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XI. 光嚥 <コウエン>
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「それで」
 赤い酒が入った木の器を、春水は苛立たしげに手でもて遊んでいた。
「蘭櫂が肩に怪我を。矢は貫通しましたが、命に別状は。あとは馬が全滅。五頭です」
「向こうは、誰だ。解るか」
「蘭櫂の話に寄ると、相手は五人。矢を射って来たのは、二人。片方は黒の末弟」
「黒矢か」
「はい。もう一人は、大柄な雑種猫だそうです」
「雑種……外猫か」
「はい、可南の者では無いと。しかし、黒の若猫達と親しくしている雑種猫ですから」
「日刺」
「おそらくは。始めに馬を狙って来たのも、蘭櫂を射たのも、彼だそうです」
「……他は」
「あとは三人。藍の長男と、巫子族の次男。それから、薬師の長男。彼に深手を負わせたらしいと」
「薬師にか」
 春水は眉を寄せた。
「……それ位の挑発に乗ってそんな事をしでかしたのか。バカ者が」
「巫子の次男も、おそらく怪我を」
「剣か……どの程度の」
「肩に当てたらしいと。詳しいことは解りませんが」
「向こうの方が被害が多かったと言うわけだ。たいしたものだな」

 春水は器を机に置いた。薄い部屋着だけの軽装だったが、冬の最中でも春草の石の家は十分に暖めてある。
「御処分は」
「捨てておけ、たかが若猫の喧嘩だ……と言いたい所だが、薬師と巫子族に傷を負わせたとあってはそうも行くまい。先手を取って、こちらから詫びを入れるしかないな」
「はい」
「薬師の家には、充分な見舞いを届けさせろ。丁寧な謝状をそえてな。詫びる姿勢を見せておけばそれでいいだろう。巫子族は……そうだな」
「………」
「妙姑を行かせよう。せいぜい腰を低くさせてな。当主の従姉妹がじきじきに来たとあっては、向こうもそう無碍にはしまい。まずは反物でも三つほど包んで持たせろ。……妙姑なら、そう気位も高くないから良く言い含めれば大丈夫だろう。あとで呼んでくれ」
「解りました」
「羅猛の所には、僕が行く」
「春水様が?」
 光嚥は、いささか驚いて声を出した。
「……何も、そこまで」
「相手が悪い。薬師と巫子族じゃな。向こうが処分を決めてくる前に、先手を打つのさ」
「……しかし、先に射かけて来たのは、可南の方だと」
「相手が素直にそう認めていればな。族長に虚偽の報告をしないと、どうして言える? ……あるいは、族長が故意にそこだけ聞かないことだってあるだろうよ。今は、もめ事は避けたい。雪祭の前だ。……こっちの下手人は、誰だ」
「二人を射たのは、蘭櫂です」
「フン、じゃあ日刺は、ちゃんと相手を見て復讐した訳だ。義理堅いことだな」
「蘭櫂もお連れになりますか」
「可南へ? 逆効果だ。喧嘩をふっかける位の事しかしないだろうよ」
「いつ、おいでになります」
「今すぐ」
「……お帰りが、夜になります」
「早い方がいいと言ったろう? 大丈夫。雪はまだ降らない。共もちゃんと連れて行くよ」
 春水はやっと笑った。彼がよく一人で家を抜け出すのを光嚥が心配しているのは知っていた。
「お支度を」
「お前は下がっていい。雪祭の支度があるだろう。白妓を呼んでくれ」
「……解りました」


 丁寧な礼をして、光嚥は扉を閉めた。まだ彼は舞の衣装を身に付けたままだ。祭りの予行をしていた最中に、今日の報告を受けたのだった。

 音楽と舞の民である光族は、春草の最も近い分家だった。春草色の子供が産まれることも多くある。彼等は猫の音を支えるだけでなく、春草の血を支える分家でもあった。
 その直系、三男である光嚥は、今十九。その名の通り黄金の髪を持っていた。だがその色は褐色に近く、瞳も薄い茶色。長身の身体は舞族らしく細身ではあったが、裸体になればその全身にしなやかな筋肉を纏っていることが解る。

 春草を嫌う可南の猫達も、光族に対しては敵意を見せなかった。歌と踊りが好きな猫達は、祭りの時以外にも頻繁に光を呼び寄せた。また光も、好んで可南の猫の扉を叩き、その技を披露した。縄張りに厳しい猫達も、こと光に関しては寛大だった。光も可北の臭いを漂わせることはなるべく避け、面白がる可南猫の前で気取った春草の物まねをしてみせたりもするのだった。彼等は可北の猫、と言うよりは、流浪の芸人達のように扱われていた。

 だが光の直系である光嚥と彼の兄弟には、歌と踊りの他に、代々伝わる重要な仕事があった。
 即ち、春草の密偵。

 光嚥は、年が近いこともあり、幼い頃から春水直属の密偵を勤めていた。
 普段の彼は、光の男随一の踊り手として知られていた。可南のどこの家も、彼を歓迎した。兄二人は、優秀な楽師であった。光嚥ももう少し年をとればそうなる。光族の女達は一生を歌って踊って過ごしたが、男共はその美貌が盛りを過ぎるとみな楽師となった。
 ほとんど可北を出ることのない春水にとって、光嚥のもたらす情報は何より貴重だった。自然、無口な彼も、光嚥にはその胸の内をもらす機会が増えていた。この可北の密偵は、今や春水にとって無くてはならない存在となっていた。


「全くなあ……」
 雪道を歩きながら、光嚥は一人溜息を付いた。
「バカな若造共が。短気なマネしやがって」
 軽くあしらってはいたが、今日の事件が春水を深く悩ませているのを光嚥は知っていた。それでなければ、自ら可南へ足を運ぶ筈もない。未だに彼を仇と狙う猫達の巣へ。
 猫族の平和はまだやっと四年。
 だがそれでも、この四年は何とか穏やかにやって来たのだ。十年、と、春水は言っていた。十年経てば、戦いの記憶も薄れる。それまではなるべく可南と関わりを持たないことだ。可北の立場を立て直すのはそれからだ、と。戦いの記憶を平和のそれに塗り替えるには、少なくとも十年はかかる、と。だから彼は自らも可南を避け、一族にも出来得る限り可北から出ないようにと命じていた。今、可南と近く接するのは、新たな抗争の種を蒔くだけだ、と春水は判断していたのだ。

「四年目、か……」
 まだたった四年目だ。たかが若猫の小競り合いではあっても、それは新たな波乱の幕開けとなるかもしれなかった。今再び戦乱を呼ぶわけには、どうしてもいかない。滅びかけたこの一族を救うのは、もはや争いではない。それは二人には充分過ぎる程解っていた。

 近親結婚を繰り返してきた春草一族の生命力は、今や限界にまで弱まって来ている。それを春水が深く憂いているのを光嚥は知っていた。春草と黒の違いは、結局そこにあった。黒の血は、強い。多少他の血を混ぜても、黒い髪の子供は産まれた。だが春草の血はそうはいかなかった。その弱い血は、すぐに他の色に犯される。血を保つ為に、彼等は兄弟同士の結婚さえ辞さなかった。選択できる道は多くはない。即ち、その髪の色にこだわることをやめて、他族猫の強い血を混ぜるということ。そもそも四、五十人の狭い部落の中で純血を保とうとする方に無理があるのだ。しかし、その血に高い誇りを持つ族民達が、それに賛意を示すだろうか? あるいは、あくまで純血にこだわり、細々と一族が消えて行くのに任せるのか?

 そしてもう一つ。
 金色の髪を持つ生き物は他にもいた。春水と光嚥は既にその調査も始めていた。まだその種族と猫との、古い戦いの記録を紐解き始めたばかりではあったが。歴史の古い春草の中にはかつて、同じ言葉を持つ彼等と接触を計ったものもあったという。戦いの時代の前には、確かに彼等との共存の時代があったはずなのだ。

 しかし、彼等と直接の接触を計るには、まだ時期が尚早だった。それは一つの可能性ではあったが、それ以上の危険性をもはらんでいた。あくまで最終手段だ、と春水は言っていた。そして出来ることなら、避けて通りたい道でもあった。
 だが、今何らかのきっかけで猫族に再び闘争が起きるようなことがあれば、春草は今度こそ根絶やしにされるだろう。そんな緊急の場合には----それは別の意味で、何かの助けとなるかもしれなかった。

 光嚥が見た限り、春水は完全な平和主義者だった。もし猫が平和的共存の道を取って行けるのなら----その方法を、春水は必死に模索しているようだった。だが、この好戦的な生き物にそんな事が望めるだろうか? 相変わらず豪奢な暮らしをしていても、蛮族に追いやられた一族の精神は鬱屈している。
 そして春水の希望を打ち砕くような事件が、今日も起こったばかりだった。

 光の部落は春草のそれと隣接している。赤石の小屋から、既に兄たちの奏でる笛の音が聞こえてきていた。
 光嚥は一つ頭を降り、気持ちを舞踏の方へ切り替えようとした。所詮彼は影だ。当主に従うだけの。余計な口出しも、考えも持つまい。ただ、目、耳として神経を尖らせていることだ。
 彼は扉を開くと、楽の音の中へと戻って行った。
 全ては春水の決めることだった。
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