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XVIII. 祝宴 <シュクエン>
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 いつもはひっそりと静まり返った巫子の家が、今日は賑わっていた。女達もいそいそと、酒や食事の支度に余念がない。
 今日は剣達の「前成人」の祝いだ。彼等はこの秋十五になる。猫の婚期は春であり、女猫の多くは春に身ごもり、秋に出産した。希に「季節はずれ」の子猫もいるにはいたのだが……。いずれにせよ猫の子供達は生まれた時ひどく小さく、その半数近くは厳しい冬を越せずに死んで行った。十五の祝いは、弱い子猫時代を無事通り過ぎた証、成人の前祝いであり、可南では毎年前成人を迎える若猫達が何処かの家に集まり、盛大に祝宴を催すのが習わしとなっていた。今年は、二人の兄弟が十五になる巫子の家が、その光栄な場に選ばれていた。

 剣達の世代が無事成人を迎える事は、可南全体にとっての喜びでもあった。四年前まで続いた戦で----本当に猫の数は減ったのだった。彼らより上の世代は、武器を取れるギリギリの子猫までが戦い、傷つき、その多くが死んで行ったのだった。やっと「次世代」が大人になり始めているのである。特に今年は巫子の双子、黒の三男、おそらくは日族を再興させるであろうと目されている日刺が揃って前成人を迎える。来年の成人の儀は、ひときわ華やかなものになるだろうと、今から楽しみにされているのであった。


「簓ア、お前、大丈夫なのかよ」
 日刺が鹿の脇肉をほおばりながら言う。
「何が?」
 簓は微笑んで日刺を見返す。日刺はいささかとぎまぎして、視線を外した。この華奢な巫子猫を、彼は若干苦手としていた。同じ歳ではあってもどこかしら近寄り難く、気軽に軽口をたたけない所があった。黒の色を持つ剣の実の兄だなどとはとても思えなかった。

「……だからさあ、いくら巫子の仕事っつったって、自分の前成人にまで神卸しなくてもいーんじゃネェかっつーこと。お前もナンか言ってやれよ、剣」
 夏の騒ぎ以来剣が可北に足を踏み入れていない、ということもあって、若猫達は再び仲の良さを取り戻していた。黒矢と日刺にすれば、剣が素直に自分たちの言うことを聞いたということで一応満足していたのだろう。

「俺もさ、そう言ったんだけど」
 剣が心配そうに簓の方を見る。簓が笑った。
「そう言う訳にはいかないよ。祝いの席なんだし。心配しなくても、その後には充分休ませてもらうから。だいたいみんな自分の『予兆』位知りたいだろ」
「俺はそんなのいらんね」
 日刺が言った。
「そんなのに頼ンなくても俺は自分のこと位自分で面倒みるさ」
「俺は聞きたいなア」
 真白が目を輝かせて言う。彼は可南の猫ではなかったが、剣の提案で今日は特別にこの席に招かれていた。
「知りたいじゃん。自分の未来なんて。それが簓の神卸ならなおさらだよ。良く当たるもんなあ。日刺、怖いんじゃねーの?」
 くすりと笑った真白に、なにおう、とつかみかかろうとする日刺を制するように、簓が笑った。
「期待させて申し訳ないけど。未来が見える、なんてはっきりした形ではないと思うよ。どうとでもとれるようなことばかりだし。いつか困った時に思い出したら役に立つかもしれない、そんな程度だよ」
「俺も聞きたいよな。……簓さえ、良かったら、だけど。もちろん」
 礼儀正しく、黒矢が言う。彼は黒の者らしく、巫子に対しては充分な尊敬の念を持っていたし、それを態度にも示そうとしていた。
「いいも何も。僕の仕事なんだから。今日は人数が多いから、ちょっと時間がかかるかもしれないけど」

 別間の支度が出来た、と告げに来た女の言葉で簓は立ち上がった。剣が目を上げた。
「まだいいじゃないか、簓。もう少し何か食べてから……」
「いや、かえって前は何も食べない方がいいんだ」
 どうせ吐いちゃうから、と言いかけて簓は飲み込んだ。心配そうな剣の瞳をこれ以上曇らせたくはなかった。
「じゃあ、行って来るよ。ゆっくりしてて」

 出て行く簓を見送る剣の様子に、真白が思わず笑いを洩らした。
「ナンだよ」
「いや、剣ってさ、俺達と喋る時より……簓には、言葉までテイネイになんのな」
 黒矢と、日刺も低く吹き出した。
「……そうかな」
「自分で気付いてないんだったら重傷。だって、みんな言ってんだぜ。剣が女猫にキョーミがなくて、焔まで逃がしちゃったのは、つまり、剣が誰かに夢中で、女の子なんか目に入んなくて……」
 こらえきれず、三人は笑い出した。笑いすぎて言葉の続かなくなった真白に、剣が飛びかかった。
「……ヤローッ!」
「おっ、やるかあ!」

 取っ組み合いになった二人の側で、黒矢と日刺はまだ笑っていた。それは本人だけが知らない、実に有名な話だったので----。また焔の名前も、成長の早い若猫達にとっては、既に胸を刺す小さな刺ではなくなりつつあったので。だが、すぐに真白は床に組み伏せられた。素手の組み手では、彼は剣の敵ではない。
「わー、参った参った」
 組み伏せられながらも、まだ彼は笑っている。
「おまえもさあ。剣」
 忙しく食物を口に運びながら、日刺が言った。
「いーかげん嫁さん決めちまえばいいんだよ。赤にだって藍にだって、イイ女はいっぱいいるぜえ。そいつ連れて黒に入りゃいいんだからさ」
「そ」
 黒矢が頷いた。
「黒蘭でもいいじゃん。黒葉だってイヤとは言わないと思うぜ。もっとも、まだ四歳だからなあ。夫っつうか、子守になるけどなあ」
 またどっと笑いが怒る。剣は諦めて、酒を手に座り込んだ。
「俺はホントに好きな女としか結婚しないの」
「だから」
 黒矢がニヤニヤ笑って言う。
「その年でホントに好きな女がいないってコトが、既にイジョーなんだって。やっぱりあれだよなあ。キレーだもんなあ。簓は」
 祝いの席にまき起こる笑いは、なかなか途絶えない。
「ナンとでも言ってな」
 もう相手にしないことにして、剣は兎肉を手に取った。なにせ前成人の育ち盛りだ。食べ物はいくらあっても余るという事はなく、女達が次々と新しい皿を運び入れる。

「日刺は、いつ婚儀すんの」
「成人したらスグ。お前はどーすんだよ、黒矢。正妻。赤にすんの。藍にすんの」
「正妻はなァ。藍の方がいいかと思って。あそこ一応黒目だろ? 俺目が赤いからさ。やっぱ子供に黒が一人はいネェとちょっとヤバいじゃん」
 黒族は春草ほどにはその「色」にはこだわらなかったが----それでも黒の威光を示す「色」は、重要視されてはいた。剣が黒入りを内定しているのも、細剣や弓の腕も勿論だが、髪と瞳の色も大きな要因ではあったのだ。
「‥‥お前は誰か、決めてンのかよ」
 仲間を捜すように、剣が真白に声をかけた。
「俺え? 俺はまだ婚儀は考えてないけどね。薬師の修行が先」
「だろ」
「でもお前、絹糸と今は仲良しだもんなあ。誰かさんとは違うよなあ」
 揶揄する調子の黒矢の言葉に、剣はもう墓穴を掘るのはやめて、食欲を満たすのに精を出し始めた。
 やがてやっと満ち足りた彼等が庭に的を出して即席の矢当てを始め、それが組み手に変わり、それにも飽きて再び部屋の中で酒を飲み始めた頃になって、やっと簓が帰って来た。

「……簓」
 さっきまで言われていたことも忘れて、剣は思わず立ち上がった。他の三人も思わず言葉を飲んだ。
 それほどまでに簓の様子は青ざめて見えた。

 いつも神卸の結果を聞くのは、周りの女達か、あるいは羅猛、黒葉の役目だったので、彼等若猫達はその時の簓の様子を目にしたことはなかったのだ。いや、その様子を見慣れていたはずの剣にさえ、今日の簓はことさら憔悴して見えた。普段はどんなに疲れていても女達に支えられる事をしない彼が、今日は一人では歩くことさえ辛そうだった。

「簓……」
 動きかけた剣を手で制して、簓は敷布の上に座った。
「黒矢」
 その声は以外にはっきりしていて、剣はいささかほっとした。だがかえってそのリンと通る声の響きが、若猫達の居ずまいを正させた。
「ああ、……はい」
 簓にじっと見つめられて、黒矢は敷布の上に座りなおした。簓の瞳はまるで内側から光っているかのように、紫の宝玉と化している。
「君には従うべきものがある。それに逆らわないこと。君の周りはいつも愛に溢れてる。それを決しておろそかにしないこと。それを忘れたら、それが君の破滅だ。自分を愛してくれる者と、自分が愛した者を、絶対に裏切ってはいけない。それさえ守れば、君は幸せになれる」
「………」
「自分の誇り、見栄のために動かないこと。愛を護るために動くこと。君が愛し護られたように……誰かを愛し護って……君はそういう星だ。いい星を持っているから。それを裏切れば、星は君を見限るだろう」
「………」
「日刺」
 日刺は黙って簓の方を見た。
「君は……自分の強さを信じるべきだ。君の不安は君を駄目にする。自分ばかりか周りも滅ぼすことになりかねない。君は滅びの星に好かれる。でもそれは、君が自分を信じている限り近付いて来ない。本来君の上にいるのは、夢と明るさに溢れた明けの明星なんだよ。それを見失なわないで。君が自分の不安に負けた時、滅びの星が君を捉えてしまうから」
 言葉を無くした日刺に、簓がやっと少し微笑んだ。
「とりあえず、君が今考えているのは良い縁組みだ。彼女は君に夢と明るさをくれるから。彼女を大切にすること」
「……まかせとけよ」
 日刺はおどけてみせようとしたが、上手くいかなかった。それはいつもの彼らしくない、妙にかすれた声だった。
「真白」
「はいっ!」
 不思議な物を見るような目で、彼は簓を見つめた。今日の簓にはやはりどこか「神」がついているように見え、その顔の青白さにもかかわらず、何か別世界の美しさを宿しているようだった。その姿に真白は見ほれていた。どうやらこの若猫達の中では、彼が一番今の状況を楽しんでいるようだった。
「君はきっとあまり迷うことがない。君は自分の好きなものと、そうでない物がもう解っている。それはきっと一生変わらない。もう君は、しっかり大人なんだよ。だから、そのままでいい。好きな物を愛して、嫌いな物には目もくれないでいい。嫌いなものまで愛そうとしたら、君は苦しむよ。……つまり、君には、」
 簓は笑った。
「……あまり、言うことがない。変わらないで、と言ったって、君は変わろうと思っても変われやしないから。今のままで、君は充分幸せなはずだ。それはそのまま続くだろう。……たとえ周りの環境が多少乱れても……君は幸せでいられるはずだよ」
「はい」
 目を丸く見開いて、真白は素直に答えた。簓は剣の方を見た。
「……剣……」
「………」
「剣……」

 二人は、なぜだかお互い相手を初めて見るような気持ちで見つめ合っていた。剣の、若く輝く漆黒の瞳、その中にある、簓に対する心配とこれから聞く言葉への僅かな不安----彼の揺れ動く心が、今の簓にはまっすぐに伝わって来た。
「君は……」
簓は言いよどんだ。疲れが、どっと襲ってきて、彼の声を曇らせた。
「君は、君の人生は、決して平穏ではない。それは不幸ではないかもしれない。けれど幸福でもないかもしれない。でもそれは、決して避けられないものだから……。だから、君がそれを幸福、と思えることを……願ってる」

 深い疲労感に襲われて、簓は手を振った。終わりの合図だ。女があわてて手を差し延べたが、それを遮って何とか一人で立つことが出来た。上手く言えたのだろうか? 伝えて良いことと、伝えてはいけないこと。彼等は皆自分の明るい未来を信じてくれたのだろうか? そして彼等の近い将来訪れる波乱に、少しでも助けとなることが出来ただろうか?
 その判断を下すには、今は疲れすぎていた。早くこの部屋を出て、少し横になりたかった。

「……簓」
 振り返った簓に、真白は無邪気に声をかける。
「……君は? 君には、予兆は無かったの? 君も今日、前成人じゃないか」
 我に帰って尋ねるように簓の方を見た若猫達に、簓は苦しそうに笑った。
「僕には、無いよ。僕は巫子だから。自分の事は……解らない。知りたくもない」
 そのまま彼は部屋を出ていった。
 剣が跳ね起きて、部屋を飛び出して行く。その背中に、黒矢が叫んだ。
「剣」
「ああ?」
 もどかしげに振り返った剣に、黒矢は手を振った。
「俺達もう帰るから。いいから行ってやれよ。世話になったって、礼言っといて、簓に」
「解った」
 剣は駆け去って行く。
 そうして若猫達は帰って行った。それぞれ自分の将来について、考え込みながら。


 そおっと、音を立てないように、剣は寝室を覗きこんだ。神卸の後の簓の疲労はいつものことで----剣の心配もいつもの事だったのだが、それにしても新たな不安をかきたてる何かが今日はあった。簓は一人で横になっていたが、目は開いていた。そっと剣に手招きをする。
 ほっとして、剣は寝台の側に寄った。
「……剣」
「いいよ、苦しいんだろ。口、きくなよ」
「大丈夫。それほどでもないんだ」
「今日、長かったから」
「……うん」
 沈黙。
 ただ側にいるだけで、なぜか二人は癒し合うことが出来た。幼いころからずっとそうだった。

「剣」
「何」
「あンまり、言いたくなかったんだ。剣には」
「なンで」
 剣は笑った。
「平穏じゃないの、大いに結構じゃないか。俺はタイクツなのより、その方がいいな」
 簓も微かに笑った。
「そう……そうだね。剣なら」

 運命----などと呼べるものがどうして存在するのかが、簓にはいつも不思議だった。
 本当はそんなもの見たくない。ない方がいい。だがいつも、猫の背負っている影が、「あれ」の語る声が、簓に何かを告げる。そしてその予兆が決して外れない事が----簓をしばし打ちのめした。戦おうにも戦えないその何かに、結局いつも負けなければいけないのは----どうしてなんだろう。いつか、誰かがきっとその輪を----でも----。

「……剣なら、きっと大丈夫。大丈夫だよ。いいお嫁さんと、……子供にも恵まれるから」
「ああ、やっぱりナァ」
「なに?」
「簓って、知ってること全部は絶対言ってないンだよな……。ま、いいや。それを聞けば安心。アイツらを見返してやれるぜ」
「そんな、何もかも見えてる訳じゃないんだから……このへんは、そんな気がするだけで、保証はないよ」
「ちぇーっ。無責任な。保証してくれよォ」
 二人は笑ったが、簓はやがて目を閉じた。剣はそっと立ち上がった。
「俺、行くから。ゆっくり休めよ、簓」
「……剣」
「何?」
 剣の瞳を再び簓は見つめていた。ひどく深い紫の瞳が、なぜか剣をいたたまれなく不安にさせた。
「簓?」
「……これだけは覚えておいて、剣。もし今度、焔が君の助けを求めて来る事があったら、彼女を拒んではいけない。彼女の望みを叶えてあげなきゃいけない。それが、きっといつか、可南の猫を救うことになる。解った?」
「……ああ、解った」
 簓の顔をのぞき込んで、剣は頷いた。
「解ったから、簓……苦しいのか?」
 いささかうろたえ気味の剣に、簓は笑ってみせた。
「いや、全然。なんか、いい気持ちだよ。今日は」
 簓は再び目を閉じた。その息がやがて規則正しい寝息に変わるまで、剣は側に座っていた。
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