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XI.  即位
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 晴れ渡った空に。 
 白い鳥の群が列を描いていた。それは吉兆であり、普段はそう迷信深くもないはずの可南の猫達も、仰々しく着飾った衣装の中でそれぞれ大いに胸をなでおろしていた。祭り好きの猫達のこと、この晴れやかな即位の儀を大いに楽しみにしていたのではあったが、やはりそこに付きまとう不安もまたぬぐい去れないものであったのだ。

 何と言ってももう何代も----父の記憶、祖父の記憶、そのまた祖父の代に渡る語り継がれた記憶を通して、可南の山はずっと羅族に治められて来たのであった。例え最後の一人となってはいても、未だ若く、人望も厚かった族長がいきなり頂を降り、巫子の次男に次を譲ろうとすることに首を傾げ、不満を唱える者も多かったのである。

 だがその僅かな不安の色も、絢爛豪華な行列が酒や菓子を贅沢に振りまきながら可南をねり歩くにつれ、すぐに忘れ去られた。今日は祭りだ。それも生きている間に一度か二度しかお目にかかれない即位の儀だ。巫子家と黒家、そして現族長の威信にかけて、類を見ない華やかさと豊かさに彩られるはずだった。それを楽しまないと言う法はない。不安は----明日から考えればいい。とりあえず、今日は祭りの日なのだ。彼等の期待に応えるかのように、広場は既にありとあらゆる種類の酒、山と積まれた焼き肉、色とりどりの菓子類、可南頂でさえめったにお目にかかれないような贅沢な食物で埋めつくされていた。


「カッコイー!」
 土手の上から行列を見下ろして、真白は興奮して叫んでいた。
「あれってサァ、元は巫子家の衣装だろ? それを金で装飾したんだな。見事な刺繍だなあ……緑が秋から総がかりだったって言ってたぜ。豪華だなア。剣に良く似合うよなあ……。もう立派に族長ってカンジ」
 確かにその衣装は剣に良く似合っていた。ぐんと背が伸び、もう剣は子猫ではなかった。立派な若猫、大人の猫であった。細かった身体もすらりと強靭な筋肉を身にまとい、金糸の豪華な縫い取りを施した上衣、同じく金の刺繍で飾った臑当て、そして数々の腕輪や耳飾りをしゃらしゃらと鳴らし、それはいかにも真白が喜びそうな、「美しい」即位の姿であった。
「ま、確かにえらそーには見える」
 藍高は皮肉な、だが嫌味のない口調で笑った。
「……それに、ナカナカ堂々としてンじゃん。立派、立派」
「紫の帯が映えるねェ。そーだよなあ。あれがなきゃ、剣の正装じゃないよナァ……」
 酔ったように新たな族長の姿を見つめていた真白だが、やがて気付いたように藍高を振り返った。
「藍高、お前こんな所にいていいのかよ」
「何が」
「……お前、藍の長だろォ。囲いの中にいなくていいのかよ」
「ああ? だって藍の位置は囲いでもいっちゃん後ろの方なんだぜ。最近赤がノシてるからよ。コッチの方が良く見えるじゃん」
「……へんなヤツ」
 藍高は肩をすくめた。
「そーか? でも俺よりヘンな奴なんて、イッパイいるぜ。別にやりたくもないクセに族長引き受けるヤツとかさ……」


「ハデだよなあ……」
 目の前を横切る剣を見て、赤星が言った。だがその瞳は輝いている。彼も決してきらびやかなお祭り騒ぎが嫌いではないのだ。
「全くだ」
 日刺が短く呟いた。彼の瞳もまた、光を帯びている。だがそれは赤星の目の輝きとは、また違った種類のものであるようだ。そして彼はちら、と目の前に佇む黒の三男に目をやった。黒矢は、顔を起こしてじっと剣を見つめ、きっと唇を噛みしめている。その表情の意味を、日刺は計りかねた。不満か、服従の決意か。
 もし、この先日刺が何らかの----行動を起こすとしたら。
 この黒の三男が彼の味方となることは、決してないだろう。黒があくまで剣に忠節を通すなら、黒矢はそのために日刺と争い、そして仮に黒が頂に刃向かうとすれば----それは黒自身が頂を狙うことであり、赤の分家とも言える雑種の日刺を彼等が後押しすることはあり得なかった。日刺にとって当座の敵は、剣より先にまずこの猫かもしれなかった。敵は、多かった。あまりにも。
 華やかな行列が通り過ぎた後も、目の前の、自分より小さな後ろ姿を、日刺は睨み続けていた。その鋭い視線を知ってか知らずか、黒矢はじっと行列の行方を見送っていた。


 熱狂が渦をまく可南の山で。
 剣はただ一人、醒めた心でその祭りを眺めていた。真白の興奮を、日刺の敵意を、焔や燕が浮かべていた涙を----彼はほとんど何の感慨もなく、ただ冷静に見つめている自分に驚いてもいた。
 出来ることなら、自分もその興奮に飲み込まれてしまいたかった。このお祭り騒ぎの間くらいは、ただの若猫に戻り、前のように浮わついた気分で過ごしたかった。だが、いくら望んでも、その無責任な熱狂が彼の心を満たしてくれることはもうないようだった。あるいはそれが、「長」となるということなのかもしれなかった。
 列の先頭を歩く剣を黒葉が出迎えた。昼前の、腕輪頂きやら戴剣やらの七面倒くさい儀礼は全て済み、可南中を歩いてまわる「お披露目」も終え、あとは現族長との対話の時間とやらを残すのみだ。それが終われば、可南はいつもの祭りをも遙かにしのぐ、朝までの、それどころか何日も続くであろう無礼講の祝宴へと突入するのだ。

「なあ、剣よォ……」
 二人並んで頂へと歩きながら、黒葉が感慨深く言った。
「お前ってヤツはさ。不思議と誰からでも好かれるンだよなあ……。春水のヤローもそうだった。あの羅猛までよ。お前のことミョーに気に入っちまってよ」
「………」
「んで、俺までそれにハマる始末だ」
 剣の方を見て、黒葉は笑った。
「お前が焔貰ってくれた時ァ、嬉しかったぜ。あん時は、まさかあのムスメが族長の正妻に座るたあ思わなかったけどよ。……不思議なヤツだな、お前も」
 剣は考えた。そして言った。
「便利なんじゃないかな」
「フーン?」
「俺は、便利なんじゃないかな。何かと。使いやすいんじゃないかな」
 卑下して言った言葉ではなかった。ただ単に、彼は本気でそう思ったのだ。
 黒葉は剣の顔を見て、そして笑って背中を叩いた。
「ま、そーだとしても、それはそれで一つの利点だぜ。そんなら、ソコをしっかり磨きな。味方増えるぜ」
「そうだな」

 頂の、扉の前で、黒葉は立ち止まった。
「剣」
 表情が真摯なものに変わっていた。
「お前がここを出てきたら……俺は、お前の配下だ。黒は、全面的にお前の元に付く。それはもう決めてある。何があっても揺るがねえから安心しろ」
 剣は頷いた。黒葉は続けた。
「お前の言葉は、俺の言葉だ。剣」
「………」
 何と言っていいか解らず、剣は黙った。自分はまだこんな時に返す言葉すら見付けられない、と思った。
 どん、ともう一度黒葉が剣の背中をはたいた。
「行って来な。せいぜいゆっくりな」
 そして彼の肩を前に押すと、頂から降りていった。


 ここに住むようになってから、何度となく出入りしている羅猛の居間。いつもと変わらない簡素な部屋も、今日は外から漏れてくる喧噪のせいか、どことなく華やいで見えるようだった。
 さすがの羅猛も今日は「定位置」にはいなかった。机の前に腰をかけていた。
「よォ……マァ、座れよ」
 剣は彼の正面に腰をかけた。
「今更対話の時間、って言われてもなあ……一年以上一緒に暮らした仲だしよ」
 大げさに肩を竦めてみせる。常らしからぬ羅猛のその態度に、やはり彼も今日のこの日に何かしらの感慨を持っていることが知れた。剣はやっと笑った。
「そうわずに……イッパイ話してくれよ。外じゃ長くかかるほどエラいこと言ってると思うんだからさ」
 羅猛も笑う。そしてふいに、剣にぐっと顔を寄せた。
「まず一つ……藍高を大事にしな。アイツは使える。妙なヤツだがな。功名心もなけりゃ、口もカタい。何かと役に立つ……ただし、黒や赤にあんまバレないようにやれ」
「解った」
「二つ目。これがお前にとってイチバンの問題だ。……日刺だよ。アイツを味方に付けろ。地位や名誉のためじゃネェ、本当の味方に、だ。それが出来なかったら、切れ」
「………」
「それがどっちに転ぶかが、お前の勝負の別れメだぜ。アイツにはなんだかんだ味方が多い。外猫の雑種達とも未だに仲がいい。アレがお前に付けば、ソイツ等は丸ごとお前のモンになる。そうすりゃ少なくとも可南は安泰だ」
 羅猛は淡々と語り続けた。
「……だが、敵に回すくらいなら、殺せ。敵に回してあんな恐いヤツは可南にはいない。黒をまとめて敵にするより、外の雑種が集まった方が恐いってことを覚えときな。羅冠だってそれで殺られたんだぜ。日刺をヤれば、お前の敵は増えるだろう。だがアレがお前に真っ向から歯向かって来るなら、理由を無理に作ってでもさっさと切れ。集める者、動かす者さえいなきゃ、例え雑種が集まったって烏合の衆だ」
「………」
「アイツを手に入れろ。ヤツが自分で持っていると知らずに持ってるものを……まるごとな。そうすりゃ、もし黒矢がアホな考えを持つことがあったにせよ、大した問題にはならんだろうよ」
 羅猛はニヤリと微笑んだ。
「ま、難しいとは思うぜ。だがそれが出来たら……お前はまず成功したんだよ。その場で自分は族長の器だ、と自惚れていい」
「……解った……」
 やっとのことで、剣は言った。何だか口が乾いて、思うように言葉が出なかった。
「三つ目は、春水」
 低い声になって、羅猛は呟いた。
「……あれについちゃ、俺はもう何も言うことはねェ。俺の後始末をおっつけてるみたいで悪いがな。ま、好きにやれ。あれは、まかせた」
「………」
「ま、そんなトコだ」
 羅猛は言った。
「あとの可南はお前のモンだぜ。しっかりやんな」

「……羅猛」
 立ち上がった羅猛を、剣は呼び止めた。
 ふいにひどく心細くなったのだ。羅猛はあと何日かで頂を去る、と言っていた。本当は剣は引き留めたのだ。もう少し、助けて欲しいと思っていた。何年かの間は、前族長が後見人になっても不思議はないはずだったのだ。それなのに、なぜ羅猛は自分を頂に一人残し、行ってしまうのだろう。
「……羅猛」
 もう一度、剣は呼びかけた。羅猛は再び彼の目の前に座った。
「……俺に、出来るだろうか」
 怒りを買うのは覚悟の上だった。だがどうしても口から出てしまったのだ。
「……さあなあ」
 だが羅猛は、笑った。それは、いつもの彼の皮肉な微笑みではなく、ひどく優しい笑顔だった。
「だがなあ、剣」
 彼は言った。
「俺だって、自分に族長が務まる、なんて思ったことは無かったンだぜ。……今日まで、ただの一度も、だ」
「羅猛……」
「だからよ、とりあえずやってみな。失敗したら取り返せばいい。取り返せない失敗ならさっさと諦めろ。不安になってもいい。それが当たり前だ。不安じゃなかったらそりゃよっぽどバカなんだ。不安になったら、自分がカシコイ印だと思いな。ただ、周りには見せるな。気付かせるな」
 羅猛は剣の肩を小突いた。
「結局、お前に出来るコトしか出来ネェんだからよ……。今日やってみて、明日ダメなら仕方がない。そんなモンだろ。……それに、ダメでもなんだよ。死ぬだけじゃネェか。お前、もう一回死んだんだろ」
「そうか」
 剣は呟いた。
「そうだった」
「アホが。もう忘れてやがる」
 羅猛は笑った。そして言った。
「あと、もう一つだ。お前、そのだんまり、早く直しな。……ったく、石ころでも相手に喋ってるみたいだぜ。族長決まって、ますます無口になったんじゃねェか? ま、ここにいりゃ、イヤでもベラベラ喋るようになるだろーがな……今日の俺みたいによ」
そして彼は再び立ち上がった。
「さあ、情けねえツラしてねえで、さっさと行け。お前が行かなきゃ、祭りが始まんねーんだぜ。可南中が酒片手に待ってるだろうよ」
 そして彼は剣を立たせ、扉の外へ押し出した。


 その、静謐。
 春の半ばにも関わらず、頂の空気は澄み、冷たかった。
 子猫の頃----可南頂の厳粛な冷気が、どれほど剣の胸を高鳴らせたことか。だが今その同じ空気が、そこに住む者にしか解り得ない、深い孤独感を彼に与えていた。
 その中に、羅猛はいたのだ。十六の時からずっと。一人切りで。
 踵を返し、剣は広場へ降りていった。彼はもう十九になっていた。そしてまた彼は、決して一人ではなかったのだ。
 広場は祝宴への熱狂をもって剣を迎えた。それをまっすぐに横切って、新しい族長は妻の元へ歩み寄ると、腕の中の子供ごと、彼女を高々と空へ抱き上げた。
 歓声と、花吹雪。今日から可南は彼のものとなった。その盛衰も、興廃も、まるごと彼のものなのだ。
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