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XXIV. 蜜月 <ミツゲツ>
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「信じらんネェ事、しやがるよなあホント」
 日刺が叫ぶように言った。可南は既に雪で覆われ、若猫達は暇にまかせ、狩りに集う機会が増えていた。その度に剣は日刺から同じ攻撃を受けていた。
「女にキョーミねえ、なんてチョーシくれやがってよ。やっぱりコイツはご大層に、焔のコト思い続けてたんだぜ。奪い返して十日も待たずに輿入れだなンてよ。やることが素早すぎて付いてけネェぜ」
「輿入れは、まだだよ。次の春だ」
「それが尚更だっつーんだよ。輿入れ前に一緒に住みます、なんて、とてもオクテの剣様のやるコトとは思えネェよ」
「仕方ないだろう」
 剣はしれっと言った。
「寂しかったんだ俺。簓もいなくなっちゃってさ」
「まあ、いーじゃん」
 黒矢はニヤニヤ笑って言った。彼とすればこの輿入れに不満のあろう筈がない。既に目尻が下がっている。
「黒葉が言ってたぜ。焔が、一日でも早く一緒に住みたい、って訊かなかったって。そうだよナア。あいつ、ずっと剣のコト好きで好きでしょーが無かったんだモンなあ。やっと願いがかなったんだよ」
「ま、そう言う事になるのかね」
 藍高も言う。
「とりあえず、メデタシメデタシで、良かったじゃねェか。先越されたからって、文句言うなよ、日刺」
「ンなんじゃネェよ」
 日刺の抗議を聞いてか聞かずか、黒矢はしみじみとした調子で続ける。
「前の春にサァ。ここであいつの婚列見送った時のこと、忘れられないぜ。まるで葬列みたいだったもんなあ」
「お前、焔と剣くっつけたがってたモンな」
 藍高が笑った。
「願いが叶った、ってのはお前のほうじゃねーのか」
「そ、俺は嬉しくてしょーがねーの」
 黒矢は素直に認めた。そして剣の方を振り返った。
「それにしても、ナンでお前、黒の方に来ねえんだよ。焔の婿なんだぜ。大手振って本家来れるじゃネェか」

 ほら来た。と剣は思った。さんざん黒葉達からも誘われ続けている。確かにそれが自然なことなのだ。だが、焔の子供を黒の本家で生ませる訳にはいかない。さすがに月足らずかそうでないか、百戦錬磨の黒の女房達にはすぐに見抜かれてしまうだろう。

「ああ……でもさ。せめて一年経つまでは……あの家にいてやりたくて」
 何から一年、なのかは言わないでも解る。簓の名前をこんなことに使うのはいささか後ろめたくもあったのだが。さすがに皆少しシュンとなる。
「そうだよな。だいたいこの蜜月時代を、黒のお目つけ付きで過ごすってのも、気がきかネェぜ」
 藍高が気を引き立てるように言う。
「二人っきりがイチバン」
「一年とは言わないまでも、せめて春に婚儀あげるまでは、ってさ」
 剣が続けた。
「黒葉にワガママ言ってんだ」
「ま、そーゆーことならいいよ」
 黒矢も言った。
「春までだもんな。せいぜいそれまで二人で自由を満喫しとけよ」
 剣は目を上げて太陽の位置を計った。もう昼近い。
「悪ィ、俺今日はもう帰んなきゃ。焔待たせてっから」
 ひゅー、と黒矢が口笛を吹いた。
「仲のよろしいコトで。大いに結構。日刺、この分じゃ嫁さんどころか、子供まで先越されっぜ、きっと」
 黒矢はからかったつもりだった。剣はニヤリと笑った。もう公表する時期だ。どうせ春までには生まれてしまう。
「ああ、実はそうらしいんだ。だから真白に来てもらっててサア。待たせっと悪いから、俺もう行くわ」
 手を振って駆け出した剣を若猫達は呆然と見送った。
 この後大騒ぎになるのだろうが、それは剣の知ったことではなかった。


「焔、どう?」
「剣、お帰り」
 焔は満面の笑みだ。側に座っていた真白も、楽しそうに笑った。
「剣、おめでとう、お父さん」
「えー、ナンだよォ、……そっかー、やっぱそーだったかあ……」
 照れた振りをする必要は無かった。自分が父親になる、という感覚は、いつも彼を本当に照れくさい気持ちにさせたので。
「そ。何だか信じられないなァ。剣がイチバン始めに父親になるナンてさ。おまけに成人前。やるねー」
「ナカナカいい気分だぜ。お前も早く作ったら」
 剣はニヤリと笑う。真昼は耳を塞いでみせ、立ち上がった。
「あー、これ以上ここにいると、ノロケ病が俺にも移っちゃう。それは日刺の特権だと思ってたけどね。さ、忙しい薬師様は帰りますよ。後はごゆっくり」

 その家を出ると、真白は気がかりそうに一度振り返った。だがすぐにきびすを返し、細い道を下り始める。小さな疑惑が彼をとらえていた。だがそれはあの二人の問題だった。彼が口を出すことではない。彼は急ぎ足でその村を離れた。

「剣」
「あー、何」
「お腹減ってない? ナンか作ろっか」
「いいよ」
 剣は笑った。
「一応巫子の家は、人手は足りてる。行儀見習いの女、ってのが山ほど来るんでね。焔はゆっくり構えて、元気な子供生むことだけ考えてりゃいいのさ」
「なーんか、すること無いンだもん。退屈で」
「春草の家なんか、もっとすること無かったろ」
 剣のあけすけな物言いが、焔は好きだった。彼の遠慮の無さのお陰で、春水の名前さえこの家では禁句でなくなっていた。
「そーでもないのよ。あっちは食事とか全部儀式みたいなモンでさ。時間かかって大変。御当主へのご挨拶の時間、なんてのまであってさ。下々の春草が列作って待ってんの。かえって黒の家より忙しかった位」
「じゃ、ますます今はのんびりしたらいーじゃネェか」
 剣はごろり、と横になると、焔の膝に頭をもたせかけた。腹に重みをかけないように注意しながら。
「どうせ来年になりゃ、黒の本家に戻るんだぜ。そしたら又死ぬほど働かなきゃいけなくなるぜ。黒の正妻ったら、そーゆーコトだろ」
「……えー」
 焔は照れくさそうに言った。
「……あたし、正妻なの?」
「あたりまえじゃん」
 焔の顔を見上げて、剣は笑った。
「イチバン初めの嫁さんは、正妻なの。俺、そう決めてたの」
「えー、いいのかナァ……」
「いーの」
 顔を見合わせて、二人は微笑んだ。

 女達が、影からこっそり部屋の様子を覗いて、クスクスと笑っている。
 もしかしたら簓の居たときよりもなお明るくなったかもしれない剣の様子を、皆喜んでいたのだ。二人の様子は何処から見ても、まだ若い蜜月の新婚夫婦そのものだった。おまけに早々に子供まで出来たとあっては、何も言うことはない。

 やがて口笛が聞こえ、剣は面倒臭そうに立ち上がった。黒里の口笛だ。彼がわざわざここまでやって来ることは珍しかった。剣は無言で家の外に出た。おおよその用件は知れている。黒里にとっても、焔の前では避けたい話題に違いない。

 可南の猫のほとんどは、焔は春草の単なる人質であったと思っている。春香が可南でそうあったように。だから焔と春水が本当に夫婦生活を送っていたなどと誰も思ってはいない。だが黒の家はその限りではなかった。焔が来る度にその仲の良さを吹聴していたのだから。彼等の心配は尤ものことであり、そしてそれはまがうかたなき真実でもあるのだ。全てを隠し通すことは、そう容易ではないかもしれなかった。


「よオ、黒里」
「元気かァ、剣」
「もちろん」
「ナンかよォ、お前評判だぜ」
 彼はニヤニヤと笑った。
「嫁さん貰ってから、すっかり男っぽくなったってさ。そのうち側女志願の年増猫達がウジャウジャ群がって来っから、気ィつけな」
「ありがたいけどね」
 剣もニヤリ、と笑った。
「当分は焔一人で充分だよ」
「あー、」
 黒里は頭を掻いた。
「真白が言ってたコトはホントだなあ……オメエ、日刺のノロケ病が移ってるぜ」
 それでは黒里は既に真白と会ったのだ。多分、焔を診察したその帰りを捕まえて。その時真白に何を聞いたのか、真白がどう答えたのか、知るよしも無かったが。
「ま、いーじゃん。こんな時位、見逃してくれよ」
「……ガキ出来たってな。おめっとさん」
「真白に聞いた?」
「……ああ」
「まあ、そう言うこと。今ちゃんとわかったことだからさ。黒の家には明日にでも報告に……」
 いきなり黒里が彼の胸ぐらを掴んで引き寄せた。剣は目をむいた。
「……ナンだよ」
「……剣」
 低い声で、黒里が言う。
「一度しか聞かネェがな」
「だから、何だって」
「あれはホントに、お前のガキか?」

 これは賭だった。文字通り命賭けの。ここで一旦嘘を付けば……その嘘は一生守られなければならない。万が一どこかでこの賭けに負ければ、剣も、焔も、ましてや生まれて来る子供も命が無い。だが、今更後に引く事は出来なかった。そもそも剣にはそのつもりも毛頭無かった。

 剣は、黒里の手を払いのけた。
「それってもしかしてさ……」
「………」
「あのさあ、黒里」
 剣は腕組みをして、彼をねめつけた。
「それってかなりバカにしてネェか? だいたい、もし万が一春水のガキだったらよ。俺が生ませるとでも思うか? 一応俺の、巫子族の、第一子なんだぜ。人様のガキ生ませる物好きが何処にいるってんだよ。いくらなんでも、頭来るぜ」
「……そーだよな」
「アホな心配しねーで大丈夫だよ。その、何だ、あの、月の物ってやつだって来た時あったんだからよ。俺だって、さすがにその辺りは確認してだな……」
 照れて赤くなった剣に黒里は笑った。
「悪ィ。実は真白も、まだ一月位、って言ってたから、安心はしてたンだよ。でも、一応な。季節外れだし、もしそんなことでもあったら、放っとけネェ問題だからよ」
「………」
「羅猛が何であそこまでやったかって。直系の血なんて残した日にゃ、何の意味も無かった、ってコトになっちまうからな。羅猛も黒葉も、ちっと神経質になってんだよ。悪かったな」
 黒里に肩を叩かれ、剣は仕方なさそうに微笑んだ。
「……黒葉によろしく」
「ああ、言っとくよ」
「明日、挨拶に行くから」

 黒里を見送りながら、剣は我知らず微笑んでいた。自分でも驚いたことに、彼はこの状況を楽しんでさえいるらしい。この分なら光に弟子入りして寸劇の名優になれるかもしれない、と彼は一人ごちた。春水の一粒種の父親となることに、もういささかの迷いも無かった。それは簓の言い残した言葉のせいなのかもしれなかったが。
「束になってかかって来い、だ」
 剣は微笑んだ。
「俺が守ってやるからな。きっと」

 今まで守りたくて守りきれなかったもの。その替わりに、彼はこの子供を守り通そうとしているのかもしれなかった。その気持ちが、彼に新たな勇気と明るさを与えていた。
 微笑んだまま、彼は焔の所に戻って行った。自分の名優ぶりを、どんな風に面白おかしく話してやろうか、と考えながら。
 
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