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009.  Reminiscence
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「これは一体、どういう事だっ!」
 ぶ厚い紙の束を、アルネは机に叩き付けた。
 彼の激昂を目前にするのが初めてだったキアは、狼狽えるあまり思うように言葉も出せない有り様だった。尤もどんな言い訳も通用しないであろうこの状況では、多少言葉を上手く使いこなしたところで無駄だっただろうが。

「僕は、三人、と言ったんだ。一年に三人ずつ増やせと。それを、一度に三十人も増やすなんて事があるかっ!」
「も……もうし訳ないっ!」
 キアの声は、悲鳴に近かった。
「謝って済む問題か! おまけに、誕生の日まで気付かなかった、だとお? 何のための繁殖班だ、十五人も集まって一体毎日何してた! ドラッグで甘い夢でも見てたってのか!? 何で誰一人、こんな単純な間違いに気付かなかったっ!」
「だ、だけど……」
 キアは考えをまとめようとして焦った。
「記録を良く見てくれ……コマンドも全部残ってる。それによると、リクエストは確かにプラス三人で……五人で出してるんだ。薬物も、栄養の補給も全て人数分しか行っていないことになってる……おかしいんだ。どう考えても理屈にあわない。B-Comが間違ったとしか、思えないんだ……」
「機械が間違えた!? 言うに事欠いてそれか!?」

 だがやっとアルネは机の前に腰を下ろすと、注意深く紙に目を通し始めた。やがて端末に手を伸ばす。アルネの作業を、キアは自分も腰をかけ、いささか安堵した面もちで眺めていた。彼にとってその間違いの結果はどうでも良かった。三人余計に生まれる筈だった金種がなぜか一度に三十人も増えてしまった----そんな事は、彼には関係のない事だった。ただこの間違いの責任が自分には無いという事をはっきりさせて、早くこの部屋を逃げ出したかった。

「……誰がやった」
 再びアルネが口を開くまで、小一時間もかかっただろうか。
 キアは飛び上がった。
「……え?」
「繁殖計画を入力したのは、誰だ。繁殖班で、計画端末に触る機会があったのは?」
「計画そのものを入力したのは、俺だ」
 キアはおそるおそる言った。
「端末に触る機会は……全員にあった。十五人とも、何らかの意味で受精卵の養育に携わっている。日々のチェックや栄養の確認や……触る必要があった」
「書き換えられてる」
 アルネは気短かに言った。
「丁寧な事だ。これは間違いなんかじゃない。計画的犯行だ。始めに五人で入力したものを、三十人に書き直した。それもオートチェックを全てすり抜けるようにしてある巧妙さだ。栄養値も、総重量も、全て……。でも、何で」
 アルネは黙り込んだ。
「オートに頼りすぎた結果か……一度でも目で確認していればこんなことがまかり通るはずもない……キア」
 やがて腰の浮いているキアに、彼は視線を戻した。
「繁殖班に……セルグがいたな。金種の」
「え……ああ」
「彼を呼んでくれ。話がしたい」
「セルグを? でも……」
「呼んでくれ」
「でも、セルグは」
 珍しくキアが口答えをした。
「アイツはまだ入って一年だ。端末に触れてない者がいるとしたらアイツ位だ。それにまだろくににコマンドも知らない。とてもじゃないが、こんな複雑な事が出来る筈が……それに何の得があって……」
「いいから、呼んで来いっ!」
 キアは飛び上がって部屋から出て行った。

「歯切れの悪いことだ」
 脇で見物していたアドラムが、のんびりした調子で呟いた。
「おーかた、デキてんだろ」
 まだ苛々した表情のアルネが、いささか下品な調子で言った。
「他愛もない。簡単に弄楽されやがって。……あいつ自身何やらかしたか解ったものじゃない」
「おやおや」
 アドラムは眉を上げた。
「少しは落ちつけよ、アルネ。君らしくもない」
 アルネはがっくりと肩を落とし、机に肘を付いた。
「確かに妙な事件だが……」
 アドラムは呟いた。
「だが、例え金種が策を弄したにせよ……何の得があると言うんだろうな。いきなり乳児の人工が三十人も増えてみろ。これから数年、役に立たない扶養家族を抱えた彼等の生活がどれほど苦しくなるか。将来的には助かるかもしれんが、一時的に数が増えたところで、ヴィレッジの中で彼らの立場を有利にする助けにはならんだろう。どちらかと言うと、金種へのいやがらせと見る方が正しいんじゃないかな」
「……確かに、得にはならないな。どう見ても」
 アルネはぼんやりと呟いた。
「食料や衣類の配布に細工をするなら解る。だが乳幼児をこんなに一時に増やしたところで……だが、いやがらせとも考えにくい。金種に敵対する考えを持つ者が、金種の数を増やすような形のいやがらせなどするものか。それならいっそ一人も生まれないようにするだろうよ」
「そんなコトをしたって。生まれなかったモノはまた作ればいい」
 アドラムは笑って言った。
「だが、出来すぎたモノを殺すのは……どうだ、お前、殺すか? 五人残してあと二十五人?」
「……いや……」
 のろのろと、アルネは言った。
「……ここまで育って……殺すのは……」
 彼は頭を抱えた。
「手の込んだ嫌がらせ、なのか? それとも……」
「起こってしまったことは仕方がない。まず対処法を考えるんだな。この場合は原因究明よりもそっちが先だろう。殺すなら、まだ目も開かない今のうちだ。そうでないのなら……」
「殺しは、しない」
 アルネはやっと自分を取り戻したような静かな声になって言った。
「だが人間の里親に預ける訳にもいかない。仕方ない。金種には今年、三十人にも及ぶ『割り当て』が出るようになる。彼等もいい迷惑だろうが……その分里親への配給を増やして我慢してもらおう。金種の代表者にも相談しなければいけない話ではあるが……彼等も赤子を殺すようなまねはしたくないだろう」
「それが無難だな」
 アドラムは頷いた。
「人口分布を戻すのに何十年かかかるが……ま、それは何とかなるだろう」
「じゃ、次は原因究明だ」
 アルネが呟いた。
「誰が何の為に……金種をいきなり三十人も増やしたかったんだ?」


 エレベーターを降りると、アルネは自室へ戻って行った。
 疲れていた。知らぬ存ぜぬを通すセルグへの質問は堂々廻りに終わり、他十三人の繁殖班メンバーも、ただ驚きを表明するばかりだった。食料や物資配給に比べ繁殖のガードが甘かったのは確かだ。そんな所に細工をするものなどいるはずもないと考えられていたから。とりあえず、もう二度とこんなことが繰り返されないようにすることは出来るだろう。それはセキュリティーチェックの強化で簡単に処理できた。若干手間はかかるが不可能ではなかった。だが----誰が、何のために、という疑問は解決されずに残った。

 寝台に仰向けに倒れて----彼は今日、まだ一度もリーガの顔を見ていないことを思い出した。確かに今日アルネは忙しく動き回っていたのだったが、それにしてもリーガがアルネの様子を覗きに来ない事は珍しかった。目を閉じると----妙な既視感が襲ってきた。こんな事が、前にもあった。その日は同じように誕生の日で、朝から彼は忙しかった。そしてリーガの姿を見ない、と思っていた所へ、リーガが「彼」を連れ帰って来たのだ。

 アルネは寝台から起きあがった。
 あれは、去年の、今日だった。
 もう一年が過ぎてしまったのだ。あの黒い目の猫がタワーを訪れてから。
 アルネは、ふいに今日一日の疲れが吹き飛んだような気分になった。何か涼やかな風が部屋を吹き抜けたかのように。それほど剣のイメージは鮮烈だった。彼がここに、タワーにいた間は、タワーの雰囲気そのものが普段と違っていた。空気の淀んだそこを吹き過ぎた、剣は一陣の旋風だった。あのアドラムでさえ、首を横に振りながらも剣の後を付いて歩き、子供のような微笑みを浮かべて色々な質問に答えていたっけ。あの頃。

 彼は立ち上がると、リーガの姿を探し、寝室へと入って行った。
 あれからリーガは変わった。彼が剣との生活をどれほど楽しみ、そしてその別れにどれほどの打撃を受けたのか、アルネには解っていた。いや、その深さを本当には理解できなかったのかもしれない。剣は、猫ではあったが他の人間達より余程リーガに近かった。生き生きと燃える目を持つ、山の、土の匂いのする生き物だった。四歳で父と、母と妹と死に別れたリーガは、十八にしてやっと自分の同胞と出会い、僅か三週間で彼とも別れねばならなかった。彼はまだ若いのだ----今だ十九の若者なのだ。それをアルネは時々忘れそうになった。もう三百年、彼はずっとアルネの側にいたので。

 生きるために老人が必要とする技術----別れを優しい思い出にすり変える術を、リーガはまだ知らなかった。アルネが微笑みを以て思い出す剣の面影は、リーガにとってはまだ胸を刺すものなのだろう。失った家族、自由、あるいはこうあるはずだった自分自身、彼が亡くしてきたもの全てのイメージを、リーガは剣に重ねて見ていたのかもしれない。
 そのリーガの喪失感が。そしてそれを理解し得ない自分が。アルネの胸を刺した。

 寝室にリーガの姿は無かった。だが彼の部屋から狭い屋上に続く扉が、僅かに風に揺れていた。突風が吹けば空に飛ばされかねないその場所をアリス達は恐れたが、リーガはその場所がいつも好きだった。なかなかアルネに心を開こうとしない幼いリーガも、年を重ね老人となり物思いに耽ることが増えた彼も、いつの時代も、どのリーガも、彼は必ずその場所を愛した。そしてアルネは、彼が一人、その場所で過ごす時間を邪魔したことはなかった。
 だが今日は。

 細い階段を、アルネはゆっくりと登って行った。
「リーガ」
 リーガは微笑んで彼を迎えた。アルネは彼の傍らに腰を下ろした。
 そこからヴィレッジは見えなかった。フェンスの端さえも。場所が高すぎ、そして屋根が視界の下を遮り、人間の世界は全く目に入って来なかった。だからそこからは西に広がるフィールドが、遮るもの一つ無くただ果てしなく見渡せるのだった。
 そのまま二人はしばし柔らかな秋風に吹かれていた。

「君が剣を送って行くとき」
 やがてアルネは静かに口を開いた。あれからアルネが剣の名を口にすることはほとんど無かったので----リーガはゆっくりと彼の方を振り向いた。
「あの時、僕は君が、もう帰って来ないかもしれないと思っていた」
「……アルネ」
アルネは喋り続けた。
「僕は……君がね。ここに合わないって知っていた。君は、ドームを嫌って空の下に出て行った山の民の末裔だ。所詮ドームの真似事をしてるこの世界は、タワーは、いつも君の息を詰まらせる。君を生きながら窒息させる。だから僕は、君が帰ってこなければ……それでもいいと思っていた。今まで君は、ここを出て行きたくても行く場所がなかった。でも、あの西の丘陵は、君を受け入れてくれるかもしれない。もしかしたらね。空の下で、森の中で暮らす彼等の生活は、きっと君に似合うだろう」
「………」
「君が帰って来なかったら」
 アルネは微笑んだ。
「僕はもう君を蘇らせるのを止めようと思っていた。オリジナルの君を、五歳のまま眠っている君を、氷から開放して土へ還そうと思っていた」
「アルネ」
「君がそう望むなら……僕はもう君を、終わりにする。今の君で……。こんな繰り返しは不自然だ。そんなことは解ってる。今までタワーのためにそうして来たけれど、君をもう、巻き込みたくない。もし、君が……」

 嘘だ。リーガはそう思った。リーガがいなくなって----耐えられないのは、アルネだろう。結局彼は幼いリーガを再び蘇らせることだろう。人間達のために。そして彼自身が生き続けるために。これは、優しい嘘だ。
 リーガはそっと、アルネの肩に手をかけた。
「俺は、帰って来ただろ」
 そして笑った。
「死ぬ度に、また生き返るってのも悪くないぜ。死ぬ時に俺はきっと、次の俺はどんな風に生まれるだろう、どんな風に生きるんだろう、って考えると思う。それってわりと幸せなことかもしれないよな。誰にでも出来ることじゃないだろ。俺だけの特権だ」
 アルネは黙ってリーガの顔を見つめていた。

 もしかしたら七代目も、そのずっと前の自分も----これと全く同じ会話をアルネと交わしていたのかもしれない、とリーガは思った。そしてその度に、アルネは彼のために優しく嘘を付いてきたのかもしれない。その度にリーガは彼の肩に手を置いて----。

 その感覚は眩暈に似ていた。そして彼はふいにアルネの事を思った。その繰り返しの中に永遠に閉じこめられているのは----アルネもまた同じだった。
「アルネ」
 我知らず口から言葉が出ていた。
「剣と一緒に行きたかったのは……お前の方じゃなかったのか」
 迷い込んだメビウスの輪に別れを告げたかったのは。
 秋の落日を遮るように目を細め、アルネは笑った。
「剣がここにいた頃は……毎日夢を見てるみたいな気分だったなぁ……。ねえ、考えてもごらんよ。遠くこのフィールドの西にある丘では、尖った耳と細い目を持つ彼等が弓矢を手に獲物を追い、雪の上で篝火を囲んで歌い踊り……。そして傍らには美しい女達をはべらせているんだね……」
「美しい女を……」
 リーガも微笑んだ。
 彼等はそのまま肩を寄せ合い、西に夕日が沈んで行くのを見つめていた。



第二章: 完
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