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XIV. 雪祭 <ユキマツリ>
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「……最後に一度だけ聞きますけど」
「何」
「……本気なんでしょうね」
 春水は笑って振り向いた。
「何を今さら。冗談でこんなことが言えるか?」
「親族の方にも、何の相談もなさらないで」
「賛成してもらえるはずがないからね。無駄な努力はしない」
「……解りました。お好きに」
 光嚥は諦めた。どうせ言い出したら聞かない当主のことだ。それにもう可南は目と鼻の先だ。
「先に行け。ここで一緒にいるのはまずい」
 光嚥は列を離れた。
 着飾った列のその先に、可南の山は既に祭りの興奮に包まれていた。


 神卸が済めば、雪祭は無礼講だ。まず舞台に族長と黒達が上がる。狩りの舞だ。まだ独身の族長の勇姿を、女達が目の色を変えて見つめている。彼の衣装は、羅族の紋をあしらった金紗。羅族の瞳の色だ。緑の女達が一月をかけて織りあげたそれを、黒葉が羅猛に無理矢理押しつけた。髪飾りも、ぶつかりあってしゃらしゃらと鳴る腕輪も全て黄金。派手な衣服を嫌う彼を飾りたてるのは、それが年に何回かの祭りの際だけでも、一苦労だった。黒達はその血を表す黒革に、やはり金糸で縫い取りをした上衣を付けている。手や胸の飾りが動く度に華やかな音を立て、踊りに華を添えた。まだ舞台には上がれない黒矢も、その衣装を着て得意気に歩き回っている。

 鹿肉の焼き物を片手に、剣は舞台に見とれていた。その横に日刺が腰を下ろす。酒の器を持った彼は、既に少し顔が赤い。
「よお、剣」
「日刺。余裕だったな。技比べ。おめっとさん」
「そっちこそ。……次は負けないぜ、細剣でも」
 勝者同志の余裕で顔を見合わせて笑う。ウキウキした気分は、互いに抑えようがない。雪祭は、祭りの中でも特別だ。雪に閉ざされた憂さを晴らそうと、寒さを押して歌や踊りが朝まで続く。若猫達とて例外では無い。今日は地位の差など関係なく、春草の女達でさえ踊りの輪に加わることもある。春は猫達の結婚の季節だ。それを前に、女と男が最後のしのぎあいをする場でもあった。

「今日こそ赤音と踊ってやる」
 日刺は自信たっぷりに言い放つ。
「アイツは絶対俺に気がある」
「ふーん」
「ふーん、じゃネェよ。お前は誰誘うんだよ」
「誰だっていいよ。踊りの輪に入っちゃえば、同じじゃん。あ、燕でも誘うかな」
 日刺は呆れた素振りで両手を広げた。
「同じじゃネェよバカ。祭りで始めに踊るオンナだぜえ。ちっとは考えろよ。分家の次男がよ」
「まあねェ。踊るのはね。嫌いじゃないけどさ」
「……だからよォ、焔誘ってやれっつーの。テレてねーでよ」
「……誰が照れてんだよ」

 黒矢を筆頭とする周りの若猫共が、こぞって自分と焔を「くっつけ」たがっているのが、剣にとってはいささか鬱陶しかった。黒葉からだってまだ正式な話は無いものを----尤も燕にはそれとなく、そのような事も話していたとは聞いていたが。だが黒葉も、自分が「惚れた女」を娶った経緯もあってか、焔の好きにさせてやろうと気長に構えているらしいのも確かであった。
 剣としても、別に彼女の事が嫌いな訳ではない。だが、まだ自分の気持ちさえもやもやとはっきりしない今、周りに囃し立てられて予定調和的に彼女と「くっつく」のも----面白みのない気がして何とは無しに嫌だった。

 気のない素振りの剣をからかうのに飽きて、日刺は楽しげに辺りを見回している。
「でもやっぱさあ、春草の女はスゲエな。作りモンみたいでよ」
「春草、嫌いじゃネェのかよ」
「女は別」
「へーえ、便利なヤツ」
 呆れてすくめた肩をふいに後ろから叩かれ、剣は振り返った。
「……焔」

 今日の彼女は全身が朱だ。その衣装も、髪も、目も。全身が、まさに燃え立つ焔のようだった。
「こ……こんな所にいていいのかよ。すぐ舞台だろ」
 何故だかも解らずどもりがちに、低い声で剣は声をかけた。成人までは舞台に上がれない男達とは違って、少女達は幼い頃から祭りの舞台で踊りを披露する。もちろん、男達の目に留まる為に。女の地位は、その男次第で全てが決まるので。
「いいのよ。ちょっと抜けて来たの」
 焔は、華やかに笑う。日刺は、我関せず、という素振りをしようとしてしきれず、横目で興味深げに二人を見比べている。
「ネエ、剣、今日始めに誰と踊るか、決めた?」
「いや、まだ……」
「よかったア。じゃ、あたしと踊って。いいでしょ?」
 気楽な調子で誘われて、あっけにとられていた剣も、思わず頷いた。
「あ? ……ああ、いいよ。別に」
「やった。じゃ、約束ね。また後で!」
 風のように去って行く彼女を、男達が次々と呼び止める。だが彼女は振り向きもせず、舞台の影に消えた。
 呆然と、剣はその後ろ姿を見つめていた。日刺が横で、低く口笛を吹いた。
「……業煮やされてやんの」
「……うるせェな」
「おまえ、情けねェ……」
「………」
 黙りこくった剣を軽く肘で小突き、日刺は楽しそうに酒の杯に顔を埋めた。


 舞台の上手、奥まった席に腰を下ろして、羅猛は踊りの輪を見つめていた。「舞台」の踊りの披露はもう終わっている。篝火の周りでは、光の民を中心に、猫達の踊りがたけなわだ。楽の音がやかましいほどに耳に来る。
「羅猛、少しは踊れよ」
 脇に座る黒里が声をかける。
「女共がまたがっかりするぜ。みんなお前狙ってンだからよ」
「好きじゃない」
 簡単に片付けて、彼は酒を手に取った。
「……たく、お前もそろそろ嫁さん貰えよ……。言い飽きたぜ。もう二十歳だろ。ガキの一人や二人いていい頃だぜ。また黒葉が怒るぜ。立場考えろってよ」
「そうだな」
「そうだな、じゃねーよ。それともアレか、お前女に興味ねェのか。かーいい男猫一人二人付けるか。でも、それにしても男じゃガキは出来ネェしなア……」
 羅猛は笑って、黒里を振り返った。
「バーカ、そんなんじゃネェよ。……お前も、人のこととやかく言ってないで、少し踊ってきたらどうだ。お前狙いの女猫共が、さっきからうろちょろしてるぜ」
「へいへい」
 黒里は立ち上がった。
「言われなくても踊って来ますよ。俺は誰かさんみたく禁欲主義じゃないしね。せいぜい祭りを楽しんでくるぜ。お前は、一人寂しく酒でも飲んでな」
「そうするよ」
 ニヤリと笑った羅猛を尻目に、黒里は肩を竦めると、脇にいた赤毛女の肩に手をかけ、踊りの輪に入って行った。
 羅猛は再び前に目を戻した。
 中央に火を焚いて、踊りの輪は楽しげにうねっている。それを若き族長はただ見つめていた。
 だが、もし注意深い者がその黄金の瞳を覗き込めば、細い光彩に映るのが祭りの篝火だけではないことに気付いたかも知れない。
 その瞳は、踊りの輪を通り越し、まだ向こうにあるものを見つめていた。黒の、側女達が集う場所。その端にひっそりと座る黄金の影。
 寂しげな微笑みを浮かべた、彫像のような女の姿を。


 寝台の横に、燕はそっとかがみ込んだ。簓がうっすらと目を開ける。
「粥と蜜を持ってきたわ……食べられる?」
「今は……いいよ」
「だめ。少し食べなさい。ちょっとでいいのよ」
 素直に起きあがって、彼は姉の腕にもたれた。木の器に口を付ける。
「春は遅いのね。今年は」
「……みたいだね」
「剣は?」
「さっきまでいた」
「そう……キレイな衣装ねエ。全部雪兎じゃないの」
 姉がすべすべした毛皮を指でなでる。簓は微笑んだ。少し得意そうに。
「暖かいよ。……剣が取って来てくれたんだ」
 燕は笑った。
「全くあんた達は……。早いトコ大人になって、さっさと嫁を貰いなさい。ナンか心配になってくるわ」
 簓も笑い返した。まだ蒼いその顔は、苦しそうな笑みしか作れなかったが。
「大丈夫だよ。剣は黒の本家にどうせ入るんだ。一緒にいるのも、あと少しさ。きっと成人まで……本当に、あと少しだから」
 弟の髪をなでて、燕は優しく言った。
「……そしたら、あたしがアンタに、可南一の嫁さんを見付けてあげるからさ」
 簓は目を閉じた。今日は本当に疲れていた。このまま少し眠りたかった。


「黒葉」
 呼ばれて、彼は振り返った。驚いて目を見張る。祭りの雑踏の中にあっても、その姿は周りから一つ、光を纏って浮いて見えた。
「……春水」
 祭りの豪奢な衣装は、彼を女猫のように見せていた。さすがの黒葉も一瞬目を細める。
「お話が、あるんです」
「……春水、俺は、その話し方は好かネェんだ。お、とか、デスとかは付けるのは止めろ」
 春水は微笑んだ。
「解った。話を、聞いてもらえる?」
「……ああ、かまわネェよ。聞くだけならな」
 黒葉は周りを見回した。
「ココじゃナンだな。黒里の小屋を借りるか。お前にゃ狭かろうが」
「かまわないよ。頼む」
 離れた場所で女と踊っていた黒里に、大声で呼びかける。振り向いた黒里は頷いたものの、歩み去る二人を不審げな顔で見送っていた。部屋に入ると、黒葉は後ろ手に扉を閉めた。暖炉に手早く火を入れる。
「盛況な雪祭だね」
 狩りの装備に溢れた黒里の部屋を、春水は珍し気に見渡している。
「世間話もいいが、そのお話、ってのが早く聞きたいね」
 いささか構えた黒葉の態度に、春水は再び微笑んだ。
「君の家族のことなんだ」
「俺の?」
 まだ話の内容がさっぱり掴めない。黒葉は当惑して顔をしかめた。
「また黒矢がナンかしでかしたかい」
「そんなんじゃないよ。娘さんのことさ」
「ムスメえ? 焔か? 黒蘭(コクラン)か?」
 黒葉が勧めた椅子に、春水はゆっくりと腰を下ろした。
「……こんな事は、普通使者を立てて言うべきだって事は解ってるんだけど」
「………」
「今日は祭りの無礼講だしね……それに、真面目に取って貰えないと困る」
「………」
 黒葉の胸に、一瞬ひらめくものがあった。だが、それはあり得ない事だ----何をどう間違っても。
「……何なんだよ。もったいぶらずにさっさと言え」
 春水はにこり、と笑った。楽しそうに。
「焔を、貰いたい。僕の、もちろん正妻に」
 黒葉は言葉を失った。
 静まりかえった部屋に、祭り囃子が華やかさを増して流れ込んで来る。
 雪祭も、今が佳境だ。
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