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007.  Visitor
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「痛いっ!」
 剣は大げさに悲鳴を上げた。怪我の痛みには強かったが----こんなのは、たまらなかった。リーガは彼の瞼を再び無理矢理こじ開けた。
「少しはじっとしてろよ。仕方ないだろコンタクト入れなきゃ。自然種だなんてバレたら、ヴィレッジじゃ半殺しにされかねないんだからよ」
「目の中にモノ入れるナンて……無茶だ……」
「動くなって……オ、入った入った」
 やたらに涙がこぼれたが、すぐに慣れたようだ。何度か瞬きをすると、もう大した違和感も感じなくなった。
「……大丈夫みたいだ」
「そうだろ? ソフトだぜ。それもヴィレッジの安物とは違う。タワー特製品だぜ? モノ入れるなんてそんな大げさなもんじゃないんだよ」

 剣は笑った。この黒髪の人間に----人間にしては珍しく剣よりも少しだけ長身である彼に、剣は不思議な親しみを感じていた。それは一つにはリーガの、剣に対する保護者ぶった態度のせいであるかもしれなかった。小さな頃に親を亡くし、早くに家庭を持った彼にとって、こうして側で何かと世話をやかれる感覚、護られている、という感覚を味わうのは本当に久しぶりのことだったのだ。

「悪いねリーガ。我侭言って」
「ああ、全く我侭だ。ヴィレッジが見たいだなんて、ホントにお前ってヤツは……」
 リーガはぼやいた。だが結局彼はその我侭を聞き分けてやっているのだった。
「お前ってヤツは……。命の危険があるって、本当に解ってんのか?」
 剣は頷いた。それは解っていた。人間に殺されかけたこともある彼だ。だがさすがにリーガにでさえ、あの日の事を話すことは出来なかった。人間を一人、殺した事を。
「そら、帽子かぶって……よし、耳も隠れるな。ま、多少不自然だが、誰も猫がこんな所にいるなんて思わんだろうから、大丈夫だろ。肌染めるのが流行で助かったよ。それに、帽子もな」
「ふうん……」

 「ヴィレッジ風」の服装をした自分を、剣は鏡の中に眺めた。それはタワー風のつるつるした衣装よりは、剣の好みに合った。ヴィレッジの流行は移り変わりが激しい、とリーガは言う。去年は体にぴったりとフィットするラバーウェアが一世を風靡したらしいが、今年はゆったりとしたトーガに毛糸の帽子を深く被るのが流行らしい。それは剣の発達した筋肉と異形の耳を隠すには丁度良かった。

「フン、何とかなりそうだな。お前着痩せするんだな。まあちょっと背は高いが……。コレくらいならごまかしきくだろ。おい、お前外であんまり口きくなよ。誰にも話しかけんなよ。訊きたい事があったら俺に訊けよ」
「大丈夫だよ、そンな心配しないで」
 剣はにやにや笑った。
「上手くやるから」
「そーか? ……それと」
 リーガは振り返った。
「……アルネには、絶対言うなよ。他のタワーの連中にも」
「解った」
 剣は素直に頷いた。そして彼等は密かに裏口へ回り、外へ出ていった。
 ヴィレッジへ。本当の人間達の中へ。


 たかだか千五百人程度の社会でも、彼等は互いに全員の顔を見知っている訳では無かったらしい。あるいは始めからこの二人連れを、タワーからの珍客と見抜いての無関心だったのかもしれない。いずれにせよ、思ったほどの注目をあびていない事にリーガはほっとしていた。

 そんなリーガを後目に、剣は目を丸くして辺りを見回していた。上から見て灰色一色に見えたヴィレッジは、中に入ると見事に色彩に溢れていた。食料品店に並ぶ色とりどりの加工食品、菓子類、飲み物。様々な大きさや、形、色彩の、机や椅子や寝台が積み重なる家具店。そして何より多いのが服飾の店。店というシステムを理解しない剣は、彼らが各々の財を誇るためにそれぞれの持ち物を並べているのだと考えた。こんなに同じようなものばかり大量に持ってどうしようというのだろうか。

 それにしてもヴィレッジの人間はなかなかオシャレに気を使うようであり、そして若者は皆流行に忠実だった。剣と同じような格好で、なお目立つ色で競い合うように身を飾った彼等が、賑やかに町を練り歩いている。なるほど、見事に男しかいない。だから彼らは女の代わりに着飾るのだろうか。しかし各種の違和感はあれ、生活の活気溢れるそこは、硬質なタワーの風景よりはよほど剣に親しみを感じさせた。

「赤い髪がいる。黒も」
 声を潜めて剣はささやいた。
「ああ、染めてんだよ。本来は金髪か、薄い茶しかいないからな。目の色も、コンタクト。目は蒼と緑だけ……たまーに、薄い褐色もいるけど」

 やはり春草、いや、金種は人間に近いのだ、と剣は思った。これほど色が似ているとは----。だから金種は「色付き」を見下した態度を取ろうとするのだろうか。春草然り、タワーで会った金種猫然りだ。自分たちは一番人間に近いのだという意識。だがそんな意識に縛られること自体、猫が人間に劣ると認める事になるのではないか。なんだかバカげている。剣は思った。

「銀色は、いないの。アルネみたいな」
 真白の事を思い出して、剣は訊いた。
「銀髪? ああ、いないよ。アルネの髪はありゃ作り物だし。生まれつきの銀の髪ってのは……前いるにはいたが、ありゃ一種のアルビノだ」
「あるびの?」
「色素を持たずに生まれて来た生き物のこと。突然変異体の一つ」
「……? ねえ、大戦前の人間も、やっぱりみんなこんな色だったのかな」
「ああ、ドームの中はほとんどアングロサクソンが占めてたみたいだな。もっとも、アングロサクソンだから、ドームの中でしか暮らせなかったって方が正しいのかもしれないけど。彼等は大戦前から既に『弱い種』だったんだ。だからドームの中に逃げ込んだ。そのお陰で、大戦を生き残れたんだけどな……」
「でも、リーガの『民族』は生き残ってたんだろ」
「でも、結局滅びた。モンゴロイドは強い種だったからドームを嫌った。それが命取りになったらしいね。同じようにドームを出てった猫がどうやって生き延びたのか、知りたいモンだよ、ホント」
「………」
 それは剣も知りたかった。だが現存する猫の誰に訊いても、その謎を解くことは出来ないのだろう。ただ彼等が強かったという他はない。

 やがてモルグに足を踏み入れると、酒の香が漂ってくる。剣は思わず呟いた。
「……酒の匂いだ」
「鼻がいいな。さすがに」
 リーガは声を出して笑った。
「一杯やってくか? 酔っぱらうなよ」
「……バカにすんな」
 剣はニヤリと笑う。
「人間の酒なんかで酔うもんか」
「言ったな……でも、店に入るのはダメだ。立ち飲みで我慢しな」
「解った」
 硝子の器に、リーガがラコリス酒を運んでくる。酒の器ごときに硝子が使われている贅沢にも、剣はもう慣れた。
「あれ、ラコリス酒だ」
 剣は驚いて言った。
「お前の所にもあンのか」
「ああ」
「もともと金種が好きな酒だったしな。やっぱ猫の伝統は残ってるンだな」
「ふうん……」
「とりあえず、乾杯だ」

 彼等が道端でグラスを上げたその時だ。
「リーガーっ!」
 聞き覚えのある声に、リーガは首を竦めた。同時に周りの人間が一斉に振り向いた。
「タワーのリーガだ」
「へえー、リーガだってよ。あれが」
 あっという間に周囲の注目の的だ。リーガは頭を抱えた。声の主が目の前に現れる。リーガは諦めて返事をした。
「よう、ミルカ……」
「やあっ、また会えたね」
 長いトーガに、毛糸の帽子。前に会ったときとはすっかり様子が変わっているが、その輝く瞳を見間違うはずもない。はあはあと嬉しそうに息をついて、ミルカは話しかけてくる。
「元気だったの? しばらく姿見せなかったじゃん」
 既に旧知の間柄、と言った口振りだ。
「俺だって、そんな暇なワケじゃないんだぜ。一応科学者なんだから」
「でもまた会えて嬉しいよ……どう、中で一杯やってかない。おごるからさ。……お連れの人も、一緒にさ」
 彼は明るいものだ。ちらちらと剣の様子を気にしている。
「お前は、いつ会っても気前がいいんだな」
 リーガも思わず微笑んだ。
「悪いが今日は時間がない。もう帰らなきゃいけないんだ」
「えー……」
 名残惜しげに見つめる彼を尻目に、リーガは手を振って歩き出した。剣もすかさず付いて来る。角を曲がったところで、顔をあわせて思わず笑みがこぼれた。
「……助かった……」
「解ンないよ。彼、ずっとコッチ見てたから。何か変に思ったかもしれない」
「ま、ここまで来れば大丈夫だろ。いずれにせよ、ハラハラしたぜ。剣、もう帰るぞ。気が済んだろ」
「うん……」

 それでもタワーの入り口で、剣は名残惜しそうに後ろを振り返った。一日だけ訪れたヴィレッジ。そこは彼の好奇心を落ち着かせるどころか余計に掻き立てるばかりで、出来ることなら何日かそこで暮らしてみたいとさえ思っていたのだ。だがリーガに促されて、彼はタワーの中に足を踏み入れた。とりあえず、彼は城壁の中を歩いたのだ。人間の住む、あの壁の中を。

 タワーのガードは見覚えのない剣を一瞬不審そうに眺めたが、リーガの連れであることだし、何も言わなかった。それより彼はそこに新たに現れた金種の若者の方に気を取られていた。夢見心地にタワーの中へ消えていった剣は、そこに興奮気味に立っていた金種猫には全く気付かなかった。

「おい、お前、タワーに何の用だ」
 ガードの尊大な態度も気にする風は無く、金種の若者は気短に言った。
「セルグを呼んでくれ。彼に用があるんだ」
 ガードは時計を見た。
「繁殖班は、今睡眠の時間帯だ。ここには呼べんな」
「そんなら、伝言だけでもいい。伝えてくれるか」
「それくらいなら構わん。何だ」
 若者は、抑えきれない興奮を必死に隠していた。
「必ず……伝えてくれ。大事な事なんだ。俺の名は、カルム。セルグに伝えてくれ。捜し物が、見つかったと。……忘れんなよ、必ず伝えろよ。捜し物が、見つかった、だ」
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