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XXIII. 花嫁 <ハナヨメ>
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「その話は……まだちょっと……」
 剣は困惑していた。まだ簓の葬儀から十日も経っていない。
「断る、って言うより、ナンかまだ考えられなくて……」
「だよな」
 黒葉は肩を竦めた。
「まだ葬儀終わったばっかだしなア。俺もそう言ったんだけどよ。なんかアイツがどーしても、って聞かなくってよ。話だけでも先に、なんてさあ。アイツの気持ちも解るんだが、まだちょっと早いよなア。悪かったな。甘い父親でよ」
「悪いなんて、そんな……」
 剣は口ごもった。
「ただ、ちょっとまだ……」
「いーんだ。俺が悪イんだよ。あーあ、それにしても女はコエエぜ。この間まで春水、春水、ってうるさかったクセしてよ。旦那が死んだとたんコレだぜえ。我が娘ながら恐ろしいね。だいたい側女に、ってんだってちと身の程知らずだよなァ。出戻りでよ。いい、悪かった。忘れてくれ。剣」
「………」
 黒葉の馬が丘を駆け下りて行くのを、剣は困惑気味に見下ろしていた。こんなやり方は焔らしくない、と思った。考え込みながら馬を走らせる。
 秋の気配が終わりかけた可南は、朝晩にはかなり冷え込み始めていた。家に帰ってもそんな会話をかわす相手もいない、と今更ながらに気付く。頭を振って、彼は手綱を緩めた。解放された喜びで、馬は一心に走り始めた。


 来客は黒の者だと解っていた。崖下に馬が繋いであったのだ。だがそれが焔自身だとは思わず、剣は驚いて彼女の顔を見つめた。前より大人びた、既に少女に別れを告げた女の顔。化粧でごまかしてもやつれた頬は隠しようがなく、そして真摯なその表情に何か内密の話だと悟り、彼女が口を開く前に剣は人払いをした。そして正面の敷布に、腰を下ろした。
「……聞くよ」
「……剣」
「どうしたの」
「ゴメン」
 焔は照れくさそうに口を切った。無理に笑顔を作っているのが痛々しい。
「黒葉が、いきなりヘンな話して、驚いたでしょ」
「本心とは思えなかったけど。ナンかヤケになってたりしない?」
「……ところが、本心なの」
 焔は顔を上げた。
「私を、側女に貰ってくれない? 剣はこれからお嫁さん貰うだろうから、一番下っ端の側女でいいの。出戻りだし。ううん、正式の側女じゃなくても、側遣いの内縁扱いでもいい。ここに置いて欲しいの。剣にしか、頼めなくて」
「黒の長女がそんなわけにいかないだろ」
 剣は笑った。
「でも、ナンでこんな急に? 俺も正直言って葬儀済ませたばかりだし、焔だってもう少し待った方がいいんじゃないのか? いろんな意味でさ……」
「待てないの」
 焔はうつむいた。だがやがて顔を上げると、その頬から笑顔は消えていた。
「子供が、いるの」

 剣がその言葉を理解するのに、しばらくかかった。
「私、生みたいの。絶対に」
 剣は立ち上がった。壁際にある酒の壷と、器を二つ手に取る。どうやら、酒無しでは聞けない種の話であるらしい。
「季節外れの子だわ。まだ一月も経ってない。でも解るの」
「春水の」
「……」
 二つの器を酒で満たし、焔と自分の前に置く。
「虫がいい話って解ってる。でも、生むにはこの方法しかないの。他の人になんか頼めない。剣に頼むしか無かったの」
「今ウチに来れば」
 再び彼は座り直した。
「月足らず、ということで産める、か。巫子の家なら多少金髪が混ざっても、不思議じゃない」
「………」
「黒葉に知れたら」
 剣は酒を手に取った。が、口を付けようとはしなかった。
「君は殺されるよ」
「解ってる」
「俺も、殺される」
「………」
「それでも」
「生みたいの。どうしても。剣、ゴメン。でも、私、生みたくて」

 焔の目から、こらえ切れない涙が落ちる。黒の家では泣くこともできなかった彼女の、それはおそらく初めての涙だったに違いない。まだ季節の全てを共に過ごしたこともなかった夫への、哀悼の。
 剣は顔を上げ、庭に目をやった。簓の好きだった庭だ。彼はこの庭に、冬の初めての雪が降るのを何よりも楽しみにしていた。今年ももうすぐその雪が降るだろう。それを誰よりも深く愛した者のいなくなった事を惜しみながら。

 剣は焔を振り返った。彼女は既に涙を拭い、剣の方を見つめていた。
「今日は、帰りな」
 焔は溜息をついた。こんな馬鹿な話はないと、自分でも解っていたのだ。ただ、どうしようもない気持ちを抑えかねて、ここまでやって来たのだった。
「……うん。ごめんね……剣」
「明日、来ればいい。荷物もまとめなきゃいけないだろ」
「……え?」
 まだ解しかねるように、目を上げて剣を見る。剣は微笑んだ。
「婚儀は、春になるよ。いくら俺だって、葬儀出した同じ秋に婚儀はできないから。黒葉には今日これから、俺が言いに行く。簓がいなくなって寂しいからとかナンとか、それはいくらでも言い抜けは出来るさ。黒葉だって本人があんなこと言って来た位だから、まんざら反対じゃないンだろうし」
「……剣」
 焔の目に、新たな涙がこみ上げてきた。今度のそれは、容易に止まりそうにはなかった。
「本当に……いいの? 剣……」
「いいのって今さら何言ってんだよ」
 剣は笑った。
「決死の思いで来たんだろ」
「……ありがとう、剣。……ありがとう……」
「礼なら、簓に」

 立ち上がって、彼は焔の手を取った。このまま彼女を送って黒の家まで行くつもりだった。剣は微笑んだ。簓を失ってから気の抜けたようだった自分の体に、何か新しい力がわき起こって来るのを、不思議な気持ちで感じていた。
「……アイツは、どこまで知って言ってたのかなア、ホント、不思議なヤツだったよなァ……。焔、言っとくけど、きっと俺しばらく簓の話ばっかだぜ。話相手に飢えてたしさ。それは我慢しろよ」
 焔はまだ泣いていた。泣きながら頷いた。
「剣…….ありがとう……」
「ほら、もういいって」
 剣は焔を抱き上げて立たせた。
「冷えるのは赤ん坊に悪いんだぜ。暮れない内に送るから。その前に泣き止んどけよ。黒葉が変に思うだろ」

 手を取り合って部屋を出ながら、剣はまた笑った。今度は声を出して。楽しそうに。
「それにしても、日刺が目ェ白黒させるだろうなア。嫁さん貰うのも俺に先越されて、それにどう考えたって父親になるのも俺が先になるぜ」
 焔の細い肩を支えるようにして、彼は崖の細い道を下りて行った。
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