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I. 雪原
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 篝火だ。
 雪原に篝火が燃えている。


 女達は既に踊り始めていた。狩りの儀は大盛況だった。巨大な雪羚羊が数頭と、小さな獲物は数えきれず。若猫達の活躍も目覚ましかった。特に今年成人を迎えたばかり、初めて「大人の」狩りの儀に参加できた興奮も相まってか、先に立って殊勲を競う黒矢と日刺を、大人猫達は首を振りながらも頼もしげに見つめていた。そして日も暮れた今となっては----山ほどの戦利品をかかえ意気揚々と可南広場に帰って来た猫達は、空を焦がす篝火と笑いさざめく女たち、そして積み上げられた壷酒に迎えられ、楽しくも賑やかな狩の夜を過ごそうとしていた。

 六年前まで続いた可南と可北の戦乱で随分と働き盛りの若者を失った猫族であったが、その傷も今ようやっと癒えてきたかに思えた。次々と子猫が成人を迎え、可南は以前の----羅族が最盛を誇ったあの頃の、活気を取り戻して来たかのようであった。戦乱を生き残った子供達がやっと大人になって来たのだ。藍の長藍高は十八、赤の長男赤星は二十歳。黒の三男も成人した。また巫子の次男剣も焔を伴って黒の本家入りを果たし、懸念だった次期巫子の誕生もあった。元日族の長男日刺は赤に入り、そう遠くない将来に雑種を集めて日族の再興を果たすだろうと考えられていた。可南は着々と、若い世代に受け継がれようとしているのかもしれなかった。

 羚羊は既に皮を剥がれ、篝火に油を落としていた。実際はこの時期の獲物は----冬にならないと可南背後の雪山から降りてこない雪羚羊は別として----秋のそれに比べ肉も落ち、決して誉められた味ではなかったのだが、塩漬け肉を食べ飽きた口にはそれでも嬉しいもので、男も女も争って火の中の肉塊に手を伸ばし、乱暴にむしっては口に運んだ。成人猫しか参加しないこの祭りは、四季のそれに比べ華やかさには劣るものの、その野趣においては並ぶものが無く、特に日刺や仲間達、雑種猫の趣向には合うようだった。普段は入れない可南に興奮してか、雑種猫達は羚羊肉と酒の壷を両手に持ち、我が物顔で雪の上を練り歩いている。彼らの熱気を映して、篝火の勢いもより強く、勇壮に感じられるようであった。


 どっかりと、日刺は黒矢の横に座り込んだ。
「いよう、今日の殊勲だな」
 特大の雪羚羊にとどめを刺し、名誉と共に角を手に入れた黒矢はまさに今日の殊勲であった。だが日刺の声に嫌味はない。彼もまた銀狐を一匹手に入れ、毛皮狙いの女たちから山ほどの祝福を受けていた。
「どーもね」
 ニヤリと黒矢も笑い返す。日刺が片手に抱えた酒の壷は、既に空に近い。
「誰にやるんだ? 銀の毛皮」
「そりゃーオメエ、赤音にきまってるだろぉ。アイツうるさくてよ」

 日刺は肩を竦める。正妻となる赤音との婚儀が既に決まっているとはいえ、雑種女の中には既に側女の地位を狙い、日刺に擦り寄って来る者が数限りなくいた。それで日刺はまたご満悦ではあったのだが、なにぶん婚儀を控えた冬だ。まだ赤音をおろそかに扱うわけにはいかない。

「それにしても、」
 ニヤニヤしている日刺を後目に、黒矢はふと篝火の向こうへ目をやった。
「お前の替わりに、って言っちゃナンだがよ。剣はどーしたんだ? いやに元気なかったよな今日」
 日刺も黒矢の視線を追う。篝火の影になり、座り込む剣の姿は雑踏に紛れてすぐに見えなくなる。
「まあな……まだ怪我ひきずってんじゃネェの? なんせ平原で、半の月も動けなかった程の怪我だったって言うからな」
「ま、良く生きて帰って来たよ」
 黒矢も頷く。
「てっきりもうダメだと思ってなあ……焔も泣いて暮らしてたのによ。ひょっこり帰って来やがって。獅子にやられて動けなかったって……いくら秋のかき入れ時だったってよ、平原に出るなんてアイツはアホーだぜ。可南にだって生きのいい獲物は山ほどいるだろ? せっかく黒の縄張りで狩り出来るようになったってのに、何考えてンだか。」
「……だけどありゃ、秋祭のアタリだぜ。もう随分前だ」
 日刺は肉の塊を食いちぎった。
「アイツ、足とかダメにした訳じゃねえだろうな?」
「そんな話は聞かないぜ。まあそうだとしても、自分から話して回るほどアイツもバカじゃねぇだろうけどな」
「フン」
 日刺は首をかしげた。
「ナンか、あれからあんまアイツと話してないしな」
「仕方ネェだろ」
 黒矢は剣から目を離すと、酒の壷に顔を埋めた。
「俺達、もう成人なんだぜ。そうツルんでもいられネェよ……」


「元気無かったよナァ」
 黒葉は溜息を付いた。
「いーとこナシじゃねーか」
「お前の弟は活躍したろ」
 慰め顔で羅猛が言う。
「黒矢も、黒里もさ」
「ま、俺とお前にゃかなわネェけどな」
「あたり前だ」
 黒葉がやっとニヤリといつもの笑みを浮かべ、だが彼は再び肩を竦めた。
「でもよ、かーいい娘の婿の事は、やっぱ気になるぜ。どーかしたかね、アイツは」
「短期間にあれだけの経験したんだからな……何か引きずってるんだろ」
 羅猛は剣の方に視線を向けた。普段は猫の気配、視線に敏感に反応する剣が、今日はそれに気付く様子もない。
「春水が……生きていた」
 声を潜め、羅猛はゆっくりと言う。
「剣にとっちゃ嫁さんの元亭主でもあるんだぜ。今度こそ、てんで戦ってはみたがブザマにも殺されかけ、命を助けられてみれば、それがあろうことか人間だ。そんなコトになったら、お前だって肝ツブすだろうが」
「……全くとんでもない話だぜ」
 空になった酒の壷を雪の中に投げ捨て、黒葉は苦々しげに呟いた。
「でもよ、他の猫共は剣がどこ行ってたか、どんな経験したかなんて知らねぇ……いくらなんでもそんな話、俺達だって吹聴して廻るワケにゃいかねェからな。成人明けの狩りの儀ってのは、大事なんだぜ。これでペシャンコになったら、ああ、やっぱりオトナに混ざったらまだまだだな、ってコトになっちまう。日刺や黒矢なんて、あれだけハリキッてたってのによ。このままじゃお前の計画だって行き倒れになるぜ」

 炎が、大きくはぜた。篝火の周りで踊り狂う光の女たちが、酒を壷ごと投げ込んだのだ。羅猛はそんな篝火を、しばしじっと見つめていた。かつて祭りでよくそうしていたように。その向こうにうごめく美しい女の姿は、もうどこにも無かったが。

「……光の残党はおとがめナシか」
 黒葉は食べ残した羚羊の骨を足で蹴りとばした。
 羅猛はゆっくりと頷いた。
「……光の直系な……行方をくらました……あいつらが、春水といるのはまず間違いないだろうな。コッチに残った光連中がまだ奴とツルんでるって事も十分考えられる。だがな……今いたずらに光をせっつけば、春水生存、の噂を可南中に広めることにもなりかねネェ。それはどうしても避けたい。……たとえ今ここにいる光を絞ってみた所で……」
 フン、と羅猛は鼻を鳴らした。
「誰も喋らんだろう。喋ったとしても、次の瞬間には春水はそこにいない。残念ながらアイツらも、今俺達に対して切り札を持ってるのさ。春水って名前のな」
「……そうだな」
「光が、そこまで春草とベッタリだったとはな……。光嚥が春水の身代わりになる程な。あいつらは流浪の民を気取って……可北に根はあってもほとんど寄り付かず、それどころか春草の陰口を平気で言い触らすような奴等だった」
「……ナメやがって。本当だったらアイツら今すぐ切り刻んでやりてェ所だぜ。狩りの獲物の代わりによ」
 いまいましそうに、黒葉は大剣をしごいた。そんな黒葉を、羅猛はゆっくりと振り返った。
「光を皆殺しにする訳にはいかない。奴等は春草とは違う。可南の敵じゃない。ましてや理由をマトモに説明出来ないとあったら……今度は可南が、それを許さないだろう」

 黒葉は黙って新しい酒の壷を羅猛に渡した。こんな席では、猫は杯など使わなかった。火がつくほどの火酒を壷からじかに飲み、それでも酔いつぶれる者などほとんど無く、朝まで踊り歌うのが常だった。体力を奪われる雪と寒さに、酒はなによりも体を温めてくれる薬ともなった。薬というには量が過ぎるきらいはあったが。
 しばし黙り込み、羅猛はかすかに笑った。
「黒葉、前俺は言ったよな。俺は自分の賢いところも、馬鹿な所も、隠さねえ、って」
「……ああ」
「……今回は、俺の負けだ。大きな勝負には勝ったが、最後の小さなヤツで負けた。小さいが一番大事なところだ。どうやら今回俺は、ありったけの馬鹿をさらしたらしい」
 黒葉は顔をしかめた。彼の酒も再び空になったのだ。新しい壷に手を伸ばしながら、彼は低く答えた。
「どうやら、そうみたいだな。だがそれは俺も同じだ……」
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