<第一章> home 一章index
X. 不和 <フワ>
←back next→
「遅いぜ、剣っ!」
 低い枝に座り、苛立たしげに足をぶらつかせていた日刺が雪の上に飛び降りる。
「悪りイっ」
「日の出前って言っただろっ! 何してたんだよ」
「いやあ、最近久しぶりに日が射すだろ。昨日布団の草乾いたのに入れ替えたんだよな。そしたらそれがナンともいい具合で……」
「……で?」
「早い話が……寝過ごした」

 日刺の蹴りが脇腹に入る。応酬した剣が日刺を雪に倒し、すぐに取っ組み合いが始まった。見ていた真白も笑うだけで止めに入ろうとはしない。ここしばらく雪に閉じ込められていた彼等は、若い動き盛りの身体を持て余していた。所詮は遊びの内だ。黒矢と世間話に入っていた藍高(アイコウ)が、ころあいを見て声をかけた。
「も、いーだろ。行こうぜ。これ以上ここに立ってたら凍えちまう」

 藍高は、黒の分家藍族の長男。いや、現長男、というべきか。彼の三人の兄は春草との戦いで命を落としていたので、今は彼が藍族の唯一の跡取り息子だ。可南の麓に住む彼は今年十六、秋祭で成人したばかり。黒矢の狩り仲間だ。
「全くだア。早く行こうぜ。朝の内の方が、どーぶつは元気なんだからよ」
 黒矢が弓を手でしごいて見せる。
「そういえば……焔は来ネェの?」
 立ち上がった剣が周囲を見回して、そっと黒矢に尋ねた。
「あぁ、来たがってたんだけどさァ」
 ニヤリ、と訳知り顔に、黒矢が笑った。
「さすがに今日は黒葉に止められてよ……残念? なあ、残念か? 剣?」
「アホ、そんなんじゃねーよ。来るって言ってたからさ……」

 今日は若猫達の「狩りの日」だった。
 大人猫達の狩りは、通常家の単位で行われる。縄張りを守るためと、獲物の分配に支障をきたさないためだ。
 だが、年に何回か、「狩りの儀」があった。参加できるのはあくまで成人猫だけだったが、その日ばかりは雑種猫達も可南に入れる。そして集団となって狩りを楽しみ、夜はその獲物で宴会となる。それは獲物を得る為と言うより、あくまで大人猫達の娯楽、そして族長が配下の者達の狩りの腕を見極める場でもあった。
 剣達成人前の若猫は、狩りの儀には加われない。だから彼等は若猫同士で、狩りの腕を競い合う日を勝手に作っていた。とは言っても、秋の内はどの家も冬支度にいとまがない。日刺のようにその腕一本で家を支えている者はなおさらだ。自然、狩りの本場を過ぎた雪の季節に、彼等は良く集った。

「よしっ! ……で、どこ行くよ」
 活気付いた日刺が雪の中から立ち上がる。今日は黒矢や藍高も一緒だ。雑種である彼も可南に入れる。少年達の狩りの日は、それは大目に見られていた。
「なあ、死の山、行ってみネェか」
 可南の頂から西、族長の家の後方は切り立った崖になって深い谷へと落ち込んでいる。そしてその向こうには、一年中雪に閉ざされた険しい山脈がそびえていた。高く連なるその山を越えた者は今まで無く、そこは猫達にとって未知の世界だった。その地に、日刺は憧れに近い感情を抱いていた。この機会を見逃す手は無い。
 だが他の猫達は、一斉に抗議の声をあげた。
「えーっ」
 まず黒矢が叫ぶ。
「また可南の上まで登ンのお? だいたい、どーやって山まで行くんだ? あの崖とてもじゃネェけど降りられやしないぜ」
「あんな所にどーぶついねェって」
 続けて藍高が言う。
「何の為の、狩りの日だよ」
「ちぇっ。……そーだよな」
 日刺は大人しく引き下がった。確かに、木々も少ないあの不毛の地に大した獲物がいるとも思えない。ただ自分の冒険心を満足させたいだけだったのだ。そんな彼を尻目に、作戦会議は続いていた。
「平原はどうかな」
 剣が言う。彼の手元にはまだ充分な雪兎が無かったので。
「それも反対。同じ理由で」
 だが黒矢に、すげなく却下された。
「獲物が少なすぎる。もっと大物がいる所がいいな」
「それなら、朱の谷はどうかなア」
 真白が思わせぶりに言う。朱の谷、秋には紅葉で美しく染まる場所だ。
「実はこの間、あそこで銀狐の家族を見たんだ。今日の為にと思って、誰にも言わないでおいたんだぜ」
「いつ」
 黒矢が目を輝かせる。
「三日前。大丈夫、まだいるよ。あんな所今頃誰も行かネェもん」
 一同は顔を見合わせた。可北との境に近い谷へは、歩いてもそう遠くはない。一日で充分行って帰れる距離だ。銀狐ともあれば、獲物に不足もない。女達に喜んで毛皮を引き取ってもらえるはずだ。
「どうやら決まりだな」
 藍高が話を締めた。
「急ごうぜ。誰かに先を越される前にな」


「どこで見たンだよお」
 いささかうんざりして、黒矢が真白に声をかけた。彼等は既に谷を見おろす崖の上を歩いていた。誰も行かない、と言うことは、つまり雪道もまだ付いていない。深く積もった雪をかき分けるのに、飽きて来たのだ。
「だらしねーぜ、黒矢。もうヘバったのかよ」
 日刺が笑う。真白は自信たっぷりに言った。
「まだこんな所にいるもんか。巣は谷の底だよ。もうすぐ下りる道がある。……まあ見てなって。帰りは結構なオミヤゲ付きだぜ」
 可南を出れば、地の利は真白にあった。谷へ下るその道も彼しか知らない。ぼやき気味に、黒矢は呟いた。
「……この崖ホントに降りれンの?」
「まかせといて」
「だれんなよ、黒矢ァ」
 日刺が後ろから頭を小突いた。
「狩りはこれからなんだぜ。谷の底に下りりゃそんなに雪はネエよ」
「まあな」
 元気を取り戻し、黒矢は目の前の雪を分けた。銀狐を持って帰れば兄たちの鼻をあかしてやれるだろう。『子猫の狩りかア、ネズミでも取ンの?』と、出がけに黒里にからかわれたばかりだったのだ。

 前を行っていた藍高がふいに立ち止まった。後ろを制するように片手を上げ、崖下を見下ろしている。皆足を止めた。
「……どうした」
 声を低くして剣が聞く。
「……春草だ」

 崖際に寄ると、雪の少ない下の谷間に何頭かの馬が見えた。金色の髪。間違いなく春草の男達だ。向こうも若猫の集まりらしい。雪の中だと言うのに色とりどりの衣装を羽織り、徒党を組んで馬を歩かせている。

「あいつら、こんな所まで来てるのか」
 剣がそっと呟いた。
「弓持ってるぜ。あのカッコで狩りかよ」
 バカにしたように、黒矢が鼻をならす。
「……こっちには気付いてないな。ニブい春草らしいぜ」
 藍高が肩をすくめた。
「春草は狩りなんてしないだろう。雑種猫から獲物を買うだけだ。……カッコだけだろ。あれも衣装のウチってわけ」
 剣は目をこらした。春水の姿はない。
「おもしれえ」
 日刺が呟くと、弓を構えた。
「ちょっとオミヤゲやろうぜ」
「……やめろよ」
 剣がその手を制した。日刺が殺気立ってくってかかる。
「ナンだよオメエ。春草の味方すんのかよ」
 そこに真白が割って入る。
「やめといた方がいいよ日刺。メンドクサイ事になるぜ」
 黒矢がフンと鼻の先で笑った。
「なアに、いいじゃないか。やらせとけよ。どうせ殺しゃしねェ、からかってやるだけさ。なァ、日刺」
「とーぜん」
 真白が藍高を見たが、彼は軽く肩をすくめただけ。
「やめろって!」

 剣の制止にもかかわらず、日刺は弓を引いた。唸りを上げて飛んだ矢が、先頭を行く馬の足に刺さる。馬上の金髪がもんどりうって転げ落ちた。崖上を見上げた後列の若猫が、何か叫びながら弓を構えた。他の猫達も次々と弓を手に取る。あわてて身をすくめた日刺の頭上を、緑に塗った矢が掠めた。
「おっと、向こうさんヤル気だぜ。尻尾まいて逃げ出すかと思ったのによ」
 黒矢が弓をつがえる。春草の若猫達は、既に馬を捨て、背後の岩影から次々と弓を繰り出して来ていた。
「弓まで緑かよ。あんな目立つ色で何とっつかまえようってんだろうねェ」
 舌なめずりをしながら、日刺も次の矢を手に取る。
「日刺……もう充分だろ。よせよ。引き上げようぜ」
 崖下からは見えない木陰に避難して、剣はうんざりして呼びかけた。藍高は既に彼の横の安全地帯で、我関せずの見物を続けている。
「そうはいかネェよ。アッチがその気ならな」
 黒矢と日刺は、取り残された馬達に集中砲火を浴びせ始めたらしい。
「あっちの栗毛が逃げるぜ。日刺」
「まかせときな」
次々と馬が倒れて行く。はらはらして見ていた真白が、たまりかねて日刺の腕を取った。
「日刺っ、もうやめろって!」
「バカヤロ、立つなよっ!」

 藍高が叫んだその瞬間。
 背に矢を受けた真白が、崖を滑って落ちて行く。剣が必死で延ばした手が、肩当てにやっと届いた。跳ね起きた藍高と二人で崖上に何とか引っ張り上げる。その瞬間、肩に衝撃があり、剣は後ろの木に叩き付けられた。
「おいっ、大丈夫かっ!」
 黒矢が振り返り、木陰に滑り下りて来る。
「……ヤローッ!」
 日刺が叫ぶと、新たな矢をつがえる。藍高が叫ぶ。
「日刺っ! もう止めだ。引き上げるっ!」 
「アホーっ、アイツら本気で撃って来やがったんだぜっ! このままにしとけるかよっ!」
 引いた弓は、今度は本気だ。長身の金髪が一人、岩影に倒れた。
「ケガ人がいるんだっ。もう止めろ!」
 藍高が再び叫ぶ。日刺は一瞬ためらったが、崖下に唾を吐くと、直ぐに剣達の方に引き返して来た。

「どうだ」
 剣は肩の弓を引き抜いた。肩当てに守られ、傷は浅い。幸い毒矢では無かったようだ。
「俺は大丈夫だ。……真白は」
「……深いな」
 覗き込んでいた藍高が眉をしかめて呟く。
「……動かさない方がいいんだろうけどな」
「俺が背負ってくよ」
 日刺が低く言った。その声に応えるように、うつ伏せて荒い息をしていた真白が、不意に口をきいた。
「……自分で歩ける」
 はっきりした声に、彼等はほっとして息をついた。黒矢がその背にかがみ込む。
「アホ、立てねえよ。オイ、矢抜くぞ。痛かったら、キゼツしてな」 
 ぐっと矢を抜くと、藍高が素早く止血する。真白は呻き声を上げた。
「……下手クソ。乱暴なんだよっ」
「薬師様にはかなわネェな。じっとしてろよ」
 黒矢が彼を抱き上げ、日刺の背に乗せた。再び真白が呻く。藍高が剣の側に寄ってきた。
「傷は」
「浅い。手当はいい」
「……急ごう。真白は、ちょっとヤバい。出血が多い」
「………」

 黒矢と日刺が追いつくのを待って、彼等は歩き出した。急ぐ足を雪に取られ、どうしても黙りがちになる。
「日刺」
 前を行く日刺に、藍高が呼びかけた。
「何だ」
「殺したのか」
「……死んじゃネェだろ。向こうも肩だ。毒矢じゃネェ」
「そうか」

 再び沈黙が訪れる。
 日刺の背に、剣はちらと目をやった。真白は目を閉じたまま動かない。僅かに傷が疼き、剣は顔をしかめた。
 矢の扱いには慣れている。子供の頃から狩りは好きだった。だが、猫を----猫に向けて、矢を射た事はなかった。射られたこともなかった。
 黒矢だって無かったろう。四年前の戦の時は、自分も彼もまだ傍観者でいられた。日刺は----アイツは、あるのかもしれないな。あるんだろう。雑種の抗争では、血が流れる事もしばしばらしいから。藍高や、それから----あの時、人間を迷いもせずに射殺した春水は----彼らは四年前、戦に出ていたのだった。まだ子猫だったのに----。猫同士で殺し、殺される場所にいたのだ。


 矢を射れば、射られれば、猫は死ぬ。
 そんな当たり前のことを、知らなかったのは自分だけだったんだろうか。
 巫子族には、戦に出た者、戦で死んだ者はいなかった。でも、黒矢の父親や藍高の兄弟、真白の兄、春水の父親、日刺の家族----。
 
 日が射して溶け始めた雪は足にまとわりつき、思うように歩が進まない。
 黙ったまま、剣は日刺の背中で目を閉じた真白を後ろから守るように歩き続けた。
 歩きながら、重い心で後ろを振り返る。
 彼等がそこに蒔いてきた小さな不和の種が、芽吹かない事を祈って。
home 一章index ←back next→