<第二章> home  2章index
008.  Departure
←back next→
「十人……」
 アルネは呆然として呟いた。
「ああ……」
 言い難そうにエリは答えた。こんな報告をアルネにするのは全く気が引けた。彼はフェンスガードのヘッドではあったが、勝手に危険に飛び込んで行くハンターなどには関わり合いになりたくなかった。
「全部、金種の若いのだ。一緒に狩りに出てたらしい。それが」
「もう二日も経っているんじゃ」
 アルネは立ち上がった。
「絶望的だろうな……彼らは日帰りだと言って出ていったんだろう? 十人も、一度に……」
 アルネはまだ呆然とした様子でP-Comの画面を見下ろしていた。
「まあ」
 エリがとりなすように言う。
「金種で、良かったじゃないか。人間には被害が出ていないんだから」
 所詮人間達の金種に対する認識はその程度だった。アルネは溜息を付いた。
「まあ、それは今更言っても仕方がない。来年からの割り当てを少し増やそう。多少年齢分布に差が出るが……問題になる程では無いだろう」
「悪いな、アルネ。引き留めて」
「いいよ……大事な、問題だ」
 そうは言ったがアルネはあわてて部屋を出た。今日は剣の「出発」の日だ。見送りだけは、どうしてもしたかった。その前に、彼はエリと共にエドムを訪れるつもりだった。急げば間に合うだろう。


 いつ訪れてもそこは酒と香水の香りで溢れていた。エドムの南側には醸造工場がひしめき----工場とは言ってもただ石の建物が並んでいるだけなのだが----そしてヴィレッジに近い東側は、着飾った金種の少年達が窓際に腰をかけて客を待つ、花街となっていた。尤も今日はその少年達の姿は見えない。アルネの姿を見てあわてて隠れたのだろう。

 人通りの多い広場に出る。やがてエリの呼びかけに答え、ハンターの代表格である中年の金種が一人の若猫を連れて現れた。
「エヒウと……カルム、だったね」
 アルネは呟いた。
「ああ」
 中年のハンターは、アルネが自分の名前を覚えていたことに驚いたようだった。
「様子が訊きたいんだ。出ていったのは、十人。一人も帰って来なかったの? 彼等は、どっちの方角に行ったか解ってる?」
 エヒウは首を振った。
「いや。一人も帰って来ないのはご承知の通りだ。名前はもう報告が行ってるだろうが……。若い優秀な奴等ばかりだった。俺達も、悔しい。方角は解らん。ただでさえハンターは秘密主義だ。最近は競争も激しいからな。自分の狩場は皆極力秘密にしてる。十人で出てったってことは、かなり大きな獲物を狙っていたんだとは思うが……おそらくは、獅子か、ジャガーだろう。毛皮がもの凄い値段で売れるからな。だが危険だから……一人では絶対に狙うな、とは言ってあったんだが。まさか十人一度に、なんて。俺達としても、考えられない」
 まだ彼は首を振っている。ただでさえ人数の少ない金種が若者を一度に十人も亡くしたとあっては、彼の受けたショックの大きさも解るというものだ。アルネは密かに溜息を付いた。これ以上ここで聞けることもなさそうだった。
「解った」
「……アルネ」
 エヒウが言う。
「来年の、割り当ての話だが」
「ああ、解ってる」
 アルネは頷いた。
「一度に十人は無理だが……。二三年に分けて、減った分は必ず補うようにするよ。心配しないで」
「そうか。解った」

 エヒウは言ったが、必ずしもほっとした調子ではなかった。それもそのはずだ。増えるのはあくまで赤ん坊の金種。働き盛りの若者を取り戻せる訳ではないのだ。逆にその赤ん坊が育つまでは、人口分布の狂った金種の世界は、若干苦しい生活を強いられる事になるかもしれなかった。それに追い打ちをかけるのは忍びなかったが、アルネは次の言葉を続けた。

「ハンティングについてだけど」
 それはエヒウもある程度予期していた様子だった。彼は静かに聞いていた。
「今後の対処が決まるまで……当分は禁止する。タワーでなるべく早く結論を出して、知らせを出すから」
「解った」
 もうここには用はない。背後のエリを振り返り、アルネははっとして動きを止めた。広場奧の建物から出てきた、一人の若猫が目に入ったのだ。

 こんなに美しい若者が金種の中にいただろうか? 彼は花街の者には見えなかった。そういった種類の美しさではないのだ。長身だが、金種の中にあっては目立つほどではない。その衣服も、エドムの平均的な若者のものだった。外見の特徴も金種そのもので----だがアルネが思わず息を呑むような特殊な雰囲気が、彼の中にはあった。金種にしても、少し顔の線が細いだろうか。だがその顔の作りの美しさよりも、彼が漂わせる鋭角な雰囲気、その物腰、ただ広場を横切ろうとする歩みの中に、どうしても人の目を引いてやまないものがあった。彼が今ここにいる。それだけで、何か凄みのある風がその場を吹き抜けたようだった。

「……君」
 思わずアルネは彼を呼び止めていた。若者はゆっくりと振り返った。
「君、名前は?」
「アロン」
 臆する様子もなく、彼は答える。理由は解らないがアルネが彼を気にしているのを知って、エリが鋭く質問を続ける。
「年は。それと職業」
「前の月の年の生まれ。職業はハンター」

 ハンター。それは見ただけで解る。その物腰は獲物を狩るもののそれだ。月の年の生まれ。アロン。その名には覚えがあった。それではアロンはこんな風に成長したのか。彼の子供の頃の顔を思い出せず、アルネは首をひねった。これでいいかと訊くようにこちらを見ているエリに言う。
「……もういいよ。行こう」
 剣の出発の時間が迫っている。アルネは急ぎ足でエドムを後にした。一度だけ振り返ると、カルムとアロンが親しげに語り合っているのがちらりと見えた。が、アルネはそれ以上その場所に心を留めることなく、急ぎ足でタワーへと帰って行った。


「剣」
 剣は立ち上がってリーガを迎えた。
「これ、持ってけよ」
「本」
「そう。歴史書と……こっちが辞書。解らない言葉はこれで調べればいい。……まあ、それでも解らんモンは解らんだろうが、無いよりはマシだろ」
「……ありがとう」
 素直に礼を言って、剣はその本を懐の奥深く押し込んだ。
「お前、その服がやっぱり一番似合うなあ……」

 ほれぼれと、リーガは剣を見つめた。服の破れは既に綺麗に繕ってあり、久しぶりに黒の衣装を身に着けた剣はやっと心身共に安らいでみえた。剣自身も、身体がしみじみとくつろぐのを感じていた。ここにいた間、自分でも気付かずに緊張を続けていたのだろうと今さらながらに悟る。そして自分が帰る場所はやはり可南なのだと。剣は細剣を取り、腰に差した。弓矢を肩に背負う。準備はこれだけだ。ここから可南へ、何も持ち帰るつもりはなかった。ただリーガがくれた本の他には。

 扉が開き、アルネが入ってくる。リーガが珍しく怒ったような声を出した。
「遅いじゃないか、アルネ。何やってたんだよ」
「悪い。ちょっとね」
 アルネは答えた。剣の出発の日に暗い話で水を差すことはない。それにリーガの荒い声の調子は、思いの外辛い別れをごまかすためのものであると充分に解っている。
「剣……やっぱり似合うな、それ」
 リーガと同じことを言う。剣は微笑んだ。
「うん。なんか、落ちつくわ。やっぱり」
「さあ、行こうか」

 リーガが元気良く剣の背中を叩いた。時間は既に予定を過ぎている。本来なら朝一番にタワーを出ようと思っていたのだ。アルネの現れるのを待って、既に朝食の時間を過ぎていた。アルネは、タワーの前で彼を見送った。ボートには乗ろうとしなかった。最後の別れの時を、リーガと二人きりにしてやろうという彼なりの配慮だった。

「剣……」
 手を振るアルネの姿が遠くなる。
「元気で……」
 おそらくもう二度と、会うことはないだろう。その他に言うべき言葉は無かった。ボートは地面から背丈ほども浮き上がり、空中を滑って行く。剣はそのスピードを楽しんでいるようだ。
「スゲエなあ、これ」
「剣は、初めてだっけ。ボート乗るの」
「ああ」
「ま、めったに使わないしな……どこまで送る?」
 剣は考えた。あまり可南に近寄るのはまずい。まだ秋の盛りだ。平原に狩りに出ているものもいるだろう。
「廣瀬の、ほとりでいい」
「ヒロセ……? ああ、クリークね。解った」
 暫しの沈黙。通り過ぎる風景を珍しげに見守る剣を、リーガは横目で見つめていた。
「……楽しみだろ。帰るの」
「ん、マアね。焔と、簓が待ってるだろうなァ。心配かけたよなあ……」
「家族?」
「ああ。嫁さんと息子」
 リーガはあやうくボートをひっくり返す所だった。激しい横揺れに剣が声を上げる。
「リーガ、よそ見してっから。あぶネェよ」
「……嫁さんと、息子ぉ!?」
「……? そう」
「お前、幾つ」
「十六」
「子供、かぁ。子供がいるのか……お前……」
 あらためて、リーガは剣を見つめた。
「お父さん、なんだ……お前。へえ……」
「そういえば」
 剣は笑ってリーガを見つめ返した。
「あんた達、俺に何も訊かなかったよね。俺は質問ばっかしてたのにさ」
「興味なかったわけじゃないけど」
 リーガも笑った。
「言いたきゃ、お前が自分から喋るだろうと思ったし。……それにさ。なんつーか。質問責めにして、お前のこと緊張させんのが、いやだったんだよ」
「ふうん……」

 廣瀬についたのはまだ夕刻前だった。それにしても凄い速さだ。歩いたら二日で済む距離ではない。剣はあらためて舌を巻いていた。
「やっぱり、速ェよなあ……」
「欲しくなった?」
「いや。俺には馬がある」
 リーガは黙った。何か言いたかったのだが。この賢い目をした若い猫に。出来れば彼が自分の事を一生心に刻みつけてくれるような何かを。
「剣……」
 だがリーガは諦めた。剣は----これから故郷へ帰り、そしてリーガのことはすぐにその記憶の片隅に押しやるだろう。彼にはこれから乗り越えるべき激しい人生がある。おそらくそれはタワーで繰り返されるリーガのそれの何倍も過酷で、変化と冒険に満ち、危険でそれ故に魅力に富んだ----。その中でこの僅か三週間の出来事は、一夜の夢程度の重さしか持たないだろう。タワーは剣にとって神話の世界だった。それは彼にとっての現実ではなく、まさに一夜の夢----現実の重さに、すぐにその場所を譲る夢の中の出来事に過ぎないのだ。

 一瞬リーガは、このまま剣に付いて行きたいという強い欲望にとりつかれた。たとえ西の丘に足を踏み入れたその瞬間に殺されたとしても----。何の違いがある? タワーはすぐに彼の九代目を作るだろう。始めは力を落とすに違いないアルネも、やがて次のリーガの教育に夢中になり、愚かだった八代目のことは考えるのを止めるだろう。七代目までの彼がそうして忘れ去られて来たように。

 リーガは口を開き、だが出てきた言葉は一つだけだった。
「……元気で……」
 剣は頷いた。
「リーガも。……元気で」
 どう探しても。他の言葉は見つからなかった。
 やがて剣は踵を返し、歩き出した。可南へ。彼の現実へ。彼はもう振り向かなかった。
 リーガはその若猫の姿が見えなくなり、やがて夕闇が西の丘を染めるまで、そこに立ちつくして動かなかった。
home  2章index ←back next→