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XXV. 誕生 <タンジョウ>
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 黒の家からの手伝いの話を、剣は断った。月足らずの出産を心配して、燕が再三言って来たにもかかわらず、だ。出産に立ち会うのは、自分の家に最も古くからいた女二人、そして真白のみ、と決めていた。まさかの時に口止めが出来るように。口止めをしてその後どう出来るという訳でもなかったのだが----だがこれで、当座は凌げる。

 実際には、月は充分足りていた。遅すぎる位だった。それが焔と剣には救いだった。本当に月足らずで生まれて来た日には、いくらなんでも言い抜けは不可能だったに違いない。考えてみれば危ない橋を渡って来たものだ。そしてその危機は今でも続いていた。春草の血は他の血に弱いとは言っても、何せ直系の子供だ。本当に金髪と、緑の目をした子供が産まれてしまったら? 子供と焔はすぐに殺されるだろう。そして、おそらくは剣も。
 だが剣は、あまり心配してはいなかった。それが可南の猫を救うことになる、と簓は言ったのだ。焔の帰還を彼が予期していた以上、その先の言葉も信じるべきだ。だから赤ん坊は無事に生まれ、そして生き延びる事だろう。
 それでも。それは、あくまで理屈だけの話。


 剣は部屋の前を、落ちつきなくウロウロと歩き回っていた。思ったよりも時間がかかっている。真白は剣の側に座っていた。何か中で難しい事があればすぐに彼が呼ばれるはずだ。何の動きもないということは、時間は経っているものの、順調に進んでいる、ということなのだろうか。剣は溜息をついた。もし、赤ん坊ばかりか焔を失うことになったら。それは既に彼にとって耐えきれないこととなっていたので。
 そんな彼の様子を、真白は微笑ましく眺めていた。彼はほとんど心配をしていなかった。焔は健康だ。そしてお腹の子供も、彼が今まで見てきた所によると、順調に育っていた。いささか順調すぎるほどに。真白には、事態のおおよその察しはついていた。長年の経験で、月足らずとそうでない子供の区別くらいは付く。だがそれを、彼は焔自身にさえ問いただすことはしなかった。これからもずっと、気付かない振りをしているつもりだった。

「剣ィ、少しは落ちつけよ」
 真白が声をかけた。
「こン位かかるのしょっちゅうだって。お前が歩き回ったからって早く生まれるワケじゃないンだぜ」
「あ? ……ああ、そーだな」
 真白の声が聞こえているのかいないのか、彼は足を止めず、初めての子供を待つ父親らしく「床を削って」いた。真白と父親、薬師の二人は、出産を待つ父親の円運動を面白がってそう呼んでいた。だがその光景を見慣れているはずの真白も、それが自分の親しい友人ともなるとやけに新鮮で、笑いをこらえ、飽きることもなく剣の様子を見守っていた。

「お前の方が疲れちゃうぜ。無事生まれたら、お前が元気な顔で焔を誉めてあげなきゃいけないんだからさ」
「うん……」
 真白に諌められて、剣はやっと腰を下ろした。
「……お前さ、今まで何人位メンドー見たわけ」
「お産の? ……さア、五十人くらいは行くかなァ」
「あー、」
 剣は髪をかきむしった。
「よく耐えられンなあ……俺は、ゴメンだ。こんなん、耐えらンねえよ……。あーんな、細い身体でさ。腹ばっかあんなデカいんだぜえ。ちゃんと出て来られンのかナァ……」
 真白は吹き出した。
「大丈夫、焔はそんな細すぎるってコトは無いって……。お前の姉さんだって細いけど、もう三人も無事に生んでるじゃん」
「燕は、アイツは、けっこー図太いからサア。焔は、ああ見えて、わりと繊細なんだぜ……」

 あまり笑うまい、と真白は自分に言い聞かせた。剣は、過ぎるほど真剣なのだから。
 だがこの友人の珍しい錯乱ぶりは、後で必ず日刺や黒矢に話して聞かせてやろう、と心に決めていた。尤も彼等もその時を迎えれば、この若い父親を笑ってはいられなくなるのかもしれないが。
「赤の血、持つ女はさ、みんなお産上手だから。大丈夫だよ。あそこの若猫、みんな元気だろ」
 剣が何か言い返そうとしたその時、激しいほど元気な泣き声が聞こえてきて、彼は跳ね上がった。そしてその瞬間、ありとあらゆる不安が再び心をよぎった。もしその子の髪が?そして目が? それを振り切るように、彼は部屋の入り口に駆け寄った。真白も既に立ち上がっていた。

 女が一人出てきた。剣の生まれた時からこの家にいた乳母だ。
「生まれましたよ……元気な……男の子で……きっとびっくりなさいますよ。焔様も、お元気で……」
 女が僅かに涙ぐんでいる。それが一瞬剣を怯えさせた。しかし女の顔に不吉な影はない。後ろから、もう一人の女が赤ん坊を見せようと抱えてきた。
 剣はおそるおそるその子を腕に抱き。
 そして、言葉を無くした。

 一体どんな血の悪戯だったのだろう? 猫の神がどこかで彼等を見守っていたのだとしたら。彼は本当に恩寵に溢れ、そして悪戯好きだったに違いない。
 剣の手の中のその子は、輝くばかりの黄金の髪を持ち。 
 そして、生まれたばかりなのにぱっちりと開いたその瞳は、鮮やかな紫だった。

 とり落とすことだけはすまいと、彼は息子をしっかりと抱え、そして穴のあくほどその顔を見つめていた。
 女がこらえきれずに泣き出した。
「本当に……簓様と同じ目をしていらして……」
 あとの言葉は嗚咽に変わった。
「……簓……」
 剣の瞳から、涙がこぼれた。
「……簓、お前の、悪戯か?……」
 真白も、うっすらと涙を浮かべていた。彼の小さな疑念が間違いであったことを感謝しながら。それは本当は間違いではなかったのだが。いずれにせよ、真白は嬉しかった。友人の心にぽっかりと空いたままだった穴が、これで埋められることを予感して。
「……簓」
 剣はその子供にほおずりした。
「……お前の名前は、簓だ。それしかないよなあ。きっと焔も賛成してくれるさ」
 この子が、猫達を救う。簓はそう言ったのだ。彼の言葉は、最後まで外れなかった。この子は、確かに猫達を支えて行くのだろう。その巫子の力をもって。
 焔に声をかけようと、剣は部屋の中に入って行った。
 
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