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VIII.  産声
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 平原の遠く----。
 丘に吹く強い風の中に、新しい産声が響いていた。

 伸ばしかけた金髪を風になびかせた若猫が、小屋の入り口にかけた布の前をうろうろと歩き回っている。
「アロン、入って」
 女が疲れた声で、彼を呼んだ。
 アロンはそっと部屋を覗いた。元気な産声が聞こえてから、早く中の様子が知りたくてたまらなかったのだ。
「光杏……生まれた……のか」
「そうよ。抱いてあげて」
 アロンは入ってきた。すらりとした長身の彼は、その緑の目を輝かせている。
「生まれた……かあ。不思議だなあ……」
 感動的な目付きで、彼は篭の中の赤ん坊を見つめた。だが手で触れようとはしない。側に付いていたもう一人の女がクスクスと笑った。
「壊れやしないわよ。抱いてやンなさいよ」
 そおっと、それでもアロンはその手で赤ん坊の額に触れるに留めた。エドムでは、赤ん坊は一歳になって首が座ってから割り当てられた。こんなに弱々しく、ふにゃふにゃな生き物に触るのは、壊してしまいそうで恐かった。
「俺の、子供、かあ……」
 それは混乱と不安と希望とがないまぜった不思議な感情で、ふと涙が出そうになるのを、アロンはこらえた。敷布に横たわった光杏も、幸福そうに彼等の様子を眺めていた。長い見事な金髪に、薄茶の目をした光の女猫----剣が南の丘で出会ったのは、彼女に他ならなかった。
「ああ……緑の目だ」
「心配しなくても」
 側に付いていた光真が自信たっぷりに言った。
「私はそうだと思ってたわ。光杏は直系の子供だもの。自分は茶の目をしてるけど春草の血は濃いのよ。大丈夫。男にあれだけ緑の目が揃っていれば、女が多少交ざり物でも、血はスグに戻るわ」
「春草の血……」
 夢見るように、光杏は呟いた。
「ああ、もうすぐあの方も帰っていらっしゃる……」


 小屋を出たアロンを、アルバが待ちかまえていた。
「すげえな、アロン!」
 肩をどやされる。
「ああ……まだなんかな」
 密かな涙の跡を見られないかと、アロンは照れた。
「俺も父親、ってワケだ。色々、教えてくれよな」
 アルバは笑った。
「お前だってエドムで里親になったことあっただろうに」
「ああ、だがなあ……こことあそこじゃ色々違いすぎてな」
 小高い丘の下では、光の男と金種の若者が一緒になって新しい仮小屋の建設に励んでいた。仮小屋とは言っても適当な木も少ないここでは、かろうじて壁と屋根がある、というものにすぎなかったのだが、とりあえず雨露をしのぐのが先決であった。エドムから行方不明になったはずの十人、いや、十一人の金種がそこには揃っていた。そして光の男達と、女がもう一人、小屋の建設を手伝っていた。何分人数が足りず、力仕事などした事もない光の女でさえ、今は大切な人手だったのである。僅かに二十一人の小さな部落であった。尤も、もう小さなとは呼べないかもしれない。既にそこには三人の赤ん坊が増えていたのだから。

「春草、かあ。まだ慣れねぇなあ……」
 アロンはぼんやりと呟いた。
 アルバも頷いた。
「そうだな……」
「『彼』は上手くやってンのかな」
「心配すんなよアロン。彼は背格好もお前と似てる。人間達は誰も金種の顔なんかいちいち覚えちゃねえよ。誰も気付くもんか。それに彼はお前より賢いからな。フィールド育ちの割にゃ物知ってるしよ。今回のコトだって全部アイツが……おっと」
 アルバは声を潜めた。「彼」をアイツ呼ばわりなどすると、光の女たちが、そして男たちも、烈火のごとく怒るのだ。
「彼が、計画したんだぜ。今のところは旨く行ってる。こんな住みにくいフィールドのはしっこじゃなくてよ。その……可北とやらを……色付きと争うことなく……手に入れるためには、どうしても彼の協力が必要だ。それに女達のこともある」
「そうだな」
 アロンも頷いた。そして笑った。
「女達のさ、『彼』への傾倒ぶりにゃ、そりゃ驚いたが。一族の意識っていうのかね」
「女だけじゃない、あの光の男共にしたってそうだ。逆に俺たちがここに来て、こうすんなり女や、光共に受け入れられたのも、彼の言葉あってのことだろ」
「ここはもうエドムじゃない、フィールド……いや、平原なんだな。ここで俺たちが生きて行くのに、奴等の、春草の……光の……ややこしいな、協力が欠かせないってのは確かだ。いくらハンターやってたからって、獲物のいる場所、武器の造り方、家の造り方、服を作ること……なあ、俺たちは本当にあそこで、タワーにおんぶに抱っこされたんだな。実感したぜ」
「ああ、生きてる内にな……エドムから出れるなんてよ。あの人間共に見下げ果てられた生活から出られるなんて……思ってもなかったけどな」
「それに、何と言うか」
 アロンは照れて頭をかいた。
「女ってのは……いいな。その、はじめはよ、子供を作るための……ってしか考えてなかったけどな……それに、はじめは……正直言って気色悪い、って所もあったけどな。なあ、俺エドムにいた時はストレートだったんだぜ?」
 アルバは笑った。そして、ふと優しい目になった。
「……ああ、そうだな、うん……何というか、綺麗な生き物だ……」
「だけどよ」
 ふと、アロンの顔が曇る。
「ここで上手く行ってんのはいいけど、今エドムに残ってる奴等はどうかな。みんな、すんなりあそこを出てくるだろうか? この生活に……」
「選択の余地は、もう無い」
 アルバがきっぱりと言った。
「俺達はフィールドに出ることを選んだ。あんな狭っ苦しい場所を捨ててな。そのためには俺達だけじゃ無理だ。それに、心配する事もないだろうさ。『彼』はもうエドムの金種達も説得に入ってるぜ。アイツ……じゃない、彼には、何かあるんだろうな。そういう所が。金種……春草を束ねる、従わせる何かがさ」
「昔ドームにいた金種に一種の超能力者がいて、金種のまとめ役やってたって話もあったな。神懸かりな力持っててさ。案外その子孫なのかもしれないな」
「どうかな、彼にはそういう特殊な力はないようだが」
 アルバは首をひねった。
「だが、一番必要な力はある。今金種と春草、光をまとめること……それから悪知恵だ」
アロンは笑った。
「『彼』がエドムから戻ってくる時によ、どんなオミヤゲを持ってきてくれるもんだか……楽しみだぜ」


 語り合っている金種の若者達を、光蟻(コウギ)は小屋の前から見つめていた。彼らが何を話し合っているかまでは聞き取れなかったが、その表情から、悪い会話でないのは見て取れた。
 ずっと人間の中で暮らしてきた春草----いや、金種を迎え入れる事に、光や緑の間にも抵抗と不安は多々あった。数の問題は解決するとしても、彼らが果たして平原の生活に、春水を神と仰ぐ光や緑の生活に、馴染めるものか?
 だが。
「全て女が解決するさ」
 春水は薄く笑ってそう言ったのだった。
「まず女と会わせろ。一番力のある若い連中を選んで、女をあてがってしまえ。季節外れでも、光の『薬』でも使って、さっさと子供でも作らせてしまえ。奴等は今更僕を神と仰いだりはしないだろうさ。だが女は別。奴等の中では女は神聖だ。せいぜい光の女共に頑張らせて、奴等を骨抜きにしてしまうんだな。そうすれば、多少のいざこざはあっても結局円く収まるだろうさ」
 春水の予感が怖い程に的中し始めているのを、光蟻は今まざまざと感じていた。

 小屋の中では、既に光杏が赤ん坊に乳を含ませていた。光蟻が入ってくると、誇らしげに彼女は赤ん坊を差し出した。
「緑の目か……」
光蟻の顔もほころぶ。
「三人とも皆緑の目か。優秀だな」
「彼らの血は思ったより強いのね」
 側にいた光真も頷いた。
「春草の血は……もう大丈夫よ。決して亡びたりしないわ」
「あとは……」
 光蟻の目がいささか曇った。彼は光の直系の長男として、失った弟の代わりにも、何としても春草直系の血を絶やさぬことに執念を燃やしていた。
「あの方の子供さえ産まれればな……」
 光杏も黙ってうつむいた。本当は彼女が、春草の血を一番濃く受け継ぐ現存の女として、その役目を担うはずであったのだが。
「心配しなさんな」
 光真は大きな声を上げた。
「一度うまくいかなかったからって諦めることないわ。何度だって、これから幾らでも、春は来るわ。あの方は無事に生きていらっしゃるんですからね。そしてもうすぐ、あの方は帰って来る! そしてみんなで帰るのよ! 可北へ! あの美しい山へ!」
 光蟻も頷いた。
「それもそう遠いことじゃない。いや、遠いことにはしない。あの方が帰ってくれば……いよいよ全てが始まるんだぜ。大変なのは、これからだってコトだ」
「そうよ」
 顔を上げて、光杏が言った。それは出産を済ませたばかりの女とは思えない、強い声だった。
「春草の……新しい産声だわ……」
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