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006.  Curiocity
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「どういうつもりなんだろうな、リーガは」
 それは、お前はどう言うつもりなんだ、と自分に訊いているのだ。とアルネは判断した。アドラムはいつもそういった口のききかたをした。彼は静かに答えた。
「どういうつもりも何もないよ。彼はただ、怪我をした猫を連れ帰っただけだ。見殺しにすることはないだろう」

 アドラムは五十を過ぎた古株のアリスだ。脳以外の身体は既に完全な人工体で、アリスのほとんどがそうであるように、彼もまた少年体だった。ファイバー製の金の髪に、表情の薄い色の無い皮膚。人工体はもともとの自分の顔に似るように注意して作られてはいたが、細かい筋肉をこと細かに再現する手間を省きがちなのもあって、表情が若干希薄になるのは仕方のないことだった。

「猫でも、自然種だ。それも黒だっていうじゃないか。タワーの中で暴れ回られることも、考えなかったのかな」
「そんな様子はないよ。おとなしいもんだ。リーガと仲良くやってるよ」
「……リーガが、何の考えも無く自然種を連れ帰ったとは僕には思えない」
 お前が、何の考えもなく猫の面倒を見ているとは思えない、と言うことだ。
「アドラム」
 アルネは言った。
「君の……君達の心配していることは解ってるけど、僕はそこまで焦っていない。確かに黒種は金種より人間に近いらしい。交配が可能だっていう噂もあるよね。だが僕は正直そこまでは考えてないよ。そう噂されているのは知ってるけどね。この際だからはっきり言っておく。僕は人間の雌態を作ろうとしているのであって、猫と人間の混合種を作ろうとしている訳じゃない。彼を実験のためにここに連れてきた訳じゃない。本当にただ、怪我をしている猫を助けたかっただけだ。それに彼は男で.……雌態じゃないだろう?」
「それを聞いて安心したよ」
 アドラムは僅かに緊張を解いた。
「……てっきりそうだと思っていた」
「そこまで焦ってないって言ったろ。純粋な種としての人間を残したいって気持ちは、僕だって君と変わらない」
「それならいい……そこでだ。『彼』について、改めて一つ」
 アドラムは若干リラックスした調子で部屋を歩き回り始めた。
「頼みがあるんだが」
「何」
「彼を二三日、医療班に貸してくれないかな。色々と調べてみたいこともある。医療班だって、自然種に興味を持っていない訳じゃない」
「それは、ダメだ」
 予期していたアドラムの言葉ではあった。アルネは即座に答えていた。
「彼を実験材料にする気は毛頭無いって言ったろ。僕等のすることは、彼の傷をただ治すだけ。彼はこのまま猫の元へ返す。自然種と人間は、今のままが一番いい。関わりを持たず、殺し合いもせず」
「果たして彼等もそう考えているかな?」
 アドラムはうっすらと笑った。
「彼は人間社会を見た。人間と会った。その情報を、彼は持って帰るだろう。そしてそれを、今後の人間との戦いに活かそうとしないと、どうして言える? その時の為に、こっちも出来るだけ自然種の情報を持っておいた方がいいとは思わないのか?」
 アルネも笑った。
「君も、彼の武器を見ただろう? 刀と、弓矢。あの武器でフェンスが破れるとでも? 大丈夫だよ。今自然種に総攻撃をかけられた所で、フェンスには傷一つ付かないだろう……かえって彼が人間の暮らしぶりを伝えてくれた方が、その意味では安心だ。彼等は今後一切、人間に手出ししようなんて考えは捨てるだろう」
「………」
「それよりも僕は、彼に人間に対する敵愾心を植え付けることの方が恐い。彼等は人間の技術を恐れている。体に何の害もないと説明した所で、これから何らかの意味での実験は……それが血の一滴を抜くことでさえ、彼をパニックに陥らせるだろう。彼が帰って、人間のキカイにかけられた、なんてことを喋ったとしたら、ますます自然種と人間との溝を深くするだけだ。君が彼等の攻撃の可能性を少しでも心配しているんだったら、まず彼を平穏にここから去らせることだね。何らかの実験をしたいのなら、彼を治療した時に採取した体組織を提供するよ。それで我慢してくれ」
「彼を帰さない、という手もある」
「彼は、帰す」
 アルネはきっぱりと言った。彼が一度言い出したことを決して曲げないのは、アドラムも承知だ。肩を竦めて、彼は言った
「それは、解った」

 この二人は周りが心配しているように仲が悪い訳では決して無かった。彼等は互いにそれぞれの熱意を持って人間の将来を深く憂い、それ故に真摯な意見をぶつけ合うことの出来る、数少ない科学者仲間だった。最近タワーの研究がその実りの無さ故に惰性を帯びたものに変わりつつある中で。

 アドラムは、陰で噂されているようにアルネの場所を狙っているわけでも、またそのセカンドの地位を伺っているわけでも決してなかった。このタワーの中で地位などというものが如何に空しいものであるか、彼は知っていた。彼は純粋に自分の限られた寿命の中で、人間が救われるのを、あるいはその兆候を、見届けたいと切望していた。アルネがそうであると同じように。ただ彼の寿命はアルネのそれと違い限られていたのだ。

「確かに、君の言う通りかもしれない。彼は無事に帰して、人間が猫と争うつもりのないことを明白にしておいた方が……何かと安全なのかもしれないな」
 アドラムは微笑んだ。
「……じゃ、これは純粋な興味として。僕も彼と会わせてもらえないかな。何もしないよ。ただ話をするだけ。それなら構わないだろ?」
 アルネも笑って答えた。
「その位なら、いくらでも。放って置いても、彼の方から君に話しかけてくるかもね。興味津々でタワーの中を歩き回ってるみたいだから。……もちろん、リーガに連れられてね」
 剣が暴れ回るのではないか、というアドラムの心配を再燃させることを恐れて、アルネはあわててつけ加えた。
「うん、何というか、彼には」
 アルネの心配を見抜いたかのように、アドラムはにやりと笑った。
「……忘れかけていた好奇心が疼くね。彼らがあのフィールドでどんなふうに暮らしているのか……生き延びているのか、是非知りたいよ。話が聞きたいね。人間から生まれ、今は人間を越えて生き延びようとする、半ば伝説化した生き物のね」


「……で、最後に作られたのが、赤種というわけ。その頃にはもう金種はドーム全体に……疲れてない? 剣」
「ぜんぜん」
 自分にはほとんど読めない本のページを、剣は食い入るように見つめていた。
 だがリーガは、やがて脇から本を閉じた。
「今日は、ここまで。君は少し熱心過ぎる。もう寝な」
「リーガ、もう少し」
「ダーメ。今日も随分タワーの中を歩いたろ。本当に好奇心旺盛だね。君が丈夫なのは解ったけど、自分で思ってるより体はヤバいんだから。何と言っても一回死にかけたのをお忘れなく」
「一回死んだ、だろ」
 リーガは剣の膝の上から本を取り上げた。
「……ここに置いとくと、きっと君は寝ないからな。これは没収」
 抗議の声を上げる剣を尻目に、リーガは笑って部屋を出て行った。黒い髪と目を持つこの猫を、彼はまるで弟のようにも感じ、愛情を抱き始めているようだった。

 一人になった寝台の上で、剣は大きく伸びをした。確かに疲れていた。背中と足が疼くように痛む。もう一週間も経つのに。それも彼が目覚めてから一週間だ。可南を出てからは十日以上も経っただろうか。焔はさぞかし心配しているだろう。だが体力はなかなか回復しなかった。まだ馬にも乗れそうにない。可南へ帰るのはまだ先になりそうだ。
 いや、体力の回復を云々する前に----剣はまだ帰りたくないのかもしれなかった。この先人間の世界を訪れることは二度と無いだろうから。これは最初で最後の機会でもあるのだ。彼がずっと好奇心を燃やし続けた世界を、その身を以て体験する。


 毛布の下に潜り込んだ剣の耳に、小さな足音が聞こえてきた。忍ぶように扉に近付いて来る。秘密めいた様子が彼を緊張させ、剣は再び寝台に起き上がった。無意識に手が細剣に伸びていた。
 静かに扉が開く。

 あっと叫びかけた声は、口からは出て来なかった。
 春草だ。まっさらな、純血の。黄金の髪に、緑の目。まだ生き残っていたのか? いや、こんな顔はいなかった。少なくとも可北の部落には。それでは、これは、誰だ?
 狼狽しているのは、少なくとも剣だけではなさそうだった。その春草猫も、穴の空くほど剣の顔を見つめている。
「自然種が来てるって……ホントだったんだな。リーガが連れてきたって……」
 剣は我に返った。明らかに人間の、「タワー仕様」の衣服を身につけたこの猫が、春草の生き残りとは考えられなかった。
「あんた、猫だな」
 剣が言うと、相手は露骨に嫌な顔をした。
「ああ……種としてはね。俺達は自分で、金種と言ってるけど」
 金種。さっきリーガに教えてもらったばかりの言葉だ。
「……ここで、暮らしてるのか? 人間と一緒に? タワーで? 何時から?」
 やつぎばやに質問を浴びせる剣を、猫はじろじろと見つめていた。
「いつから? ずっとだよ。大戦前から。リーガに聞かなかったのか?」
 聞いていなかった。少なくとも、今なお城壁の中に猫が生き残っていると言うことは。
「……アンタ、一人か?」
「まさか。七、八十はいる。それ以上増やさないのがタワーの方針らしいね。尤も、タワーにじゃない。ヴィレッジの端、エドムだ。人間から離れて、部落を作ってね」
 春草の部落が。城壁の中に。剣は頭を抑えた。少し冷静になりたかった。そうだ、彼等は春草ではない。おそらくその言葉の意味も知らないだろう。可南、可北の血の争いとは無縁なのだ。
「……俺は、セルグ」
 彼は言った。そして寝台の横の椅子に腰をかけ、今さら気付いたようにふと言った。
「あんたは、自然種なんだろう? ……言葉を喋るんだな」
「当たり前だろう」
 いささかむっとして剣は言った。
「……さっきから喋ってんじゃねェかよ」
「悪い」
 セルグは薄く笑った。
「自然種は完全に野生化しているって噂もあったんでね。ホントにそれを信じてたわけじゃないんだけど……でもあんまり言葉が変わらないから、驚いただけ。……リーガには、まだここへは来るなって言われてた。君が混乱するからって。でも一つだけ聞きたいことがあって」
「何」
 セルグは迷ったようだった。果たして剣を味方とみなしていいのか、それとも敵になるのか決めかねていたのだろう。だが何れにせよ彼が貴重な情報源なのは確かだ。
「……自然種の中に、金種がいるってのは本当なのか」
 剣が口ごもる番だった。
「……いた」
「いた?」
 セルグの顔が曇る。
「それは、どういう意味? もう滅びたってことか?」
「……ああ、少なくとも、純血種は」
「純血種!? 何だ、それ」
 セルグが目をつり上げて、大きな声を立てた。
「純血種はいない……ということは、混血はいるってことか?自然種じゃ、金種と色付きの間に、混血作ってんのか!?」
 その剣幕は剣にいい感じを与えなかった。それは純血にあまりにも高い誇りを持って自滅した、春草のそれを思い出させたのだ。だがセルグは独白に近く呟き続けていた。
「……信じられない……そんなこと……だいたい交配自体不可能だと思ってた……」
 交配。その言葉の意味くらいもう剣にも解る。彼はうんざりして言った。
「あたりまえだろ。同じ猫だぜ。ナンで『交配』できないハズがあるんだよ? ああ、いるぜ、混血種ならウジャウジャ。俺だって春草の……じゃない、金種の血が交ざってる」
「……君にも?」
「そーだよ。でももう純血の男は一人もいない……」
 剣は黙った。いや、いるのだ。たった一人、生き延びたその猫が。


 剣は唖然としていた。
 ここに来てから日々新しい興奮の元にあった剣は、「彼」の事をすっかり忘れていた。その再会と、戦い、敗北。自分を殺した男の事を、どうして今まで考えなかったのか。春草は滅んではいなかったのだ。その尤も強い血を残す男を、彼等は討ち洩らしてしまったのだった。
「男は、いない」
 剣の放心に気付く様子もなくセルグはゆっくりと繰り返した。
「では、女は?」
「まったくの純血は」
 剣は機械的に答えた。もう彼にはセルグのことが目に入っていなかった。
「もういない」
「そう……か……」
 セルグはがっくりと肩を落とした。
「でも目の色が蒼いやつとか、ちょと茶色がかったヤツとかならケッコー生き残ってる。光もいるし……」
「では金髪の女猫はいるんだな。どこに?」
「……可南と、可北に」
「カナンと、カホク」
 その名前を心に刻みつけるように、セルグは繰り返した。
「何人位?」
「ああ……?」
 我に返って、剣は彼の方を振り向いた。
「金髪女猫? さあ……少なくとも二三十人はいる。光も合わせれば」
「金髪の女が二三十人……。純血では……ないのか。だが、それだけいれば十分だ……」
 黙り込んだセルグを、剣は不審そうに眺めていた。
「君は、カナン? カホク? から来たの? それって西の丘陵にあるわけ?」
「オイ」
 剣は低く言った。
「……ナンでそんなこと聞くんだよ?」

 もう少し前から自分は用心すべきだったのかもしれない、と剣は後悔していた。たとえそれが「金種」だったとしても、人間の中に猫を見入出して多少気が緩んでいたのは事実だ。だが目の前のこの金髪猫が自分に仲間意識を持っているようにはとても見えなかった。その尋問調の問いかけにもいささか腹が立っていた。
「……ただの好奇心さ」
 セルグは取りなすように笑う。
「興味持って当然だろ。同じ種なんだから」
 さっきまではそう思ってなかったみたいじゃないか。やれ金種だ色付きだって----その言葉を飲み込んで、剣は黙り込んだ。この金種猫に対して、リーガや他の人間に対する以上に警戒の気持ちが沸き起こり始めていた。

 黙り込んだ剣に、諦めたようにセルグは立ち上がった。必要最低限のことはとりあえず聞いた。これ以上ここにいるとリーガにみつかるかもしれない。ここへの出入りを差し止められることは避けたかった。まだ知りたいことは沢山ある。この自然種がここにいる間に、何とか聞き出してやろう。
 立ち上がり、扉に向かいかけて、セルグは振り返った。
「そう言えば……君、何て名前」
 剣は目を上げた。
「……剣」
「そう」
 さして興味もなさそうに頷くと、セルグは部屋を出て行った。
 閉じた扉を、剣は顔をしかめて睨み続けていた。
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