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XXII. 終焉 <シュウエン>
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 羅猛の予言は当たった。
 純血を誇ったその一族の終焉は、あまりにもあっけなく訪れた。
 初めの「純血」の血は可南で流れた。黒葉が、自らの手で春草の長女を切り捨てた。それが、始まり。戦の朝、投げ捨てられた血染めの死体を祭りの広場に残し、彼らは次の祭場へと駆けつけた。ときの声と共に。

 春草の戦意が劣っていたと言うべきではないだろう。彼等は充分に準備も整え、必死になって戦ったのだ。その血と、当主の為に。だが、彼等とてまさか可南が一族を皆殺しにしようと計って来るとは思わなかったに違いない。 
 可南の兵は容赦無かった。そもそも彼等の多くは肉親の誰かを春草との戦で失っており、また光嚥の言葉通り、戦に飢えてもいた。自分の力を近くで族長に見せる数少ない格好の機会でもあった。未成人でも特別に兵に加えられた日刺も、存分にその腕を振るった。そして、剣も。

 戦の混乱の中で、一度だけ、剣は若き当主と合いまみえた。細剣を二度、合わせた。お互いに言葉は交わさなかった。だが彼等の間にすぐに何人かの春草が割って入り、当主の姿を別室に消した。春草の中でも選りすぐりの武者が当主の回りを護っており、その一党は最後まで持ちこたえたらしい。一度はその姿を見失った当主を、可南の軍勢は躍起になって探した。彼を討ち取った者がその日の勇者となることは明白であったし、また彼を討ち洩らすことは何があっても許されなかった。
 当主の姿が可北裏の崖で発見されたとの知らせが入ると、猫達は功を争ってその場に駆けつけた。剣がその場に着いた時には、既に春草の残党は崖の端まで追いつめられ、その数ももはや三人ばかりとなっていた。

 そして、最後の側近が切り倒されるのを見届けると、まるでその時を待っていたかのように、春水の姿が宙を舞った。
 その一瞬を、剣は遠くから見届けていた。この戦の時でさえ目立つ緑の衣装が、まるで美しい舞でも踊るかのように空中を漂い----。

 地面に叩き付けられた瞬間は、彼の所からは見ることが出来なかったので。
 剣の目の中にはいつまでも、その姿が空中で舞い続けているかのような残像が焼き付いて離れなかった。黄金と緑の鳥が、崖から飛んで行く----。
 だが春水は翼を持たなかった。猫達は彼をそのままにしておこうとはしなかった。何人かの猫が崖下まで苦労して下り、当主の死を見届けた。剣も、その中に入った。醜く潰れた亡骸を、剣は何の感情もなく足下に見下ろしていた。顔は僅かながら原型をとどめ、それが確かに春草の当主であると知れたが、いつもの微笑みを浮かべていない顔にかつての面影を見ることが出来ず、剣はその場を立ち去った。

 僅か半日の出来事だった。歓声を上げて、可南の猫達は帰途に就いた。春草の四十人余を血祭りにあげたのに、可南の犠牲者は五人にも達しなかったのだ。豪華な戦利品を持ち帰る者、「色」が春草で無かったため、生き残ることを許された女達を側女として連れ帰る者----。ただ一つの気がかりは、何処を探しても焔の姿が見つからなかったことだった。既に春草の手で処分されていたと思われ、黒葉はやはり塞ぎこんではいたが、それは勝利の軍勢の勢いに、いささかなりとも水を差すものではなかった。いざ戦ともなれば----多少の犠牲はやむを得ない事だった。

 可南広場には既に戦勝祝いの篝火が焚かれ、春水の最期を女たちに尾鰭背鰭付けて語る者、戦利品の女の美しさを自慢する者、持って帰った細かな細工物を見せびらかすもの、まるで祭りの夜のような騒ぎとなった。光も----春草の分家であったはずの光もそれに加わった。元々可南では光を春草と一緒には考えない猫も多く、また戦勝祝いに加わることで彼らは今後の自分達の立場を明らかにしようとしたものであったろうか。唯一春草びいきであった光の直系と親族の何人かが、可南へ来ることを嫌って平原へ姿を消したと伝えられたが、ただでさえ狩猟にはそう馴染みのないはずの彼等が平原で生き延びることが出来ようはずもないと、猫達に嘲笑を浴び、すぐに忘れ去られた。光の直系の踊りや歌は確かに見事であり、惜しまれぬ事もなかったが----まだ光は大勢いた。今後の可南の音をまかなうには十分であった。


 そんな興奮の中で、剣はただ疲労感がこみ上げて来るのにじっと耐えていた。いくら狩りに慣れていたとは言っても、戦を知らなかった彼にとっては、その手で猫を殺めたこと自体初めての経験でもあり、祭りの夜から殆ど眠れなかった疲れを、今初めて身体に感じていた。
 そして可南で盛大に行われた祝宴を素通りして家へ帰り、簓の前に立った時----。
 疲労が頂点を極め、剣はその場に座り込んだ。

 何にも、ならなかった。剣は心で呟いた。
 何にもならなかった。いくら血を流してみても、何人の金髪を切り刻んでみても----簓を射た猫の顔を剣は覚えていて、その手でとどめをさすことさえしたのだが。

 簓は生き返ってはくれなかった。
 そんな事は解っていたのだ。彼は死んでしまい、その瞳が再び開くことは無く、そして明日には彼を土に返さねばならないのだ。座り込んだまま、剣は悔恨に苦しめられていた。簓の死んだ当日は何も考える事が出来ず----苦痛が改めてこみ上げて来たのは、その眠れぬ夜を過ごした後だった。なぜあの時、彼を林の外に置いて行かなかったのか。どうして疲れていた簓を祭りの夜に引き回したりしたのか。それよりも----身体の弱い彼を巫子として苦労させて来たこと。他の猫達と遊び回って一人にしていた事。後悔には限りがなく、その取り返しのつかなさが彼を打ちのめした。泣くことも、立つことさえ出来ず、剣は蕭然とその場に崩れ伏していた。

 ふいにその肩を、そっと後ろから抱きしめる腕があった。
「……剣」
 声をかけられるまでもなく、それは燕と知れた。
「……剣」
 燕はただ彼の名前を呼ぶだけで。でもそれでやっと剣は涙を取り戻す事が出来た。
 この姉が。自分より身体の弱い兄の方にその愛情を多く注いだことに、嫉妬を覚えたこともあった。それがまた、新たな後悔の種として、彼の心を刺した。
「……燕」
 燕は黙って彼を抱きしめていた。
「……生き返って、くれなかった」
「うん……そうだね、剣。いい子だったのにね……」
 燕は優しく呟いた。
「……うん」
 二人はただ夜が明けるまで、そうして抱き合っていた。


 葬儀は盛大に取り行われた。前日の戦のあおりでまだはしゃぎ加減の猫もいたが、すぐに黒達にいさめられた。巫子は可南の中でも常に尊敬の対象であったし、ましてや簓には子供がまだいない。この先燕か、剣の所に紫の目を持つ子供が産まれることはあるのかもしれなかったが、それまで可南は巫子の神卸に頼ることが出来ないのだ。それでは祭りもさぞかし気の抜けたものになるだろう。

「剣」
 黒矢が声をかけてきた。剣もさすがに人前では、自分を保つ事が出来るまでになっていた。尤も家族愛が強い猫達のこと、剣がこの葬儀で多少泣きわめいたとて誰も咎める者は無かっただろうが。事実、燕はずっと黒葉にしがみついて泣き続けていた。
「……大変、だったな」
「ああ……、いや」
「ナンかさ。俺達がバカみたいなことしたせいで……今更謝っても仕方ないけど……すまなかった」
「バカ。お前等のせいじゃネェよ。いいんだ、カタキは、討ったから」
 それが本心ではなくとも、少なくとも仇は討ったのだ、と彼は自分にも言い聞かせていたので。
「あのさ。焔、帰って来たんだ」
「……え?」
 剣は驚いて顔を上げた。あの戦の中で、誰も彼女を見付ける事は出来ず……他の猫と同様に、彼も焔のことはもう諦めていたのに。
「帰って来たって……いつ?」
「昨日、俺達と行き違いみたいに。なんでも光のヤツに連れられて来たって」
「光が……逃がしてくれたっていうワケ?」
「本人が言うには、そうじゃないって。春水が、戦の前に緑ン所に逃がしたらしい。他の春草に見つかンないように、光に送らせたって」
「……そう」
 今、あまり春水のことは考えたくなかった。剣は機械的に呟いた。
「それは、良かった」
「ん……。まあ、無理かもしンないけど、元気出せよ」
「ああ、ありがと」


 一人になりたかった。だから家に戻って、待っていた真白を見た時にも、いささかうんざりした気持ちを抑える事が出来なかった。
 その心を真白は敏感に察したものか、すぐに立ち上がって言った。
「ごめん、邪魔かとは思ったんだけど。すぐ帰るよ。ちょっと用事があって」
「邪魔だなンて」
 剣はあわてて言った。
「……ンなことネェよ。ゆっくりしてけよ」
「いいんだ。ちょっと……届け物があっただけだから」
「届け物?」
 薬師に注文を出した覚えは無かった。
 真白は布でくるんだ包みを、彼の手にそっと押しつけた。
「うん……これ。剣に、渡してくれって。渡せば、解るって」
 布の中の、重たく四角い手触り。それが何かを、開けるまでもなく彼は敏感に察していた。
「……いつ、行ったんだ」
「祭りの翌日。どうしても気になって、行ってみたんだ」
「……可南に知られたら、お前ただじゃすまないぞ」
「解ってたけど……」
 ふいに真白の目に涙がこみ上げるのを、剣は見た。
「あーあ、やべー。こんなこと知られたら、もっとただじゃすまネェな。……ゴメン剣、お前の前でこんな……失礼だよな俺って」
 激しい手つきで涙を拭う。
「簓にも……申し訳たたねェなあ。ゴメン。でもこれだけは、どうしても渡して欲しいって言われたから。受け取ってよ。頼むから」
「……ああ」
「……良かった。じゃ、邪魔したね。俺帰るわ」
 どうしても、簓によろしく、と言いそうになる。真白はあわててその言葉を飲み込んだ。
「ンじゃね」

 手を振って去って行く真白を、剣は黙って見送った。春水の死に涙を流したのは、おそらく可南では真白一人だろうと思いながら。薄幸な春草の長女ももういない今。
 いや、焔は……。泣いただろうか。泣けただろうか。勝利に沸く黒の家で。
 やがて剣は自室に引き上げ、包みをほどいた。
 思った通り、それは一冊の、古びた本。表紙の言葉さえ、彼には理解する事は出来なかったが。

 しばらく迷い、剣はその本を開いた。所々虫が食ってぼろぼろになった紙のあちらこちらに、細い筆で注意書きがしてある。比較的新しいその文字は、おそらく今は亡き春草の当主によるものなのだろう。
 剣は本を閉じた。膝の上の表紙をしばし見つめた後、再びそれを開く。
 そして今度は猛然と、読み始めた。ほとんど意味は解らなかったが、それでも彼は食い入るように読み進めて行った。女が遠慮がちに食事を知らせに来たのにも気付かない程に。
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