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VI.  波乱
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「納得なんて、出来るかよっ!」
 黒矢の怒声に、黒葉は眉を上げた。
「そんなに不自然な事かよ? 羅猛が今まで一人で住んでたコトの方がおかしかったんだぜ? だいたい物騒だ。羅冠だって、羅族の若いの十何人も住まわせといてもああなった」
 黒矢は苛立たしげに部屋を歩きまわっている。
「物騒だから一緒に住むってんなら、黒葉だって黒里だって、俺だっていいじゃネェかよ。今までそうする機会はいくらでもあったのに、羅猛がそうさせなかったんじゃねェかよ。今更、ナンで、剣なんだ? ……黒の本家差し置いて、いきなりそれはネェだろうよ」
「剣はもう、黒の本家だぜ、黒矢」
 黒葉は静かに言った。
「それに、いきなりって訳でもネェ。剣がいつか技比べで自分を負かす事があったらこうしようと……そう決めていたと、羅猛は俺に言った」
「……そんなら、なおさら黒葉の方が先だ」
 黒矢は長兄に詰め寄った。
「組み手と大剣で、兄貴はもう何度も羅猛に勝ってる。もしそんなご褒美みたいな事で頂に住めるんだったら、黒葉がアソコに行くことの方が、どう考えたって自然だ。兄貴が長兄だからダメだってんなら、里兄ィだって、羅猛に大剣で勝った事あったじゃねえかよ。それなのに、何で剣なんだ?」
「……黒矢、あのな……」
「羅猛には」
 珍しく、本当に珍しく、黒矢は長兄の言葉を遮った。
「……羅猛には、ガキがいねえ。作るつもりがないんだか作れネェんだか知らんが。みんなは、噂してる。剣をあそこに呼んだってことは、羅猛は剣を、次にするつもりなんじゃネェかって」
「………」
 これも珍しく、言葉を遮られた黒葉も、弟を叱り付けようとはせずに黙したままだった。

 黒矢は、やっと兄の前に腰を下ろした。
「俺はな、兄貴……俺は、まさかって思ってた。だがな……確かに今まで……羅猛は妙な事に、頂に若猫を誰も入れようとしなかった。本当だったら、色の似た雑種を何十匹か見繕って、それに赤や月や黒の色違いを引き入れて、羅族を再興してるのが自然だ。それを、羅猛はなぜか敢えてやろうとしなかった。その理由は俺には解らねェ。で、今度は剣一人を呼ぶ。妙な噂が流れたって仕方ないだろう。俺は、知りたいんだよ兄貴。羅猛が何のツモリであんなことしたのかさ……兄貴は知ってるんだろ? 羅猛は……本当に次を、剣にするつもりなのか?」
「そうだ」
 黒葉はあっさりと認めた。
「羅猛は、確かにそう考えてる。お前は反対か? 黒矢」
「……んな事……考えたこともなかったぜ……だいたい、歳が近すぎる」
「反対なのか」
「………」
「俺は、賛成した」

 きっと顔をあげ、彼を睨み付けた弟の言葉を制するように、黒葉は続けた。
「羅猛は、血の争いを無くしたい、と言っていた。そのためにアイツは春草を消した。血で起こる諍いを止めるには、相手と手を携えてその血を混ぜるか、それとも相手を根絶やしにするか、そのどちらかしかない。それでアイツは迷った。だがあの秋祭の騒ぎで、結局後者を選んだ。そして、春草の対極にいた羅族……アイツはそれも消すつもりでいる」
 黙ったまま、黒矢はそっぽを向いた。感情を抑えようとするかのように一つ、大きな息をつく。黒葉は語り続けた。
「それなら、誰が次に可南を束ねるのか……。直系の黒や赤から次を選んだら、また同じことになる、とアイツは考えたんだと思う。また血族がどうのって騒ぎにな。剣は黒じゃあるが巫子の出で、黒の血は薄い。剣が頂を制するようになっても、黒が族長になったという印象を可南に与える事はないだろう。おまけに、黒の後押しも手に入るから可南をまとめやすい。羅猛は、そう考えたんだと、俺は理解してる」
「………」
「俺もそれは当たってると思う。俺だって、赤星や藍高が次って言われたんじゃどうも納得出来ネェしな……。それは赤も藍も同じだろう。だが剣なら……。それにヤツは、そう思わせるモノを何か確かに持ってやがる。剣なら、しょうがネェ。そう思う猫が可南には多いと思うぜ。全員とは言わネェがな。お前は、どうだ? 黒矢」
「………」
「羅猛はな、繋ぎ、って言ってたぜ。羅族が族長から降りるための繋ぎ……確かにその役目が出来るのはあいつしかいねェかもな。楽な役目でも、楽しい役目でもないと思うぜ、族長なんてよ。俺はゴメンだ。やりたくもねえ。羅猛の……羅族の後なんて尚更まっぴらだ。赤が来たって藍が来たって、羅族の後じゃどうしたってちと見劣りすらァな。実力がどうのもあるが、その何だ、神秘性がどうの伝説がどうの、ってヤツが邪魔こいてな。だが、剣ってのは……どっか、意外性があってな。俺はナンかピンと来たのよ。この俺がさ、後押しの一つもしてやろうって気になったのさ。それに、何よりこれは族長の決定だ」
 き、とそこで黒葉は顔を上げた。
「だから俺は羅猛に賛成した。それが俺の決定だ。反対か、黒矢」
 黒矢も顔を上げて、きっと兄をねめつけた。
「賛成は、出来ネェ」
「黒矢!」
「……それは、ヘリクツだ。もし黒族が頂に立って……確かに赤や藍は面白くネェだろうが、力でコッチに叶うもんか」
「それは、今は、の話だろう。春草だって、羅族だって、かつてはそう思っていたに違いないさ」
「そしたら巫子族だって同じだ。だいたい、黒の力がなきゃ剣はどうせ頂には行かれネェ」
「だから、お前に頼んでる、黒矢」
 黒葉は言った。いつもの彼に似合わず、相変わらず静かな声だった。

「俺はもう四十近いンだぜ……。いつまでも剣を支えられやしネェ。息子の黒芝だってまだガキだ。これからの黒を束ねるのは、お前なんだよ黒矢。だからこれは命令じゃネエ。次の黒の長としてのお前に頼んでンだよ。だが今は……俺が長だ。俺は、剣に付く。お前は、どうする」
「……黒の力が無ければ、剣はあそこには行かれネエ」
 黒矢はもう一度繰り返した。そして激しい勢いで立ち上がった。
「そンなら、ナンで黒自身がそこに立たねえンだ。俺は黒だ。羅族には従う。だが分家に従うのは、たくさんだっ!」
「黒矢っ!」
「俺には、兄貴の言うことは訊けネェっ!」
 兄に背を向け、黒矢は扉へと歩き出した。
「……黒矢!」

 今黒矢がここを飛び出せば----彼は二度とこの家へ足を踏み入れる事はないだろうと、彼等は互いに承知していた。黒矢は、長に背いたのだ。次の長、と認めた彼を黒葉が討つことはないだろうが、だが黒の中に反目の一派が生まれることは確かだった。黒は、たった今二つに割れたのだ。長にはあくまで忠実であるはずの黒族だったが、若い一派は、剣に反目した結果黒矢に走るかもしれなかった。

 黒葉は弟を引き留めようとはしなかった。彼が黒矢を次の長として認めた以上、それは次の代、未来の黒族の立場の決定でもあった。たとえ今は黒葉の言葉が黒の行動を決めるとしても----それは未来永劫続く訳ではないのだ。黒葉は腰を浮かせたが、再び椅子に戻り、低く呟いた。
「……ったく、このおとーとはよオ……」
 ふざけた調子だったが、そこには苦々しげな、そして悲しげなものが含まれていた。黒矢の耳にも、それは届いた。そして今にも小屋を出ようと----開いた扉をそのままに、黒矢は立ち止まった。

 十五の時深い畏敬を持って聞いた言葉が、その瞬間彼の胸にありありと蘇って来ていた。まるで耳もとで再び聞くように、今は亡き簓の声が彼に語りかけていた。あれは、前成人の祝いだった。彼はその時でさえ確かな予兆を感じながら、それに耳を傾けていたのだった。それが今彼の足を凍り付かせ、その歩みを止めた。

 黒矢は唾を飲んだ。
 深い深い、沈黙の一瞬の後、黒矢は静かに扉を閉め、振り向いた。彼を愛する者の方へ。
「……兄貴」
 黒矢は、机の前に戻り、そして再び腰を下ろした。黒葉が目を上げる。
 長兄の顔をしばし見つめて、黒矢は頭を下げた。
「黒葉。すまない。俺が……悪かった。兄貴に、逆らった。許してくれ」
「黒矢……」
「兄貴の、黒葉の言葉は、俺の言葉だ。俺に、異存はない」
 その姿を黒葉はしばし見つめていたが、やがて立ち上がった。
「……解った」
そして言った。
「……これで、黒の立場は決定だ。他はどう出るかな……」


 白山に続くなだらかな丘を、二頭の馬がゆっくりと歩いていた。
「親父達はナンも言わネェけどよ」
 赤みの強い茶髪の若猫。赤星だ。今年二十一になる。
「俺はどーもナア……。ピンとこねーよ。剣が族長だあ? あの若造がよ」
「別にいいじゃネェか。現族長の決定だぜ」
 獲物を探して目を配りながら日刺が言った。狩りも今が盛りだ。彼も既に一家を支える身であり、妻の出産も間近に迫っている。日刺は赤の長女をめとり、赤の縄張りの隅に可南入りを果たし、赤の養子として扱われてはいたが、本人は日族の名を捨てず、日の長を名乗っていた。元々外猫だっただけに彼を若き長と慕う雑種猫達も未だ多く、日族の復興もそう遠いことではないだろうと言われていた。
「……フーン?」
 意外そうに目を細め、赤星が日刺を見やる。
「オメエが一番ナンか言うと思ってたけどよ。案外素直なモンだな」
 フン、と日刺は笑った。三つ程の歳の差は、成人すれば無いも同じだ。
「馬鹿だなあ。おメエは」
「なーんだよ。お前に馬鹿よばわりされるとはね……」
 むっとしたように赤星が言う。馬を止め、日刺は振り返った。
「赤星、お前、羅猛に勝てるか」
「……羅猛に……? そりゃ……」
「勝てやしネェだろ。俺だってそうだ」
 日刺は、背後にそびえる可南を振り返った。
「次を剣にしたってコトは、羅猛は……そんなに長くアソコにいるつもりが無いってことさ。なんたって歳が近い。それも今から頂に呼んだってのはよ。案外若いウチに頂を降りて、剣をアトに据えるつもりなんだろうさ。じゃなきゃもっと長い間秘密にしてたはずだぜ。波瀾を呼ぶのは間違いネェんだからな」
「………」
 頂を、日刺はじっと見上げていた。
「羅猛相手じゃ、少なくとも羅猛が若いウチは、俺だって勝つ自信ねェよ。でも、剣ならどうだ? それに羅猛相手に立ち上がろうったって、仲間になるヤツがいるワケねえ。可南のどこ探したってな。……でも、剣ならどうだよ」
 赤星はしばし黙って日刺を見つめていたが、やがてニヤリと笑った。
「フーン、なかなか……。お前、そんなこと考えてたワケ……」
「……俺は何かをやるとも何とも言っちゃいないぜ。ただ問題提起、ってヤツをしただけでよ」
「それにしてもな……フン……」
「言うなよ。他に。殺すぜ」
「誰に言うかよ」
 赤星はふざけた素振りで三本の指を並べて立ててみせた。誓いの仕草だ。
「……そんな、おもしれェ話をよ」
「ま、いずれにせよ」
 日刺は手綱を取った。秋の日は短い。まだ一日分の獲物を手に入れてはいなかった。
「俺達にはオイシイ話だってことさ……」
 二頭の馬は走り出した。その勢いに丘の木々がザワザワと揺れた。
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