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XXVIII. 可南 <カナン>
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 おだやかな夏が訪れていた。
 なにかと儀礼の多い春、秋に挟まれて、可南の夏は静かに過ぎて行く。もともと猫は暑さより寒さに強い動物らしく、この季節は必要以上の狩りをすることもなく、それぞれの家で過ごす事が多かった。羅猛と黒の下にしっかりと結集した可南はいささかの波音を立てることもなく、平和な夏を迎えていた。


「入れよ」
 声に迎えられて黒葉が扉を開いた。
「よお。暑いな」
「今年は特にそうみたいだな」
 羅猛は暖炉の前で矢尻を研いでいた。そこが彼の定位置らしい。
「……なーんか、お前いつもそれやってんな。熱心なことで」
「暇なんでね」
 黒葉は小屋を見回した。質素だが暮らしやすそうに調度がしつらえられ、いつ来てもきちんと片づいている。
「とても独りモンの小屋とは思えネェなあ。マメなヤツ」
 羅猛は笑った。らしくない黒葉の世間話は、何か言い出しにくい言葉のきっかけ探しだと知っていた。
「で、何だ」
「何が」
「ナンか用があって来たんだろ。そう言う顔してるぜ」
 フン、と黒葉は鼻で笑った。
「ああ、まあな」
 羅猛は手を休めることなく、壁際の棚を顎でしゃくって見せた。黒葉の好きな火酒がそこにある。黒葉はそれを器になみなみと注ぐと、立ったまま呑み始めた。
「オメエによ、一つ聞きたい事がある」
「何だ」
 暑さを押して来た黒葉は、既に二杯目の酒を注いでいた。だがそれに口は付けず机の上に置くと、族長の方を振り向いた。
「オメエ、ガキ作る気ィ、あんのか」
「どういう意味だ」
「言葉通りの意味よ。お前、羅族の血繋いでく気あんのか?あるんなら何でオンナ取らねえ」
「別に。気に入った女がいない」
「そっぽ向いてンじゃネェよ。真面目な話だぜ」

 羅猛は黒葉を振り向いた。目には面白がっているような光さえある。
 それに苛立つかのように、黒葉は再び酒を手に取った。
「いつまでものらりくらりと……アホな言い訳してんじゃネェ。春草やっつけた時に俺は確信したね。オメエは思ったより何でも計算ずくでやってくヤツなんだって。もしお前に自分のガキ残して可南を嗣がせる気があるんなら、とっくにそうしてただろうよ。気に添わない女とでもナンでもガキこさえてよ。焔だって、誰だっていい。それなりの地位と身体持った女とよ。だが、それをしねェってのは」
「ほお〜、少しは考える頭もあると認めてもらった訳だ。有り難い事に」
 茶々を入れる羅猛を黒葉は完全に無視した。
「お前、羅族絶やす気か。ガキ作る気ネェんだろ」
「だから、考えすぎだ」
「へーえ、そーですかね」
 黒葉はずかずかと羅猛の前へ歩いてきた。族長の前に仁王立ちになる。
「ヒトのことナメんのもいー加減にしやがれ。……俺はなあ、お前がとことんアホなんだと思ってたぜ。俺のオンナに懸想なんかしやがって。そンならそれで、力ずくで奪い取ればいいじゃねえかよ。それもしやしねえ。義理立てだか遠慮だかしらねえが、そんなアホなヤツにこっちからオンナ譲るなんざあ願い下げだ。だからお前がそう出てくるまで待ってたんだ。それをあっさり殺せ、だ」
 羅猛は黙って肩を竦めた。
「まあ、あのアマは仕方がネェ。場合が場合だ。そんなら今度こそ諦めて他のオンナとっつかまえるかと思やあ、それもネェ。そうなっちゃ、マジでお前にその気が無いとしか思えねえじゃねえかよ。それともお前アレかい。女相手にタタねえのかよ。ええ?」 
「……ふうん」
 羅猛は笑って立ち上がった。
「さすがだナア、黒葉。なかなかご明察だ」
「あのな……」
「タタねえんだよ。俺」
 黒葉は目を閉じた。まず三つ数えよう。それからこの頭にくる若猫を殴りつけよう。
「羅族は俺で絶やす」
 羅猛が低く言った。


「バカヤロウ、どのツラ下げてそんな事言いやがる」
 黒葉は本気で怒っていた。
「俺がナンの為にオメエのこと待ってたと思ってんだ。お前は羅族のたった一人の生き残りなんだぜ、その責任も考えろ。羅冠がな、オメエの親父がな、あの時どんな気持ちでな……」
「あのな、黒葉」
 羅猛は自分の酒を注いだ。
「羅族なんてモンは、始めははみ出しモンの雑種の集まりだったんだぜ。それが今さら血がどうのこうのに何の意味がある?」
「……ホンキで言ってンのか?」
「当然だ。もう俺一人になっちまった羅族なんて、邪魔なだけだ。あの時、猫がバラバラになっていた時、強かった羅族の、羅冠の幻想で一時猫をまとめるのには確かに役に立っただろうさ。オレは体のいい可南のマトメ役には丁度良かった。だがもう時代が違う。今の若猫は羅族の幻になんか縛られちゃいネェ。もうあいつらに羅族なんて必要ねェんだよ。……だいたいこの猫の山で、族長が世襲なんてのがそもそも不自然なのさ。そん時一番向いてるヤツがなればいい。だが、羅族が残ってる限りそうは出来ねェだろ。俺が良くてもお前や、他のヤツがよ。そうはさせねえだろ。だから、羅族は消す」
「簡単すぎるんだよ、お前の理屈はよ……」
 イライラと言う黒葉に羅猛は向き直った。
「そうか? 今の方が不自然だと思わねぇか? ……猫ってのはな、本来固まって住む動物じゃネェんだよ。縄張りも広い。個性も我侭も強い。だが、この平原で生き残ってくためには、それをなんとかまとめあげて行くしか無かったってワケだろ。じゃなきゃとっくに人間なり、他の動物なりに滅ぼされてたんだろうよ。そのためには、どうしても長が必要になる。もともと集団が嫌いな動物を束ねて行くってのは、結構メンドクサイ仕事だぜ。それを世襲制にしようなんてのがそもそも無理なんだ。だから今まで諍いが絶えなかった。やれ春草の血だ、黒だ羅族だナンてコトになっちまう。これだけ数が減った猫が、何が血だ血族だ。そんなモンに拘ってるから春草はあの始末だ。このままじゃ可南だって二の舞だぜ。俺はそれを止めたいのさ。それだけの話だ。たしかに簡単な理屈だがな」
「だけどよ」
 黒葉はまだ不満そうに呟いた。
「世襲制にしてたから、争いが少なくて済んだ、ってこともあるじゃねえか。じゃなきゃ、次の族長決めるたんびにまた戦になるぜ」
「そうかもしえねえな」
 羅猛は平然と答えた。
「ま……いざとなりゃ力で競い合って、なりたいヤツがもぎ取ればいい」
「……お前、ナンかそれ、無茶苦茶矛盾してネェか」
「そうか? 少なくとも俺は、羅族は長になるモンだ、ナンておかしな因習は消してしまいたいのさ。じゃないと、今度は金の目を護るために戦々恐々なんてアホなことにもなりかねねえ。その時強いヤツが、なりたいヤツが……周りが認めたヤツが長になる。その方がよっぽど自然だろ。羅族はもう俺一人だ……どうあがいたって滅びるはずの一族だぜ。猫が強くなって行くためには、一族がどうの、なんて邪魔なだけだ。その為にはまず羅族を消すのが手っ取り早い。……消す気なんかなくても、どうせ俺一人じゃ二代と続かねェだろうしな……ま、お前には悪かったよ。相談もしねーでな。だけどお前、どうせ反対したろ」
「あたりめェだろ……」
 黒葉は頭を抱えた。
「俺がここを守って……オメエを待ってたのは、羅族を消すためじゃネェんだぜ……」
「親父は……羅冠は、確かに凄いヤツだったと思う」
 静かな口調で、羅猛は続けた。
「だけどそれは羅冠が凄かっただけの話だ。親父と、その何代か前のお陰で羅族の伝説が出来ちまったのさ。過去の羅族がみんな偉大だった訳じゃないだろ」
「……知った風な口ききやがって」
 頭を抱えたまま、黒葉は呟いた。
「お前の次、どうすんだよ……」
「それなんだ」
 羅猛はニヤリ、と笑った。
「クドクド言ったのはよ、お前にそれ相談したくてな」
 黒葉は顔を上げた。
「決めてあんのか」
「まあな」
「誰だ」
 羅猛は二つの器を、再び酒で満たした。
「剣だ」


 黒葉は何か言おうとした。言おうとして、考えた。そしてやがて呟いた。
「……オメエと六歳しか違わネェ」
「それだけ違えば十分だ」
 考え込む黒葉に、羅猛はニヤリと笑った。
「……不満か」
「不満だ。当たり前だ。なんであんな若造に」
「おやおや、俺が族長継いだのは十六だぜ。十分若造だったろ。それに何も今すぐとは言ってねえ」
「………」
 黙り込む黒葉を半分承諾したと取ったのか、羅猛は話し続けた。
「少なくとも、黙っちゃいねえヤツが何人かいるだろうな。赤はあぶねえもんだ。赤騎はもう歳だが次の……赤星は一悶着起こすかもしれネェな。気も強いしなアイツ。ましてや剣は自分より下だ。もしかしたらお前の弟も……黒矢も素直にウンとは言わねえかもな。あいつは羅族がここに居る限り何も言わんだろうが、自分と同じ黒、それも分家となったら色々と考え出すだろう。問題は藍だが、藍は黒に忠実だ。お前の態度見て決めることになるんだろうな。だから、お前の協力が必要だ。藍も黒も、お前にかかってる。当然だがな」
「………」
「それとも黒に……長やらせたいか? 黒葉。お前の弟に、黒矢に」
 黒葉はしばし考えた。
「いや……アイツは、違うな。それに黒は……頂向きじゃねぇんだろうな……一つ下が似合ってる」
「お前がそう言うんなら、そうなんだろうな」
「……だから俺は、オメエを待ってたんだぜ。それを今更……」
「言ってみりゃ剣はツナギってことにもなりかねねぇ」
 黒葉の繰り言を無視するかのように羅猛は言葉を継いだ。
「俺が可南を再び一つにまとめるためのツナギだったとしたら、あいつは長を羅族から引き離すための繋ぎ……剣は丁度いい位置にいる。巫子族は黒の分家だが黒じゃねぇ。だが可南の一族ではある。めんどくせえ部門族を背負ってはいないが黒の支援は受けられる。……だが何れにせよ、そうすんなりと行くとは俺も思っちゃいない。もしかしたら、お前の言うことの方が正しいかもしれないさ。またどーしよーもねー戦が始まることも考えられる。どう転んでも剣にとっちゃ辛いことになるだろうさ……。だがな、何よりもアイツは向いてると思うぜ。頂に。まだ若ェくせに慎重で、考えがまとまるまで余計なことを口走ったりもしない。何より弓と細剣の腕も立つ」
「………」
「それもこれもお前次第だ黒葉。お前の賛同がない限り、はなから無理な話だからな」
「そん時、俺がまだ生きてれば、のハナシだろ」
 黒葉は鼻をならした。
「俺の次の黒は、黒矢が継いでんだぜ。俺のガキは……黒芝は次には小さすぎる。黒矢がどう出るかね」
「俺はそんなに待つつもりはないぜ、黒葉」
「……オイ」
「心配すんな。今日明日って話でもない。時期は……しっかり見極めネェとな。剣がまだ若すぎず、お前が年食い過ぎず、少なくともアイツが二十歳になるのは待たネェとな」
「剣が二十歳って……お前まだ二十六じゃねえか。そんなんで頂下りる気か」
「だからさ。まだ俺が若ければ、俺も協力出来る」
「あと五年、か……」
「だからその五年の間に考えてくれよ。俺も何も今すぐお前からの返事聞こうと思って言った訳じゃネェよ」
 ちらり、と黒葉は羅猛の顔を振り返った。
「お前、もう決めてんだな。昨日今日考えたハナシじゃなさそうだ」
「ああ」
「そうか……」
 黒葉はゆっくりと頷いた。
「お前がもう迷ってねえなら……俺にだって異存はネェよ。お前は族長だ。羅猛、お前の言葉は俺の言葉だ。お前がここに、頂に座った時から俺が言って来た通り」
「じゃあ話は決まり、と言いたい所だが」
 黒葉の杯に酒を足しながら羅猛はうっすらと笑った。
「問題は、お前が剣にそう言えるかって所なのさ。羅族の俺にじゃなく剣にな……だから、ゆっくり考えてくれと言ってる」
「俺はもう答えた。それを覆す気はねぇ……ま、そうなったらその五年間でゆっくり剣をシゴいてやるさ」
 新たな酒には手をつけず、黒葉は立ち上がった。
「黒里にはどうする……アイツにも言っておくか」
「いや、まだいい。お前の胸に納めといてくれ。どのみち黒里のことは心配してない。お前がいる限り……あいつは大丈夫だろ。頼りになる」
「……解った」

 入口に向かいかけて、黒葉はもう一度振り向いた。
「……あのなあ、羅猛……」
「なんだ」
「色々ごたくを……キレーごと並べやがってなぁ。お前ホントは、早く族長やめてーだけじゃねーのか?」
 羅猛はニヤリと笑った。
「ま、それもある、かな」
「……ゴチャゴチャ理屈こねやがって、結局オメエはソレだ……。この、怠けモンが……俺の気も知らネェで……」
 再び頭を抱えて座りこんだ黒葉の肩を、立ち上がった羅猛が後ろから叩いた。
「まあ、別に今日明日、って話じゃない、って言ったろ。まだ時間もある。剣の五年後が楽しみだ、って話くらいに考えておいてくれ。俺だってまた気も変わるかもしれネェしな。案外五年後になったら綺麗な雌猫とガキこさえて羅族に執心するようになってるかもしれないぜ……お前の期待通りにな」
「………」
 羅猛は再び暖炉の前に戻り、矢尻を手に取った。
「……やっとマジメに語ったと思ったら、結局チャカして終わるつもりかよ、キサマ」
 フンと鼻で笑った羅猛に、黒葉は半ば本気で腹を立てていた。
「……一つ言っていいか」
「何だ」
「オメエってなぁ、ほんっとに生意気な若造だぜ……十五の時からな。ヒトのことナメくさりやがって……。時々、族長でもナンでもいいから、ぶっ殺してやりたくなるぜ」
 羅猛は笑った。
「……やってみるか? 相手になるぜ」
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