子、猫族の生活にある贅沢品は全て緑の手になるものであった。白族の弓師刀師も、名のある武器の柄や装飾は緑に頼むのが常であった。

 そうやって汗水垂らして働いた見返りの品全てを、緑は惜しげもなく春草に差し出した。また、豊かな可北の実りを摘み取り、蓄え、春草の優雅な口元に差し出すのも緑の役目だった。そして子供までも----「春草色」、金髪に緑の瞳、あるいは青の目を持つ子供が分家に産まれると、その子供は春草の一族に入る事が暗黙の了解として決まっていた。純血色をした子供を本家に差し出すのが、分家の誇りでもあった。逆に春草で「純血」でない色の子供が産まれると分家に降ろされるのが常だった。もう一つの春草の分家、舞踏や音楽の民、光族もそれは同じだった。そうやって分家の無条件の服従の上に、春草はもうずっと、ゆらゆらと漂い生きてきたのであった。

 そんなぬるま湯のような生活の中で、一体どうして春風が、その優雅な手にいきなり武器を取ったものか。柔らかな女のような風貌の下で、前主は彼らを蔑む可南への憎しみをずっと護り育てて来たものだったのか。あるいは既に気持がおかしくなっていたのかも知れぬ。血の為に近親結婚を繰り返す春草の一族は、宿命として身体や「頭」の弱い者を産み落とすこともままあったので。

 だが、外見に似合わぬ細剣の腕を持ち、たとえ狂っていたにせよ----策士でもあった春風は、誰もが予想だにしなかった奇襲に勝利を納めた。そしてあろうことか、その後の八年に及ぶ長い戦いを踏みこたえた。次の可南を狙う雑種猫を味方に引き入れ、数を頼みに闘い続けたのであった。
 だが黒族は屈しなかった。本来忠誠心に厚い生き物ではない猫の、緑と黒は例外とも言えた。奇襲の夜に行方不明となった羅猛の帰りを、黒はひたすら待っていた。羅猛を討ち洩らした事が、おそらく策士春風の唯一の失策だった。当然、春草は羅猛探しに必死になった。だが黒が匿っているとも、人間に預けられているとも噂された羅猛は、どこからか八年後に決然と現れ、長い争いに終止符を打ったのだった。あまりにも若き日の羅冠に似たその姿に、春草に味方していた雑種猫の多くが恐れをなし、あるい単には長い戦いに疲れただけだったのかもしれないが----再び黒に寝返ったのだ。

 春水がその一族の全てを----息も絶え絶えな一族を父から引き継いだのは、まだ彼が僅か十二の時だった。彼が処刑されなかったのは、それでも春草の力の残り火を黒が恐れたからに違いなかった。

 武に劣る春草の持つ力、それはおそらく猫達が普段殆ど顧みない、歴史とか伝統とかいう言葉の中にあった。過去においては神であった春草に、雑種猫達は侮蔑の視線を投げながらも、畏怖に似た念をないまぜに持ち続けていた。その幼い当主までも殺すことは、猫の結束を再びまとめはじめたばかりの黒、羅猛にとってもためらわれた。また最後の直系を殺すことによって、春草、分家の捨て身の反撃を呼び起こす恐れもあった。だが無論のこと、春水を始め春草一族は、厳重な監視下に置かれる事となった。財を減らすために莫大な貢ぎ物が常に課され、武は制限された。一度でもそれに刃向かえば、今度は春草を根絶やしにする格好な理由を羅猛に与える事となったろう。

 春水は、当時まだ十二歳ではあったが、決して形ばかりの当主ではなかった。そもそも、当主絶対の家風を持つこの一族が、かりそめにしろ彼以外の指導者を仰ごうとするはずもなかった。春水は、常に可南に絶対服従の姿勢を取り続けていた。姉を黒葉の側女に差し出し、祭りには必要以上の貢物を届けもした。
 それは一見可南対抗の意志を一切無くし、ただ春草の存続を願う弱気な姿勢とも捉えられたが、ただでさえ無口なこの少年がその実何を考えているかは、近くに使える一族の者にさえそう簡単には解らなかった。


    ----あなたは誰で
    どこから来たの? 恋人よ。
    ----もろもろの愛と泉、
    愛と泉から来たのです。

    ああ 恋よ
    花咲くオレンジの木かげ!


「真白」
 置石に腰掛け、首を傾げて歌に聞き入っていた真白は、いきなり声をかけられて驚いて振り返った。可南の若猫達とはめったに顔を合わせることのない春水だったが、薬師として春草へも頻繁にやって来る真白とは見知った仲だった。
「春水。わざわざ君が?」
 少し眩しげに、真白は春水を見上げた。可南の猫達の殆どは春水のことを悪し様に言うのが常だったが、この自分より二つ上のもの静かな少年が、真白は決して嫌いではなかった。

 薬師の家に生まれ、白山に育った真白は、他の武門族の猫達よりは「美」を愛でる心を持っていると自負していた。そして春水は、ただ眺めるだけでも心が弾む美しさを、確かに持っていた。その細工物のように精巧な顔立ち、それを彩る黄金の髪、硝子玉のような緑の目を見るにつけ、春草一族が神のようにこの少年を崇拝しているのが何とはなしに解るような気がするのだった。事実、緑族を含めた可北の信仰とはその当主に捧げられるものだった。この一族にとって当主は常に神性を帯びたものであり、日々の祈りも神たる当主に向けられていた。その信仰は、荒ぶる神を静め、その意志に伺いをたてる可南の巫子信仰とは全く異なるものだった。

「峰棒が手に入って、良かった。今、ナギの薬が足りないんだけど、あるかな?」
「ああ、それなら、」
 真白は少し困った表情を見せた。
「今年は可南でも殆ど見つからないんだ。ちょっとあるにはあるんだけど、ウチのじゃないから、持ち主に聞いてみないと何とも……」
「……別にかまわないぜ」
 銀木犀のアーチをくぐり、剣が庭に入って来た。振り向いた春水に向かって、大仰にお辞儀をして見せる。
「これはこれは、御当主様。わざわざお出ましとは」
 祭りや儀礼の際に顔を合わせたことはあるものの、実際に口をきくのは今日が初めてだ。いつも着飾った側近達に囲まれ、可南の者とは言葉を交わそうともしないこの現当主に、剣はあまりいい感情を抱いていなかった。

「やあ、剣」
 春水はうっすらと微笑んだ。
「分けて貰えるんだったら、助かる。困ってたんだ」
「春水様のお言葉に、逆らえるはずも御座いません」
 言葉使いとは裏腹に好戦的な剣の態度を、春水は気にする様子もない。
「春水、って呼んでくれないか。そんな丁寧な喋り方もやめて。可南じゃそんな言葉使わないだろう?」
「御当主を呼び捨てになんかできませんよ」
 真白が、怒っていいのか笑っていいのかわからない、といった表情で剣を見上げている。
「じゃあ、剣様、って呼んでもいい?」
 皮肉も当てこすりも受け付けない春水の微笑みから顔を背け、剣は肩をすくめた。
「いいぜ。ナギ。多めにあるから」
「少しでいいんだ。有り難う」
 そのまま中庭へと歩いて行く。途中で振り返り、二人に呼びかけた。
「中庭で、お茶に呼ばれてくれないかな」
「いや」
 真白が立ち上がった。
「急ぐんだ。何たって今は秋だし。作らなきゃいけない薬もあるし」
「そう、残念だな。剣は?」
 とんでもない、とでも言いたげに剣は首を横に振る。
「解った。じゃ、ちょっと待ってて。今銀木犀が盛りなんだ。少し持って行って。すぐに持って来させるから。五刻、待てる?」
「その位なら」
 応えた真白と、黙って立っている剣の方に、春水はまた微笑んで見せた。
「また遊びに来て」
 そのまま中庭の角を曲がって、当主は姿を消した。


 花に埋もれて、剣と真白は馬を走らせていた。
「俺やっぱすっげー苦手。にっこり笑って、また遊びに来て、だってよ。気取りかえっちゃってさ。ムシズが走るぜ」
 真白が笑って言う。
「いいじゃん。銀木犀、あそこの庭のは格別だぜ」
「はるみって、呼んでくれないかな」
 剣がそのゆっくりした物言いを、かすかに首をかしげて真似てみせる。これには真白も思わず笑った。
「け〜っ、きもちわりー。ナヨナヨしてよ。刀も弓矢も持ったことございません。て顔して」
「それはそうかもしれないけど。祭りの演舞もいつも側近がやってるしね。だから可南じゃ、ぼんやりの臆病虫、なんてみんな言うんだナア。……父親と、顔は似てても中身は違う、なんてね。身体も弱いって噂だし。でも、そんなに悪い人じゃないと思うけど」
「身体弱いね……所詮、春草の流した『噂』だろ」
 剣の声の調子が変わる。真白は横目でちらりと彼を見やった。
「当主になる前はそんな話聞かなかったって、黒里(クロザト)は言ってたぜ。案外タヌキかもしれネェよな……春風だって同じような事言われてたんだろ? それがあのザマだぜ。……あ〜あ、お前はいいよな、お気楽で。うっとり見とれちゃってさ。養子行けば? 春草に。その素質あるぜ」
 真白は肩をすくめた。そして馬鞭を剣の前で高く鳴らしてみせる。
「お気楽で結構! ……帰りは負けないからなっ!」
 馬を飛ばし始めた真白を、剣があわてて追いかける。
「バカヤローっ! 花が散るっ!」

 翌日、お礼にと春草から届いた豪奢な巻物と秋の果実を前に、やっぱり気にくわネェ、と剣は繰り返していた。
 春草の当主は、この秋、成人の儀を迎える。


Lylics By F.G.LORCA
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