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XII. 再生 <サイセイ>
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 吹き荒ぶ吹雪の音が、忍び寄る気配を消していた。
 可南の頂にある羅族の集落は、完全に虚を突かれた。体勢を整えぬまま寝床で討ち果たされた猫も多かった。

 春風はその勢力を、計算し尽くして分散していた。羅族の若者の多くはこの日、明日からの狩りの遠征に備えて麓の小屋で過ごしていた。雑種の一隊でまずその小屋を密かに叩きつぶすと、小隊に別れた彼等は、赤、黒の部落を吹雪に紛れてやり過ごし、頂に遠い羅族の家々から襲撃をかけた。そして救援を絶たれた頂のその家へ、今度は全勢力を上げてなだれ込んだ。命はただ、殺し尽くすこと。


 その襲撃を予測出来た者はいなかった。猫の間に戦が絶えてもう随分の月日が経っていた。十数年前にあった人間との諍いさえすでに伝説になり初めていた。まさか、今、それも春草が可南に反旗を翻そうとは。

 直前に、羅冠は異変に気付いた。攻撃を受けたとき、その家は既に戦う体勢に入っていた。族長と寝起きを共にしていた羅族の武者達も勇猛に戦った。だが、数の差はどうしようもない。ましてや相手は春草だけではなかった。財と地位につられて春草についた雑種猫達は、相手が羅族だとは言え、ひるむことを知らなかった。

 羅冠はひたすらに春風の姿を探した。当主を失えば春草はもろいことを彼は知っていた。だが春風は、その獰猛な族長と直接切り結ぶ気など毛頭なかった。前を若猫に守らせると、彼は羅冠の幼い息子が眠る部屋へと、まっすぐに駆け込んで行った。

 羅猛は目を醒ましていた。彼はまだ八歳だったが、既に戦う事を知っていた。細剣を手に必死の抵抗を試みる。だが、剣の名手にかかっては所詮まだ子猫だ。剣をたたき落とされると、彼はすぐに若猫達の手に捉えられた。表の部屋へ引きずり出される。

 息子を盾にされ、羅冠は一瞬ひるんだ。遅く正妻を娶った彼には、自分に良く似て生まれた羅猛は尤も可愛い子供だった。父と息子は一瞬見つめ合い、そして羅冠は大剣を取り落とした。春風が父と母の首を落とすのを、羅猛はただ眺めていることしか出来なかった。一言も声は発しなかった。どうせ次は自分の番だ。

 だが歓声をあげる春草に、一瞬の隙が出来た。羅猛はそれを見逃さなかった。自分を抑える猫の腰に細剣が下がっており、それが彼のすぐ目の脇にあるのをずっと意識していた。自由な片手で素早く引き抜くと、一気にその胸を後ろ向きに突く。手がゆるみ、彼はふいに自由になった。呼吸を整える間もなく、父の落とした大剣に飛び付く。そして気配を察して振り向く春風の首に、懇親の力を込めて突きを入れた。どうせ殺されるにしても、せめてこの男を道連れにしてやりたかった。

 だがその大剣は、子猫の羅猛には重すぎた。相打ちを狙った突きは鈍く、春風は頭を振ってそれをかわした。かすった肩から僅かに血がしぶく。そして今度は春風の振り上げた細剣が、羅猛の頭の上から下りてくる。飛びすさったが、顔に激痛が走り、目の前が朱に染まる。次の太刀が、その息を止めんと降り懸かる。避け切れない、と思った刹那。


「羅猛、逃げろっ!」
 目の前に飛び込んできた影が、春風の細剣を受けとめていた。 
 黒藤だった。羅冠が放った使者が、どうにかして黒の家にだけ辿り付いたのだろう。彼は若猫を集めるようにと黒葉に言い残し、取る物もとりあえず側近だけを連れて駆け付けて来たのだった。激しく切り結ぶ彼の姿も、すぐに春草に囲まれる。迷う間もなく、羅猛は裏の部屋へと飛び込んだ。その後ろを、黒の側近達が守るように塞ぐ。素早く毛の上衣をかぶると、羅猛は狩りの装備を手に取った。馬は、あきらめた。どのみちこの雪では、足手まといにしかならない。

 裏口で見張っていた金髪の若猫は黒藤に切り捨てられていた。血が目に流れ込んで来ていたが、拭っている暇もない。既に痛みも感じてはいなかった。吹雪の中に駆け出ると、取る道に一瞬迷う。黒や赤の集落がある中腹へ下る道はどうせ春草に固められている。決心して、目の前の崖を、彼は素早く下り始めた。羚羊さえも行き交うことの無い、切り立った崖。その下には、死の谷と呼ばれる岩だらけの枯れ地が広がる。そしてその向こうは、未だ誰も越えた事のない、雪の山脈。

 朽ちかけた枝を伝っていた羅猛の手が血で滑る。残り半分の高さを一気に滑り落ちた彼は、深い雪に命を救われた。肩に新たな激痛が走る。遠のきかけた意識を何とか支えると、彼は雪から這い出した。後に戻る道は無い。目の前に、死の山。吹雪と雲に阻まれて、頂はおろかその険しい山肌も満足に見ることはできない。


「羅猛ーっ」
 吹き荒れる風をぬって、響く声。羅猛は振り返った。
それはまだ若き黒の長子。羅冠にこよなく愛されたその若猫は、いつも族長親子の側を離れたことがなかった。羅猛が生まれた時から、次の族長の側近として彼を見守って来たその姿が、遠く崖の上に立っていた。激しく降る雪で表情は見ることが出来ない。

 今の自分に羅猛を守る力が無いことを、黒葉は承知していた。一緒に逃げてもやりたかったが、中で闘っている父を見殺しにすることは出来なかった。おそらく自分もここで死ぬのだろう。その覚悟は出来ていた。だが、万一、何とか生き延びることが出来たら。
「……行け! あと一刻、何とか追手をくい止める!」
 崖に背を向け、雪のない岩を探して伝いながら、羅猛は一心に走り始めた。
「……生きて帰れ! お前が成人したら、俺がお前を……!」
 黒葉の声は、もう聞こえなかった。


 父の死も、母の死も今羅猛は忘れていた。ただ本能の底から、生きろ、と言う声がする。その声に従ってこの雪山を生き抜くこと。それだけしか考えていなかった。
 その山の向こうに何があるのか、羅猛は知らない。それは春風の手にかかるよりも過酷な死であるのかもしれなかったが、恐れは無かった。未知の世界に対する、震えの来るような好奇心さえあった。狩りの方法も、火のおこし方も、もう知っている。僅か八歳ではあっても、羅猛は今や羅族の長だった。怯えることを、自分に許してはならない。
 自分がまだ子猫であるということすら、彼はもう忘れていた。
 雪の向こうに目をこらし、羅猛は歩き続けた。血の跡は雪が消してくれるだろう。追手はまだ来ない。
 その姿は、すぐに吹雪の中に見えなくなった。
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