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XXI. 決意 <ケツイ>
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「剣は、どうだった」
 荒々しく扉を閉めた黒葉に、羅猛は低く声をかけた。
 どすんと音を立てて、黒葉は椅子に腰を掛けた。
「……口もききゃしネェよ。ずっと簓の前に座ったっきりらしい」
「……そうか」
「そうか、じゃネェよ。落ちつき払ってるバアイか? これから……」
「俺が今まで春草に、お前に言わせりゃ寛大だったのは」
 羅猛はゆっくりとした調子で彼の言葉をさえ切った。
「無駄な争いは避けたかったからだ。可南の中に反春草感情が相変わらず根強いのは重々承知していたさ。だがこの前の戦で、猫の数は半分近くに減ったんだ。この四年の一応の平和で、やっと少しづつ戻ってきた所だ。それを、何の意味もない諍いで元の黙阿弥にするのはゴメンだった」
「………」
「だから、もしもこのまま形だけでも平和にやって行けるのなら、それはその方がいいと思っていた。平原に生きてるのは猫だけじゃない。猫の敵は外にもいる。多すぎるほどな。また四十年前のような争いが起こった時には……猫の数は、多いほどいい。たとえどんな猫であろうと」
「だからって、今度のことは……」

 羅猛は立ち上がった。
「解ってる。今度の事は……。巫子を失った。あれは、取り返しがつかない。まだ息子もいない。黒矢も危なかった。可南の優秀な猫に犠牲を出すことは、もう出来ない。これ以上のゴタゴタはもうゴメンだ。諍いが避けられないと解った以上、その原因は排除する」
「排除、ね」
「戦の支度だ、黒葉」
「そうこなくっちゃな」
 黒葉はそわそわと歩き回り始めた。
「で?」
「その前に、二つ、問題がある」
「二つ?」
「お前の問題だよ」
 察しがついたように、黒葉は立ち止まった。
「ああ……」
「一つは、春香。殺せるか?」
「春香? ……ああ」
「じゃ、殺せ」
 黒葉は眉を上げた。だがすぐに答えた。
「解った」
「女であろうと直系を残したのでは、何の意味もない。それから、」
「……」
「焔。向こうは必ず人質に取って来るだろう。助けられる保証はない。それでもいいのか」
「……あれはもう春草の女だ。俺はそう思ってる。初めっから覚悟の上さ。……あの祭りン時に、一緒に帰しちまったオレがマヌケだったってコトさ……」
 最後は呟きに近く、苦々しいものが混ざる。
「……解った。じゃあ、可南に触れを出せ。いつでも出られるように用意しておけ、と」
「で、戦略は」
「全員殺せ」
 羅猛は淡々と言った。
「特に、男は。女も、春草の色を持つ者は全て」
 黒葉は口笛を吹いた。
「……そこまでやるか」
「やるのなら、徹底的にやる。やらないなら、初めから戦になどしないことだ。またこれで遺恨を残して思い出したように戦を繰り返すなら、何の意味もない。血の対立を止めるには、結局どちらかを完全に消すしかないってコトなんだろうな。排除、と言ったのはそういう意味だ」
「やっぱお前も羅族だよナァ……。思い切ったヤツ。……春水が、自分の命を盾に、春草の命乞いをしてきたらどうする」
「アイツなら、そうして来るかもしれネェな。わりと甘い所あるからな。そうしたら初めに春水をおびき出して殺しておいて、あとから残りを片付けることだな。その方が簡単に済むだろう」
「全くで」
 黒葉は息をついた。
「こりゃ、大がかりな事になりそうだな。俺はちょっとオドシをかける位に考えてたぜ」
「それだけのことならやらない方がいいと言ったろう。それに大がかりな事になどなるものか。一日で終わる戦だろうよ。以前の奇襲とは話が違う。春水は、もともと可南と戦う気なんかありゃしなかった。今の春草に兵力は全くと言っていいほど無い。今更向こうの味方をする雑種だって一匹たりともいるものか。春水の平和主義は、確かに春草の寿命を延ばすには役だったさ。だがあいつは結局、自分の戦略を一族に行き渡らせる事が出来なかった。それがあいつの、春草の敗因だ」
「容赦無いことで」
「どうする、黒葉」
 羅猛は薄く笑った。
「一応、お前の意見も聞いてるんだぜ。やるか、やらないか」
「アホ、やるに決まってんだろ。オレは元々この日を首を長くして待っていたんでね」
「それなら、行け。何日も待つ気はない。可南でも気が高ぶってるうちにやらなければ、ビビるヤツが必ず出てくるからな」
「日取りは」
「まだいい。準備だけさせとけ」
「解った」

 黒葉は急ぎ足で小屋を出た。家には黒里が待っていた。
「どうだった」
「どうもこうも」
 彼は手を広げて見せた。
「あれはやっぱ、羅族だぜ。そういうことさ」
「だから、どうなんだよ」
「だから」
 察しの悪いヤツだな、という顔をして黒葉は言った。
「さっさと可南に触れを出せ。戦だよ」


「反対です」
 光嚥は言った。
「……そう来ると思った」
 春水は笑った。こんな時にさえ微笑みを絶やさない当主に苛立つように、光嚥は続けた。
「まず、それだけで済むなら、とっくに可南からその申し出があったはずです。でも彼等はもう戦の準備をしている。貴方一人が犠牲になった所で、彼等が戦を取りやめるとは思えない。可南の猫ははなから戦好きだ。一旦準備させた戦を止めさせるなんて事を、族長でさえ出来る訳がない……。今度のことは、彼等の血をなだめる為もあるんでしょう。ここしばらく戦乱が無かったから」
「春草は狩りの獲物と同じか。お前も案外残酷な事を言うな」
 それを無視して光嚥は続けた。
「そして春草の性格です。彼等だって自分の力もわきまえず、充分に血が荒いんだ。だからこんな騒ぎだって起こした。もしも貴方が処刑されるようなことになったら……。結局一族は復讐のためにまた可南に攻め入って、そこで皆殺しにされるだけだ。おまけに貴方がいなけりゃ、春草なんて烏合の衆。まだ貴方がいて共に戦う方が、限りなく無に近い勝利の可能性も広がろうというものだ」
「解ったよ。それは止める。多分、お前の言う通りだろう……。限りない無が、ただの無になるだけだという気もするけれどね」
「それは、否定しません」
 光嚥は静かに言った。
「それならば彼等に、まだ当主は生きている、と思って死なせてやって下さい。結局彼等の拠り所は貴方なんだから。同じ命を亡くすにしても、春草の直系が絶えてしまったと嘆きながら死ぬより、貴方の姿を拝みながら死んで行く方がどれだけマシか解らない。……ご自分を犠牲にしようなんて気がある位なら、貴方は最後に死ぬように心がけて下さい。春草の最後の一人が死ぬのを見届けてから。いや、たとえ一人になっても、死に物狂いで生き延びて下さい。死んで行った者達のために」
「光嚥」
「それが、当主としての貴方の義務です。決して、先に死ぬことじゃない」
「……心がけるよ」
「しっかり頼みますよ。それでなくとも貴方は命に執着しない方なんだから。先に死んで楽になろうなんて、小ずるいことは考えないように」
「命に執着しない生き物がこの世にいると思うか……? でも、解った。しっかり肝に命じたよ」
 春水は立ち上がった。
「一つ、頼みたい事がある」
「何です」
「お前にしか頼めない事なんだ」
「おっしゃって下さい……まだ承知、とは申せません」
「可南の軍が山を出たら……焔を、黒の家に送り届けてくれ」
「そう来ると思いました。それも、反対です。彼女がどれだけ有効な人質か、解って言ってるんですか?」
「光嚥」
 春水は強く言った。
「これは、命令だ。人質の一人や二人いた所で、この状況が少しでも改善されるとでも思うのか? それで可南が完全に手を引く、と言うのなら僕だってそうするさ。でもそんなことで躊躇する位なら、彼等は初めから兵など挙げはしない。これは彼女を犠牲にすること覚悟の戦だ。彼女にもう人質としての意味はない」
「……一つだけ伺ってもよろしいですか」
「何だ」
「彼女を、愛してらっしゃるんですか」
 動じない当主の横顔が、この時はいささか苛立ったように見えた。あるいは一瞬、その生に執着したのかもしれなかった。
「……あたりまえだ」
 光嚥は微かに頷いた。
「解りました。ご命令に従います」
「彼女を送り届けたら」
 春水は続けた。
「お前は光一党を引き連れて、白山にでも避難しろ。可南も光にまでは手を出すまい」
「私は……」
「命令だと言った」
「……解りました。仰せの通りに」
「お前に頼むことは以上だ」
 春水は微笑んだ。
「とりあえず他に知れないように、焔を連れて緑の家に隠れてくれ」
「はい」

 当主は彼に背を向けた。ふいに雲から顔を出した秋の日差しが窓からの逆光を作り、春水の体の周りに黄金の虹を描いた。だがそれはほんの一瞬のことだった。すぐにその光は儚い秋の日差しに戻り、薄暗い部屋の中に、彼等は二つの影のように立ち尽くしていた。
「……行け。もうお前は、ここに来る必要はない」
「……はい」
 それでも、扉の前で、光嚥は一瞬立ち止まった。
「春水様」
「……何だ」
 他に言うべき言葉は無かった。
「御武運を」
 春水は頷いた。光嚥はそのまま当主の元を去った。永遠に。


 そして同じ刻----可南の頂へ向かい、人目をひたすらに忍び、逃げるように登って行く影があった。陶器のような白い肌に浮かんだ嘆きと絶望と哀願の表情の為に、もはやその美しさも影を潜め、ただ唯一の細すぎる希望の糸に全てを賭け、懐に忍ばせた短剣を白い手に握りしめ、誇りも血筋も土にまみれ、ただひたすらに頂上の小屋を目指す、金色の姿が。
 
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