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IX. 邂逅 <カイコウ>
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 雪は降り続いていた。
今年の雪は遅かったが、その分深かった。可南の山は白く覆われ、もう馬は使えない。麓まで降りるのは一苦労だったが、剣は雪には慣れていた。
 だが、さすがに雪の中、可南をはるか下ったこの平原まで来るのは初めてだった。思ったより時間がかかってしまったようだ。あまり長時間の狩りは出来ないな----見えない陽射しの色を、剣は目で計った。

 別に食料に困った訳ではない。可南にもまだ獲物はいるし、巫子族の冬の蓄えは余るほどだ。ただ、体中に真っ白い毛皮を持つ雪兎は、可南にはいなかった。雪祭に神卸をする簓の衣装を、一面に暖かく白い毛皮で飾ってやりたかったのだ。本当は銀狐を狙っていた。だが可南中を、許された範囲で歩き回っても銀狐の姿は見つからなかった。それで雪兎を追って、わざわざ平原まで降りて来たのだった。雪深くはあったが、獰猛な「獅子」は、冬は眠っている。雪に迷いさえしなければ危険は無いはずだった。

 運良く土手下に巣を見付けて、二匹分の毛皮は手に入れた。だが、それではまだ足りない。廣瀬の支流を見つけた剣は、川沿いの谷間へと降りて行った。水際には背の高い潅木が幾つも隠れ家を作ってる。いかにも獲物が見つかりそうだ。大きな雪の吹き溜まりを、剣は苦労して越えて行った。


 潅木の茂みの向こうから、ふいにその影は現れた。
 春草だ、と思った。だが金色の髪をしたその姿は、それにしても妙だった。男には違いなかったが、身体にゆうるりと、くすんだ色の衣服を身に付けている。あんな妙な形の汚い色の服を、春草は決して着ないだろう。そしてこの唐突な対面に、剣よりもよほど向こうの方が驚いている様子だった。あわてふためいた態度で腰に差した光る細工物を手に取る。
 攻撃の意志があるのは解った。剣も弓を手に身構えたが、まだかなり距離がある。弓矢も持っていないようだし、一体何をするつもりなんだろう。と、思った刹那だった。

「剣ーっ! 伏せろーっ、『銃』だーっ!」
 背後から聞こえた叫びはまだ遠かった。だがその意味を飲み込むより早く、声に含まれた緊迫感が剣を地面に倒していた。

 辛うじて間にあった。
 氷の弾ける音がして、後ろの吹き溜まりに大きな穴が空くのを、剣は呆然と見つめていた。
 男が両手に構えた細工物から、光る矢が飛び出して雪に刺さったのだ。
 そして背後から飛んできた今度は本物の矢が、その人影を逆に雪の中に打ち倒した。
 辺りに気を配るのも忘れて、剣はまだその穴を見つめていた。それではあの光る矢は火矢だったのか? 一瞬の内にこれだけの雪を溶かしたのだ。まだ雪は解け続けていた。小さな水の流れが剣の手を濡らす。だがあの男は矢など構えていなかったのに----いつの間に?
 もし自分がそこに立っていたら----。

 ふと我に返る。雪に倒れた影がもう動かないのを確認してから、背後を振り返る。雪をかき分けて近付いて来た猫に礼を言いかけて、言葉が止まる。
「……春水……」
 いつも微笑みを絶やさない白い頬が、今は笑っていない。
「……大丈夫か」
 剣は立ち上がった。
「ケガは、無い」
「そうか、良かった」
 そのまま剣の傍らを通り過ぎて、春水は倒れた影の方に歩いて行く。剣もあわてて後を追った。

 それは、奇妙な姿をしていた。金の髪をしてはいるが、春草独特の細い顎の線とは違う、四角張った顔。そして、丸みを帯びた妙な形の耳。
「……死んでるな」
 かがみ込んでその身体を調べていた春水が、チッと舌打ちをして、剣の顔を見上げた。
「どこに埋める?」
 まだ呆然と男の死体を見つめていた剣の頭にふいにひらめくものがあった。昔父親から聞いた、伝説の中の生き物----。
「これ……人間!?」
「そう、らしいね」

 剣は黙った。それでは本当にいたのか。いや、いると言うことは知っていたのだ。だが目の前にしてみると、それは驚くほど猫と似ていた。ほとんど同じ動物と言っていい程に。ただその耳の形と、さっき一瞬見つめた目の丸い光彩だけが異質だった。そして奇妙な服と、あの、不思議な矢。

「あれ、何」
「………」
「炎が吹き出したみたいなヤツ」
「さあ」
「何か叫んだじゃないかよ。後ろから」
「気を付けろ、って言っただけ」
「ウソ付け! 何か、名前言ったぜ」
 春水は肩をすくめた。
「銃、だよ」
「ジュウ?」
「人間の武器」
「……何で知ってた」
「子供の頃にね、一度、撃たれたことがある。城壁に近付きすぎたんだ。それで知ってた。人間と戦ったことのある長老が教えてくれたんだ。あれが、銃だって」
「………」

 それは目の前に落ちていた。光る石で作ったただの小さな細工物、のように見える、その先端からはゆっくりと煙がたなびいている。
 ここから火を噴いたのだ。

 それを雪の中から拾い上げようと、剣は身をかがめた。
「よせ」
 春水がそっと、だが強く、剣の手を押さえた。
「平気だよ。ここから火を噴くんだ。どうやって火をつけるんだ? 要はコッチのはじっこを自分の方に向けなきゃいいんだな。それで、」
「そうじゃなくて」
 春水は剣の顔をじっと見つめている。
「ここに埋めて行くんだ。……死体と一緒に」
「どうして! こんなすごい武器ないぜ」

 一瞬剣は身構えた。この武器を春草の手に渡すわけにはいかなかった。もし春水が止めるのなら、戦ってでも持って帰ろうとする気があった。
 そんな剣を春水はしばし黙って見つめていたが、いきなり立ち上がると、驚くほどの激しさで剣の両肩を掴んだ。

「いいか、剣。これは人間の武器だ。所詮僕達に扱えるシロモノじゃない。確かに猫族は今対立してる。でも、こんな物でカタを付けたいか? こんな物で殺し合いたいか? そんなことになったら猫族はおしまいだ……死にかけてるっていう人間達と同じことになってしまうと思わないのか? どうだよ、剣!」
「………」
 剣はあっけにとられて春水を見つめていた。こんなに激しい、激昂とも言える声を、言葉を、春水の口から聞こうとは思ってもいなかった。
「どうしてもって言うんなら、今ここで撃って見ろよ、僕のこと撃ってみな、そしたら持ってけるぜ。やってみるか? 出来るか、剣?」

 二人はしばらく見つめ合ったままだった。が、おもむろに春水は剣から手を離すと、注意深く銃の先端を掴み、遠い流れの中に放った。急な流れに邪魔されてまだ薄かった氷を割って、鈍い輝きはすぐに水の中に消えた。剣は止めようとしなかった。
 春水は深く溜息をつくと、再び死体の上に屈み込んだ。
「手伝えよ。どっか地面探して、これ埋めなきゃ……。こんなモン人間に見つかったら、また戦になる……」
「………」
 春水は顔を上げて、微笑んだ。いつもの笑顔だった。
「……そしたら、間違いなくまた銃で撃たれるよ。やってみたい?」

 やっと見つけた乾いた地面も凍土と化していて、死体を埋めるのは一苦労だった。土の上から潅木を被せ終わった頃にはもう日が傾きかけて、あわてて二人は帰途に付いた。
「たいした弓の腕だな。随分遠かったじゃないか」
 歩いて行く春水の後ろから、剣は低く声をかけた。
「偶然だよ。よく当たったなァ」
「……空っとぼけやがって……だいたい、身体弱いクセに、ナンでこんな所にいるんだよ」
「君と同じ理由じゃないかな」
 ふと気付くと春水もその肩に、雪兎を二匹、ぶら下げていた。
「それ、どうすんの」
 驚いて、春水は剣の顔を見た。
「どうって、女の子にあげるんだよ。それ以外に使い道ある? 君は違うの?」
「………」

 その日のことを、剣は誰にも語らなかった。簓にさえ。
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