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VI. 羅猛 <ラモウ>
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「黒葉、配達だよ」
「おーっ、いつもゴクロウ。裏で燕(ツバメ)に渡してくれ。お前に会いたがってたぜ」
「解った。……羅猛はいるのかな」
「いると思うぜ。ねーちゃんと話したら行ってみな」
「ああ」

 巫子の家では月に一度、各家から集まる貢物の中から何点かを選び、黒家と族長の家に届けていた。その役目を、剣は女達に任せることなく自分で引き受けていた。一つには黒葉の正妻となっている年の離れた姉、燕に会えるからだった。他家に行った女猫が実家に戻って来ることはめったにないので。
 だがそれよりも剣は、本家の黒猫達や、羅猛に会うのが好きだった。何よりもその「頂」の雰囲気に惹かれていた。選ばれた猫達だけが集うそこには、山頂の空気の静謐だけでない、何か張りつめたものがあるような気がするのだった。特に、豪奢とは言えない族長の小屋に足を踏み入れる時には、剣はいつも何とも言えない緊張感に包まれた。

 離れて住居を持つ猫の習わしに反して、黒葉の家は族長のそれと茂みを一つ隔てているだけだ。十二年前に羅冠を助けられなかった事を未だに後悔している黒葉は、この位置を決して譲ろうとはしなかった。側に若猫さえ置こうとせずたった一人で暮らす羅猛の元へ、いつでも駆けつけられるようにと。
 羅猛の小屋の前で、剣は足を止めた。念のためにもう一度、口笛を鳴らす。中から羅猛の口笛が帰ってきて、剣は扉を開いた。

「よオ」
 暖炉の前に座って、羅猛は矢尻を研いでいた。
「蜜と油……どこに置く?」
「机の上にでも置いといてくれ。……なんか飲んでくか」
「有り難う、貰うよ」

 『配達』に来て剣が酒を振る舞われることは、もう儀式のようになっていた。黒矢と剣はいつもその貴重品のお振る舞いを狙っていた。族長の家にある酒は、赤の女の手による最高級品だったので。
 羅猛は甘い酒が好きではなかったので、剣の好物、花梨酒はふんだんに残っていた。だが、剣は黄色い瓶をちらりと横目で見ただけで、棚の下から火酒の壺を手にとり、杯に注いだ。いつも羅猛と黒葉が好んで酌み交わす酒だ。舐めるように口に含むと、舌が焼けるようにチリチリした。
 剣はそのまま腰を下ろし、羅猛の背中を見つめていた。無口な羅猛がこんな時に語りかけて来ることはめったに無かった。だからいつも剣は、気が済むまで若き族長を眺めていることが出来た。


 羅猛を美しいと言っていいのかどうか、剣には解らなかった。だが女達が彼を「美しい」と言っているのは知っていた。乱暴に延ばした明るい褐色の髪が、彫りの深い浅黒い顔を包んでいる。猫にしても細長い虹彩を持つ瞳は濃い黄金だった。「本当の黄金」と女猫達はその目を呼んだ。つり上がった金の目にじっと見つめられると、誰もが何故か少し落ちつかない気持ちになるのだった。それを美しい、と言うのは何だか違う気がした。もう少し鋭角な何か----怖い、と言うのは自分が臆病なようで憚られたが、それに近い、射すくめられるような、自分が小さくなってしまうような感覚を、彼に見つめられるといつも受けるのだった。

 羅猛の顔には、左の眉から目を避けるように、刀傷が残っていた。父親を殺された時に自らも命を狙われ、負った傷だと言われていた。もしその傷が左目を潰していたら、不具を嫌う猫は彼を族長には据えなかったかもしれない。だが羅猛が成人して兵を挙げた時、その傷はかえって打倒春草の英雄、その象徴として扱われた。運の強いヤツだ、と黒葉はいつも言っていた。

 二十歳の羅猛は、長身ではあったがその体つきはまだ若かった。狩りや祭りで体躯の良い黒葉と並ぶと見劣りがしてもいいはずなのだが、それを感じさせない、何か厳粛な雰囲気がこの猫にはあった。それが羅族のものだ、と黒葉は言う。狂戦士と呼ばれた羅族を、剣達若猫は知らない。ただその一族はかつて、可南巫子信仰の祭る「荒ぶる神」、その化身と言われていたという。もともと可南の猫は信仰心が薄い。巫子族が未だ大切に扱われているのは、その神卸による予言の的中率が良い、という実質的な理由に過ぎなかった。だからその族長に猫達が神性を被せるようなことは無かったが、それでも羅族の末裔である羅猛はやはり「特別な猫」とみなされていた。


「剣」
 後ろをむいたまま、羅猛が語りかけて来ていた。名前を呼ばれたのは、どうやら二度目らしかった。
「あ、……ああ、何?」
 ぼんやりと酒を舐めていた剣は----そろそろ残りを持て余していたのだが----あわてて顔を上げた。
「春水と会ったって?」
「ああ。ちょっと前だけど」
「どうだった、あっちの様子は」
「どうって……」
「話したの初めてだろう」
「ああ、うん……」

 剣は顔をしかめた。真白のようにあの少年に素直に好意を感じることは、剣にはやはり出来なかった。その美しさの中に潜む不気味な静けさに、抑えることの出来ない違和感を感じていた。だがそれを、羅猛にも上手く説明することは出来そうになかった。

「羅猛」
「何だ」
「秋祭の弓比べさ」
「ああ、おめでとう。見事だったな。一発も外さなかったじゃないか」
「……どうせ若猫しか出ないんだから。遊びみたいなモンだよ」
「黒矢が怒るぞ。相当悔しがってたからな」
「……だから、そう言うことじゃなくて、春水、出なかったよね」
「そうだな」
「今まで一度も出たことがない。組手も、細剣にも」
「そうだな」
「演舞も……しないし。身体弱くて、弓も持ったことがないって、本当なのかな」
「春風は細剣と弓の名手だった。息子に何にも教えない筈があるか?」
「……だよな。ナンかさ」
「なんだ?」
「……ブキミなんだよ、あいつ。上手く言えないけど」
 羅猛は笑った。
「まあ、いい。ただ、何か隠してるヤツには、いつも注意しろってことだ」
「……」
 羅猛はそれきり何も言わなかった。酒の礼を言って、剣はその家を出た。
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