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XVII. 平和 <ヘイワ>
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「暖かくなったよね」
 真白は相変わらずのんびりと、平和そうに笑う。
「ああ、全くね」
 剣も思わず笑った。あんな大怪我をしたあとでも、相変わらずこの薬師は、嬉しそうな顔でいそいそと可北へ出かけて行くのだ。
 暖かくなった、どころでは無かった。可南の短い夏が始まっていた。袖無しの上衣一枚でも、馬の上で汗ばむほどだ。
「ここんとこ、良く可北に呼ばれるじゃんよ。忙しくて結構だね、薬師どの」
 真白はクスリ、と笑った。
「まあねえ、俺が呼ばれる……っつうか、剣が呼ばれるって言うかね……」
 剣は黙った。真白が可北に行くのに付き合わされるのは前からの事だったが、確かに最近その回数が増えている。可北からの使いが、「もし差し支えなかったら剣様も御一緒に」と、言付けを残して行くと言うのだ。それが誰の差し金なのか、またそれが良い事なのかどうかも、彼にはよく解らなかった。だが、いつも迷いながらも結局自分が一緒に出かけて行くのはなぜなのだろう。真白がそれをどう思っているのかは良く解っていた。剣の焔とのことは、可南の若猫の間では「引き割かれた恋人同士」として劇的に扱われていたから。

 黙り込んだ剣に、真白は少し焦った。確かにちょっとマズい話題だったかもしれない。
「あー、ねえ、剣、向日葵、ほら。満開」
 そのわざとらしさに、剣は思わず吹き出した。
「お前ってホントに……」
「何」
「解り易いヤツ」
「えーっ、ナンだよそれェ」
「いーじゃん、解り易い方がさ。俺ソッチの方が好き。お前とか、日刺とか」
「……俺、日刺と一緒にされるワケ?」
 春草の部洛はもう目の前だった。


 春水「夫妻」は、中庭で団欒の真っ最中らしかった。二人はまっすぐにそこに通された。焔の顔がぱっと明るくなる。春水も微笑んだ。
「やあ、剣、真白、ようこそ」
「こんちわ。今日は大荷物だよ。これ、どこに置く?」
「ああ、差し掛け部屋に……、剣、ちょっと座ってお茶でも飲んでて」

 二人で中庭に残されて、剣は焔の真向かいに座った。いかにも春草らしい華麗な衣装は、意外に焔に良く似合っていた。ここへ来た当初はやつれて見えた彼女も、今はすっかり健康を取り戻しているらしい。細かな刺繍を施した白の被り物に包まれた顔は、ふっくらと柔らかだった。
「剣、元気してるの?」
「もちろん。この前も、来たばっかじゃん」
「そおだよネェ。あたし、嬉しいなあ……」
 あけすけに物を言うやり方は、相変わらずだ。
「そっちはどうなんだよ。わりと元気そうだけど」
「でしょお、なんか最近、太っちゃって。こっちは食べ物ぜーたくだし」
 焔は笑った。屈託のない笑いだった。
「あたしさあ……」
 ふとしみじみとした顔になって言う。
「何」 
「……けっこーシアワセだよ。なんか、剣には心配かけちゃったけど……」
「……」
「春水は、とっても優しいし。ナンか思ってたのとゼンゼン違った。話も合うしさ。一緒に狩りに行ったりもすんのよ」
「へえー、お前が引っ張り回してンじゃないの」
「違うよお。春水けっこーヤルのよ。剣より強いかもよ」
「はいはい、ごちそーさん」
 剣も微笑んだ。もうそれは夫の肩を持つ新妻の口の訊きようだ。幸せと言う焔の言葉に嘘はないようだった。本当はほんの少し、ちくりと、胸が痛まないこともなかったのだが……ここは素直に祝ってやりたかった。
「……他のヤツはどうなんだよ。旦那は優しくて結構だけど」
「ああ」
 どうでもいいことのように、焔はぼんやりと顔をしかめた。
「いやみったらしくバカ丁寧なヤツもいるけどね……みんな気取った口訊いちゃって。もともと歓迎されないのは覚悟の上だったし……それにね」
 焔の微笑みは、自信を含んだ女の美しさを既に宿していた。
「女ってさあ、男と上手く行ってれば、他の事はわりとどーにでも処理出来たりすんのよ。春水は何かとあたしの味方についてくれるしさ」
 剣は頭を抱えた。
「俺、ノロケ訊かされるために呼ばれてるわけ」
 焔は明るく笑う。
「春水がねえ、私が可南の猫と会うのを喜ぶと思って呼んでくれるみたいなの。そんな気を使わなくたっていいのにね。……あ、でもモチロン嬉しいのよ。真白も剣も、来てくれて。でも、春水も嬉しいみたい。剣と会うの……ホントはさ、あたしにかこつけて、春水が会いたいんじゃないかな。剣と」
「春水が?」
「うん、だってあんまり友達とかいないみたいだし。歳近くてもみんな『御当主様ーっ』てカンジでしょ。今度一緒に狩りにも来ない?」
「……そんなヤボなこと出来るかよお」
 笑っているところに、二人が帰って来た。後ろに控えた女達が新たな茶と、様々な菓子類の入った篭を下げている。典雅な春草風の「お茶の時間」を迎える事となった。


 焔が花を見せに、真白を裏庭へ連れ出すと、今度は春水と二人きりになる。考えてみればそれはあの雪の平原以来の出来事だった。ずっと聞いてみたかったことを、今口にしていいものか、剣は迷った。
「春水」
「何?」
「あのよ、あの……」
 何と話を切り出して良いか解らず、顔をしかめる。
「……」
「……冬に」
「ああ」
 春水は茶の器を置いた。色付きの陶器で出来た珍しいものだ。いかにも春草らしい豪奢な形。
「ニンゲン、の話ね」
「……そう」
 一瞬の沈黙が訪れる。二人とも、何から話していいか、と戸惑うように。
「一度ね、僕もその話をしたかったんだ。君と」
 剣は春水の顔を見た。いつもの微笑みとは違う真摯な顔がそこにあった。
「君は、興味があるんだろ。彼等に」
「……興味っつうか……。いや、ある、かな。あんな出会い方すればな……」
「僕は、あるよ」
 再び茶の器を手にとって、春水は静かに続けた。
「同じ平原に、それもそんなに遠くない距離に住んでいるんだ。同じ言葉を喋り、ほぼ同じ身体を持ち、全く違う文化を持っている。それで興味がわかない方が、どうかしてる」
「同じ言葉ァ!?」
「そう」
「喋ったこと、あるのか?」
「いや」
「じゃ、どうして」
「まだ彼らと戦ったことのある長老が春草には何人か生き残ってる。それにね……」
 春水はそれでも少しためらったようだった。
「……本、がね」
「本?」
「うん。君は、字、読める?」
「……ほんの少し」
「可南じゃ珍しいよね。巫子族だからね、君は……。僕も完璧に読めるわけじゃないけど、古い本が残っているんだ。春草の、書院の地下に。人間と、猫の事を書いた」
「人間と、猫……闘い?」
「解らない言葉が多くてね……半分も、意味は解らないけどね。それによると、昔は、一緒に住んでいたらしいよ」
「一緒に、住んでた?」
「うん。それでね、」
「……」
 春水は、少し困惑したような顔をしてうつむいていた。こんな顔をしていると、コイツも可南の猫と変わりゃしないな----剣はぼんやりと思っていた。
「それで?」
「つまり……猫は、人間が、『作った』らしいよ」
「作った?」
「そう」
 その言葉の意味を剣が理解するのを待つように、春水は口を閉ざした。
「人間が、作った……?」
「うん。つまりね、元は猫も人間だったらしい。それを、どうにかして、手を加えて、変えたんだ」
「作ったって……手を加えたって?」
 剣はぼんやりと春水の言ったことを繰り返した。どう考えてよいかさっぱり解らなかったので。
「どうにかしてって……どうやって?」
「さあ」
 春水は、肩を竦めた。
「そこまでは、解らない」
「作るって……」
 剣は考え込んだ。衝撃を受けた----わけでもなかった。それはにわかには信じ難い話であったし、何よりも何の実感も伴ってこなかった。猫が、人間に、作られた?
「もし、その本が読みたければ」
 春水は続けた。
「読ませてあげてもいい。ただ、可南に持ち帰るのはダメだ。ここに来て、少しずつ読めばいい。僕より君の方が、解る所もあるかもしれない。そうしたら教えて欲しい」
「どうして、俺?」
 春水が顔を上げた。目が合う。
「君は、人間に興味を持っていると思っていた。あんな事もあったことだし。それにどうやら、」
 その唇に笑みがもれた。
「……口も堅い。僕も、誰か話し合う相手が欲しかった。彼等、について」
「アンタはさ」
 剣も僅かに微笑んだ。
「人間と関わりを持つのを嫌ってるのかと思ってたけど」
「あの時の事で? ……関わりを持ちたい、と思ってるわけじゃない。むしろ持たない方が安全なのかもしれないと思ってる。でも、一体いつまで持たずにすまされるか、大いに疑問だと思うよ……。住んでいる場所が近すぎる。次に彼等と何らかの交渉を持つときに……それが戦いなのかそうじゃないのかは解らないけど……少しでも相手のことを知っておいた方がいいんじゃないかって、そう思ってるよ。それは、猫全体の存続に関わる問題だ。可南、可北なんて言っていられない」

 剣は考え込んだ。『銃』の威力を忘れた訳では決してなかった。あの時の事を夢に見ることさえあった。あんな奴等と闘うことになるのだろうか? 同じ言葉を喋るらしい別の生き物。遠い世界の事と思っていた彼らが、本当は手の届く距離にいることを……ふいに彼は強く意識した。
「今度、一人で来る。その本、見せてくれよ」
「解った」
 焔の笑い声がする。二人が裏庭の角を曲がって来るのが見えて、剣は立ち上がった。


「ナンかさあ、語らってたじゃん。春水と」
 馬を走らせながら、真白は心なしか嬉しそうだった。
「ああ、まアね……」
「俺さあ、きっと気が合うんじゃないかと思ってたんだ。剣と春水って」
「気が、合う?」
「ああ。ナンか雰囲気似てるしさ」
「雰囲気、ねえ……」
「ナンでだよ。やっぱ嫌い?」
「……いや、まあ、別に、そうでも……」
「だろ?」
「まあ、俺が思ってたほど、ワケ解んネェヤツじゃないみたいだな」
 それ見たことか、と言った顔で、真白は笑う。
「あーあ、こーやってさ、可南と可北の境なんて、早くなくなっちゃえばいいんだよ」
 剣は、真白の顔を見た。
「お前さ、そーゆーこと考えて、昔から俺を良く可北に連れてきてたワケ?」
「はっきり言って、そう」
 真白は笑った。
「俺なりに考えてたよ。羅猛や今の黒達に、偏見無くせったって、もう無理だ。武器取って戦った相手だモンな。じゃあ、誰がそのキッカケを作れるかって……。剣は、将来どうせ黒家入るだろ。黒葉と黒里が引退したら、実質上可南は黒矢と剣の配下さ。羅猛が子供作って次の族長にするにしたって、きっと剣がそのお目付役になる。今は無理でもそのころにさ、可北に偏見のないヤツが権力握ってくれたらって。ずっとそう思ってたよ……怒るなよ、剣」
「怒っちゃネェよ……ただ、」
 心配そうに振り向いた真白の顔を、剣はまだ見つめていた。
「お前も、案外考えてたんだなあ、と思って」
「なあんだよ、それェ……」
 真白はほっとして笑った。
「みんな、それぞれ色んなこと考えてンだよなあ……。そういう年なのかな」
「剣って、俺がなんにも考えてネェぼんやりだと思ってたワケ? 日刺と一緒にすンなよ」
「あっ、それヒデエ」
 剣も笑った。
「アイツはバリバリに考えてるぜ。誰と結婚してどうやって可南の覇権握るか、なんてコトまでさ」
「日刺が可南の覇権なんて握った日には」
 真白が首を振った。
「俺のささやかな夢もおしまいだナア……。あれ」
 丘の先に、馬影が見えた。二つ。
「そのバリバリ君の登場だぜ」


 彼等二人が丘を下ってくるまで、日刺と黒矢は動かずに待っていた。その様子から、あきらかに自分達に用事があると知れる。お互い声をかけず、側まで来て、馬を止めた。
「よお」
 真白が口をきった。
「どしたの。シンコクな顔しちゃって、二人とも」
「お前に話しがあンだよ、剣」
 黒矢が言う。
「話?」
 剣は眉を上げた。
「ナンだよ。聞くぜ」
 日刺が一歩馬を前に出す。春祭の技比べの活躍で、彼は未成年にもかかわらず特別に可南の麓に居を映した。もちろん赤族の口利きあってのことだ。今の日刺は赤音の婚約者、赤族の養子同様の扱いを受けている。
「お前さあ、あんまり春草と慣れ合うなよナァ」
 彼の顔に笑みはない。声にも、ふざけた調子は無かった。
「女取られて悔しいんならよ、セコセコ通ったりしネェで、さっさと奪い返せよ。そン位のコトなら、いくらでも手伝うぜ」
「そんなんじゃネェ」
 剣は低く言った。
「じゃあ、ナンだよ。あんな怪我させられて、しっぽ振ってナツイてんじゃネェよ」
「日刺」
 真白が口を挟んだ。
「可北に行くなって? 人のショーバイに口出すなよな」
「テメエに言ってねえ。剣に言ってんだよ」
 自分に向けられた日刺の目を、剣は真っ直ぐに見返した。
「……俺がどこに行って何しようと、俺の勝手だ。お前には関係ねえだろ」
 三人は睨み合った。真白が口を出したものか、はらはらして見ている。日刺が横に唾を吐いた。
「テメエがそんな弱気でいンならよ。俺達で焔かっさらって来て、ノシつけてくれてやるぜ。楽しみにしてな」
 真白が低く、しかし鋭い声で言った。
「おい、いー加減にしろよな。焔のコトは羅猛と黒葉が決めたンだぜ、それに逆らうようなマネしやがったら、テメエ等こそ反逆者だからな。その覚悟出来てンだろうな」
「何をチャラけたコトを……」
 真白の方に馬を進めかけた日刺を、黒矢が手で制した。
「ああ、その通りだよ、真白。焔もカアイそうによ。何考えてンのか解んネェ上を持つと、俺達若猫も苦労するよナア……。行こうぜ、日刺。剣、話は、それだけだ。良く考えるんだな」
馬を返して去って行く二人を、真白は気がかりな目で見送っていた。黒矢が振り向いた。
「可南を裏切ンなよ、剣……」


「まあーったく」
 真白は珍しく顔を上気させていた。
「……コレだよっ。どーしよーもねえっ!」
 あとは言葉にならなかったが、その一言だけで、彼の憤りのほどは知れた。かえって剣の方が、慰め顔に声をかけた。
「あれはさ、仕方ネェよ真白。お前の気持ちも解るけどさ。あれが、今の可南を代表する声だと思った方がいいぜ」
「だからだよっ。ホント、あれからますます雰囲気悪くなってっからなあ……。春水が春草を可北から出さないようにしてるから、今はナンとか平和に収まってるけど……日刺達はさ、きっとまた一悶着起こそうって、手ぐすねひいてンだよ。全くよ、怪我したのはコッチなんだぜ? ワカモノは困るよなっ、血の気ばっか多くてよ」
 まるで自分が五十の老猫であるかのような口をきく。
「仕方ないさ。俺は巫子族だし、直接あの戦に巻き込まれた訳じゃないからな。黒矢も日刺も親父さん殺されてるしさ。日刺のとこなんて一族根絶やしだもんな。お前ん所だってさァ……」
「で」
 真白は剣を振り返った。
「どーすんの剣。やっぱもう行くのやめる?」
「ああ、まーナア」
 剣は溜息をついた。
「アイツ等が血の気多いってのは、お前の言う通りだしなあ。しばらく遠慮して様子見るよ。このままじゃ先に可南で血イみるぜ」
「剣が冷静で助かるよ」
 仕方なさそうに真白が笑う。
「さっき剣がイカってたら、ヤバかった」
 剣も肩を竦めた。
「俺は、バカなチョーハツに乗るほど子猫じゃない」
 二人は笑ったが、それは必ずしも明るいものではなかった。
「せっかく、今、やっと、平和な山になってるのに……。なんでそれをぶち壊したいのか、俺には解ンねえよ……」
 しばしの沈黙のあと、真白が呟いた。それはほとんど独白と解っていたので、剣は返事をしなかった。

 人間の問題を考えるのに、可南、可北は問題ではない、と春水は言った。
 だが、それはやはり問題だった。それも、すぐ目の前の。
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