<第二章> home  2章index
003.  Edom
←back next→
 甘い酒の香が辺り一面に漂っている。
 ラコリスの木から作るその酒は、金種の数少ない収入源の一つだった。

 尤も、ヴィレッジ、あるいはエドムで生きて行くのに収入は必ずしも必要ではなかった。住居と最低限の衣服、食料はタワーから配給された。だがそれは、人間の勤労意欲を消すまいとの配慮から、必要最低限に抑えられていた。飢えない以上の暮らしをしたいと望む者の多くは、手に仕事を持ち、金を稼いだ。ここエドムの金種達も例外ではなかった。モルグに出回る酒の殆どはここで作られ、そしてもう一つの主たる収入源----影ではこの地区はガーデン、いわゆる花街、と呼ばれていた----に頼る金種の若者達も、数多くいた。それは彼らがこの仕事を選んだというよりも、今まで彼らにはこの二つしか金を稼ぐ手段が無かったからであった。最近の自然肉ブームは、そんな決まり切った仕事をいやがる金種の若者達にとって、ハンターという格好の「新職業」を提供してくれる、有り難い流行だった。----多少命の危険が伴うとしても。

 長く延ばした黄金の髪を後ろで束ねた若者が、ラコリスの木にもたれて立ち、物思いにふけるかのようにエドムを見渡していた。酒の匂いの篭る石造りの町並。見かけはヴィレッジと何ら変わるところのない、個性の無い灰色の風景だった。

「セルグ」
 背後から声をかけた若者は、ヴィレッジ流行のピアスを片耳に並べている。短く切った金の髪。髪を染めようとする者は、エドムに住む金種の中にはいなかった。
「カルム。いいのか、醸造の方は。今佳境だろう」
 カルムは彼の横に座った。
「セルグ、お前、本当に行くのか?」
 セルグは微笑んだ。金種仲間のほぼ全員から、既に同じ質問をされていた。
「タワーへ? 当たり前だろう。何のためにあれだけ嫌な思いをしてジュニアを出たんだ」
「イヤな思いをして」
 カルムは低く言う。
「ああ、良く行ったよ。ジュニアになんか。お前は頑張ったさ。だがタワーになんか行っても、そのイヤな思いが続くだけだと思わないのか?」
 手元に落ちていたラコリスの実を、あてもなく投げる。
「ここにいて俺達と、酒作ってりゃいいじゃん。その方が楽しいぜ、きっと」
 セルグも腰を下ろした。
「カルム……オレ達が『イヤな思い』をしながらもフェンスから出て行けないのは、何のためだ?」
「そりゃあ……」
「ここを出たら金種が滅ぶ、からだよな。オンナがいないからだよな」
「………」
「本当なら金種はもう絶えている。タワーに冷凍卵が保存されていなければ。それは人間と全く同じだ。タワーが、人間のだけではなく金種の卵巣まで保存しておいてくれた事には感謝しなきゃな。……じゃなきゃオレ達はここにはいない」
「……それでお前は、恩返しに行こうって訳か?」
 カルムは苛立たしげに足下のラコリスを踏みつぶした。
「……随分と人がいい事だ」
「まさか」
 セルグは笑った。
「恩返しをするほど大事にされてはいないと思うぜオレだって……。人間はオレ達を猫としてしか扱わないからな。あいつらにとっちゃ、自然種も金種もそう変わらないのさ。色は違っても、同じ猫だ」
「……たまんねえな」
「本当は」
 セルグもラコリスを手に取った。投げはせずにそれを口に運ぶ。
「オレ達はここを出ても十分に生きて行けると思うぜ。はるか昔、黒種や赤種が出ていったようにさ……。ハンターは優秀だ。獅子にやられちまって帰ってこないのは人間のハンターだけさ。配給の食糧なんて無くたって、獲物は狩れる。北の山には木の実もある。……ただ、金種の女さえいれば」
「……女」
 カルムはぼんやりと呟いた。こんな話をしてはいても、実際に女がどんなものであるのか、二人とも知っているわけではなかった。体内で受精し、子供を産み落とす生き物。実際、随分とグロテスクなイメージではあった。
「俺はそれを作りたいんだ」
「タワーで」
「そう、タワーに入って。そのためには俺一人じゃ無理だ。俺はアリスにはなる気はないぜ。そんなのはゴメンだ……だから、俺の後にも優秀な金種がどんどんタワーに来て欲しい、って思ってる。どうせ今のタワーのやってることは人間が優先だ。金種の女を作るのは後回し、それじゃいつまでたってもラチがあかない」
「………」
「それに、もう一つ……。気になる噂がある」
 カルムは不思議そうに振り返った。
「何だ」
「ジュニアにいた時、聞いた噂だ。十年くらい前か、発掘用ロボットが外に出た時、一緒にいた人間が、自然種と遭った」
「……で?」
「それが、金種だったって言うんだ」
「……何だって?」
カルムは思わず立ち上がった。
「フィールドに、金種がいるってのか? そんな……」
「ただの噂だ。遠くから見ただけだし」
「でも、四十年前に戦った時だって、金種見たなんて話は……」
「あれが闘いなんて言えるもんか」
 セルグは笑った。
「二、三十の血迷った人間が勝手に猫の山に押し入って、ほとんど全滅させられた、ってだけの話だろ。全員帰って来た訳じゃないんだ。見たヤツだっていたかもしれないぜ……死んじまった中にな。それに、奴等は自然種の住む丘陵のほんの一部を見たに過ぎないんだ。昔から仲が悪かったっていう金種と色付きが、一緒に住んでいるとは思えない。別の山を探せば、いるかもしれない」
「………」
「いるとしたら、彼等には『女』がいるんだ。そうじゃなきゃ、今まで生き残っているはずがない」
「……金種が、赤や黒と一緒にドームを出たって話は聞かない」
「大戦前の記録なんてあてになるもんか。全部の金種が付いて行かなかったにせよ……逆に誰一人独立に加わらなかった、って方が不思議じゃないか」
 カルムは考え込んだ。


 旧アリスは違法な人体実験を密かに繰り返し、その美しい生物を作った。
 それは彼等にとって、一級の商品だった。光彩の細い目を持ち、尖った耳をした----当時流行していたアンティークファンタジー小説、その登場人物の姿のままに作られた機敏な生き物は、優雅で人間並の知能を持つペットとして、花街や、一部の金持ちに売れに売れた。地下の会員制秘密組織、モルグサーカスの芸人としてももてはやされた。金髪に緑の瞳、北欧アングロサクソンの特徴を持った彼等は「金種」と呼ばれ、珍重された。

 旧アリスはしかも、遺伝子レベルでその商品を作り上げていた。金種は生殖機能を持ち、特徴はすべて子孫に受け継がれた。当時は金種を扱う「ブリーダー」が随分と横行したと言う。
 金種の流行に気を良くしたアリスは、黒種、赤種等の「色付き」を続けて開発した。彼等は金種よりなお強い体を持ち、素手で猛獣と殺し合うモルグサーカスでは色付きが主役となった。そして流行に乗って増え続けた猫達は----やがて「独立」を決行したのだ。

 いかに珍重されたとはいえ、猫は所詮人間の奴隷であった。人間並みの知能を持ち、人間以上の俊敏さと力を持つ彼等が、その境遇にいつまでも満足している筈は無かった。彼等は集団で人間の住むドームを抜け出し、帰っては来なかった。どれほどの数が出て行ったのかは、遂に判らなかった。地下に潜って取引きされていた彼等の数の実体を把握している者は、旧アリスにさえもういなかった。ただ、彼等はどこか遠くの山にその国家を作った、と噂されていた。
 黒種や赤種よりも弱かった金種は、それに加わらず、人間社会の裏奴隷の立場に甘んじた----と、言われていた。

 猫達の間でも先に生まれ、また人間に----当時ドームを支配していたアングロサクソン人種に----最も近い色を持っていた金種の優越感は強く、同じように虐待されていたにもかかわらず、色付きとは常に反目しあっていた。彼等が色付きと行動を共にすることはあり得なかった。人間の元に留まり、繁殖し、そして相変わらず人間以下の扱いを受けていた金種に、さすがに市民権を与えようという声も出はじめていた、それが大戦直前。
 大戦は、旧アリスの仲間割れによって起こったとされている。その原因は誰にも解らなかった。アリスの一員であったアルネにさえ。ただ、その圧倒的な破壊力は、旧アリスそのものをも徹底的に滅ぼした。ドームは、その姿さえほとんど残らなかった。そして勿論のこと、ドームの加護を捨て野に出た猫達が、一匹たりとも生きのびているなどと思う者は無かった。大戦から何百年か後、彼等がどこからか西の丘陵に姿を見せるまでは。


「せめて大戦前に、金種に市民権が与えられてたらな……」
 長い沈黙の後、カルムは呟いた。セルグはちらと彼に目をやった。
「……だからさ。結局ドームを捨てた猫達の方が正しかったって言うわけだ。金種も、本当ならついて行くべきだった。……たとえ、色付きと一緒でも」
「だが、もし」
 まだ物思いにふけるようにカルムは呟いた。
「もしドームを捨てた金種が本当にいたとしたら。そしてもし今も生き残っているとしたら……」
「フィールドのどこかに」
「女達と一緒に……」
 我に返ったように、カルムは振り返った。
「だが、今さら外の……フィールドの金種と出会ったとしたって、そいつらと意思の疎通は出来るのか? だいたい言葉を話すんだろうか。彼らが色付きと混血しているとしたら? ‥‥もう金種とは言えない」
「とにかく探すのが先決だろう」
 セルグはきっぱりと言った。
「全てはそれからだ。その為にも……」
 彼は立ち上がった。そろそろ出発の時間が迫っていた。
「その為にも、俺はタワーにいた方が何かと都合がいい。あそこには情報も、技術も、力もある」
 彼はカルムを振り返った。
「……また帰ってくる。タワーに行ったからって、もう来るなとはいわないだろ」
「あたり前じゃねえか」
 カルムは友の手を取った。
「みんなお前を心配してるだけだぜ。いくらお前がここを離れたって、だれも裏切りだなんて思ってやしない」
「それを聞いて安心したよ」
 セルグは溜息をついた。
「これからもみんなの協力が何かと必要にはなると思うんだ……特にお前のさ」
「解ってる。頼りにしろよ」
 カルムはにやりと笑った。セルグもそれに笑い返す。
「その言葉に甘えて……まず頼みたいのは」
「ああ。なんだ?」
「若いハンターの……信用できる奴等を集めて、ざっとこの話をしてやって欲しいんだ。フィールドのどこかに、金種がいるかもしれないって事を。今それを見付ける可能性が一番高いのは彼等だ。そんなに行動範囲を広げられるとは思わないけど、知ってるのと知らないのじゃ、心構えが違うだろう」
「解った」
「くれぐれも注意しろと……西の丘陵には近付きすぎないようにと……個人行動で自然種に接近するのは危険すぎる。金種と自然種は別行動を取っていると考えた方がいいと俺は思う。……そうあって欲しいという希望的観測でもあるがな」
 カルムは強く頷いた。
「任せとけって。今までだって会えなかった訳だし、そんなに焦りゃしねえよ。それにお前がタワーで金種の女作ってるとなりゃあ、俺達だって元気百倍でがんばれるってもんだぜ。アイツラには、よおーく言い聞かせておくからさ」
「頼む」
 セルグの背中を叩いて、カルムはニッと笑った。
「合い言葉は……金種を探せ?」
「ああ。金種を探せ」
 セルグは彼に背を向けると、歩き出した。人間達の元へと。
home  2章index ←back next→