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XIII.  敵意
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 剣は顔を上げた。日刺は腕を組み、かすかに唇の端を持ち上げて、仁王立ちに彼の顔を見返している。
「勘弁してくれねェかな、剣。おメエも知っての通り、俺はどーも舞が苦手でね」
「オメエは、日族の長だろオが」
 黒葉が、うんざりした口調で言う。
「秋祭の舞台を免除してやるわけにゃ行かネェな」
「俺は、剣に頼んでるンだぜ」
 日刺は、黒葉の方を見ようともしない。
「剣に答えて欲しいね。族長サン、どうなんだよ」
「ダメだな」
 剣は答えた。
「黒葉の言う通りだ。日の長のお前が舞に参加しない、なんて認めるわけには行かネェよ」
「黒葉の言うとおり、ね」
 日刺がうっすらと笑う。後ろで赤星が、同調するような笑みを浮かべている。
「どうしても、イヤと言ったら?」
「お前が舞台に上がらないのなら」
 剣は静かに言った。
「日族は別の長を立ててもらう」
「なるほど」
 日刺は言った。
「それはかなわネェ。解ったよ。それじゃせいぜい練習に励んどくぜ」
 大仰な挨拶をして、二人は頂から去った。


 剣は椅子に腰をかけた。思わず小さな溜息が漏れる。黒葉が小さく笑った。
「まあ……アイツは昔っから、バカなチョーハツが好きだったよナァ……」
 手に持っていた酒の器を、剣は机の上に置いた。そしてふいに言った。
「黒葉」
「何だ」
「羅猛はさ、昔から」
 黒葉が目を上げる。
「……俺達と話すとき、暖炉の前で後ろ向いてるか、あるいはそうじゃねェ時は、いつも酒の器を手に持ってた」
「ああ……そうだな」
 黒葉の顔を見上げて、剣は笑った。
「ナンかさ、その理由が最近解って来たぜ」
 黒葉も笑った。
「ああ……だがな、お前はヒトに背ェ向けて話したりすんなよ。そーゆーふてぶてしいのは、お前にゃ似合わんぜ」
「そこまで一緒になったら、黒葉が付き合ってくれなくなるンだろ」
「……それはネェよ」
 黒葉はいささか困った顔をした。
「お前の言葉は、俺の言葉だ、って言ったろ。だから……あれは、あン時のは……ありゃあ、ハズミだ。悪かったな」
「黒葉。いいよ」
「いや、俺が悪かった」
 彼は言った。
「冗談でも、俺はあんなコト言っちゃいけなかったンだよ。今日のコトも……俺が始めに答えるべきじゃなかった。俺はどうも……何つうか、前の態度でお前に接しちまうトコがあるからな。まだ慣れネェんだろうな。悪かった。もうしネェ」
「ああ……」
 剣は立ち上がり、窓際へ寄った。

 まだ慣れない。それは黒葉に限ったことではなかった。剣が即位し羅猛が頂を去ってから、もう半年が経とうとしていたにもかかわらず、可南中が、剣が族長であるということに「まだ慣れない」のだ。それは剣自身でさえそうだった。羅猛は、生まれながらに次の族長だった。自らもそうあらんとしていたし、可南もまた彼をそう扱って来た。だが、自分は----。つい先日までただの黒の分家、可南の権力者連にも名を連ねていなかった彼を、族長としてどう扱うかに、まだ可南中が迷っているのだろう。

 そして日刺がこの隙を突こうとしているのは明らかであった。彼の「小さな挑発」は春から始まってずっと続いていた。まだ剣に族長としての認知がない内になら、日刺が多少無礼な振る舞いをしても、他の猫達がそれを咎めることはないだろう。それどころか、放って置けば他の可南猫達が彼を範としてくることもあり得た。特に若い外猫達、あるいは赤の若猫達にも、日刺の態度は大きな影響を与えるだろう。「今の族長にはこの位のことはしてもいい」と彼等に思わせてしまうことは----。そうなっては、これからの可南は、彼にとって随分と扱いにくいものになると思われた。

「アイツはなあ、こーゆーコトに関しちゃ妙に頭が切れるからナア……」
 剣の考えを読みとったかのように黒葉が呟く。彼も今、同じ問題で頭を悩ませていたに違いなかった。
「多少は無礼だが、それでも懲罰する程のことでもない。そのギリギリの線をついてきやがる。イヤなヤツだぜ。春草ン時のコトを思い出すよな」
 その挑発に振り回された結果春草がどうなったか。それは今あまり考えたくなかった。
 明日は秋祭だ。剣が可南中の猫の注目を浴びるその日を、日刺がおとなしく過ごすだろか。剣は、不安だった。その不安は、即位の日から絶えたことがなかった。これからも続くのだろうか? この先ずっと?


 藍高との「読書会」は未だ続いていた。かつて羅猛に厳命された読書の期限はとうに過ぎており、約束をかわした当人ももう既にいなかったのだが----だが忙しい身となった剣は、それでもなるべく暇を見つけては藍高を呼び寄せ、結局まだ半分ほどしか進んでいない読書にいそしんでいた。その時間の半分は文字通り本を読むことに、残りの半分はさりげない体を装った可南や外猫達の噂話に費やされるのが常であった。

 もう何度目かになる剣の無意識の溜息に、藍高はちらりと彼の顔を見上げると、ぱたりと本を閉じた。
「剣、俺、のど乾いた。酒もらってイイか?」
「あ? ああ、構わないぜ」
 あまり飲んべではないらしい藍高は花梨酒を杯につぎ、剣には火酒を手渡した。
「なあ、剣」
「何」
 剣は振り返った。
「明日の技比べさ、大剣で日刺に負けてヤンな」
「………」
 剣は目を見張った。
「お前さ、もうアイツに勝てるだろ。夏も勝ったもんな。日刺はそれでもカリカリ来てンだぜ。羅猛と稽古してさ、お前強くなったもんな。ま、日刺もお前相手だとみょーに気負っちゃってな……いつものアイツらしさが出ないっつーかな」
「……大剣も組み手も、どうせ優勝は黒葉だぜ。俺達なんて、入賞するかしないかなンだぜ」
「だからさ、順位なんてどーでもいーんだよ。日刺はお前に勝ちたいンだよ。あのバカは」
 藍高は肩を竦めた。
「その代わり、弓と細剣は取れよ……ま、放っといても取るだろうけどよ」

 剣は黙った。誰かにわざと勝負を譲る。それは決して負けず嫌いでなくはない彼にとって、どう考えても気持ちの良いことではなかった。だいたい自分にそんな器用な真似が出来るとも思えなかった。
「……とんでもねえと思うかもしれないけどなァ。ここ二、三回のコトだと思ってよ。アイツがもうちょっと落ち着くまでっつーか……こう、もうちょっとオトナになるまでってゆーかさ。ま、無理にとは言わねェけど」
「無理……かもしれない」
 剣は言った。
「それに……アイツには今、どうしても、負けたくない。そんな事をしたら、ますます……」
「あのさ」
 藍高は顔をしかめた。
「アイツをさ、叩きのめしたって、今はあんまイイことないと思うぜ。アイツはなんつーか……可南で、ちょっと気持ち良く過ごしたいだけなんだよ。女猫に騒がれてよ。上の猫にもやるじゃん、とか言われてよ。今は、良くも悪くも可南中が、前に習えでお前に注目してるだろ? それがアイツはクソ面白くないンだよ。だから、ちょっと気持ちよくさせてやればよ……アレはお前が思ってるより、そーとー単純なヤツなんだからよ」
 剣は思わず笑った。
「ああ。それは肝に命じとくよ」
 そして考えた。
「でもな……やっぱり」
「ん?」
「俺には向かねェと思う、そーゆーの」
「ふーん……」
「きっとバレちまう。何かそーゆのな、きっと無理だ。俺には」
「バレやしねェよ」
 藍高は笑った。
「アイツがそんなの気づくもんか……自分が勝っちまえばよ。だけど……まあ、お前の言う通りかもな。お前にゃ、向いてねーのかもな。確かに」
 フン、と鼻をならして、藍高は酒を飲み干した。
「お前にゃお前向きのやり方がありそうだな……きっと、どこかにな」


 弓比べの決勝は、黒矢と剣の対戦となった。
 以前入賞を逃して悔しい思いをしてから、黒矢はおそらく必死の稽古を続けて来たのだろう。弟に負けてほぞを噛んでいる黒の兄たちを尻目に、弓の決勝は武芸比べ最高の盛り上がりを見せていた。十二の的が全て終わっても、まだ勝負は付かなかった。舞台には新しい的が引き出され、今やほぼ全ての猫達が、その勝負の行方を見届けようと、押すな押すなと舞台の回りに群がり、だが静まり返って矢の行方を見守っていた。
 額の汗を拭い、剣は新しい矢を手に取った。滑る両手を服で拭う。厳しい集中力を必要とする弓の勝負でこんなに長く戦ったのは、剣としても初めてだった。さすがに目がかすんで的がぶれてくる。新たな的の五つ目を、彼らは互いに再びその中央を射抜いた。ほう、と周りから息が漏れる。
 長老の合図だ。二人同時に改めて弓をしぼる。
 うなりをあげて、黒矢の矢が、僅かに黒点をそれた。
 静まり帰っていた猫達がどっと沸いた。自分の矢の行方を見届けて、剣は高々と弓を宙に上げた。息を切らして、黒矢が静かに歩み寄って来る。
「……やるじゃねえかよオ、お前……ちきしょー、悔しいナア……」
 激しく肩を上下させ、だが彼は笑っていた。そして剣の肩を強く叩いた。
「この次は、ぜってー負けねーからな。見てろよオ」
「ダメだね。この金の矢は俺のモンだ。渡すかよ」
 久しぶりに、晴れ晴れとした気分を剣は味わっていた。最近の鬱屈はすべて忘れ去っていた。やがて彼の周りに、勝利を祝福する猫達の渦が襲ってきた。日刺はそれを見て、密かに舌打ちをしていた。

 無事日刺が舞の舞台に上がり、黒葉と黒里、そしてもちろん剣もほっと安堵の息をついていた。大剣で剣に破れ、あろうことか組み手でも舞台に上がる前の予備戦で敗退してしまった日刺は、その日全く良いところがなく、見た目にもずいぶんとふてくされていた。剣が黒里を破った細剣の決勝にも、どこに隠れたか姿を見せなかった。そのまま舞の舞台もすっぽかしたらどうしてくれようかと、特に黒葉はひそかに気をもんでいたのである。光族を失った可南の音楽を今は緑が支えており、それはそれで気が抜けたようでもあったのだが、彼らは持ち前の器用さで何とかその大役をこなしており、どうやら秋の技比べも舞踏も無事に終了しそうな気配であった。

 だが、安堵して舞台を見つめていた黒葉はやがて顔色を変えた。日刺が一つその足運びを「間違えた」のだ。それは「武の舞」の中でも特に族長への賞賛を表す足運びの場所であった。ほんの僅かに右足と左足を入れ替えただけではあったが、それは取りようによっては全く逆の意味にもとれる仕草だった。

 日刺が舞を苦手としているのは可南中が承知していた。だからそれは「間違えた」と言えばそれで言い抜けられる程度の問題にしか過ぎなかった。彼の舞は他の箇所であっても必ずしも正確であるとは言いかねたのだから----。だがそれでも一部の目ざとい猫達は既にざわざわと沸き始めており、不審そうな顔をする隣の猫に密かに耳打ちをする光景があちらこちらにあった。若い外猫の中には、露骨に笑いをこらえる素振りをしてみせるものまでいた。舞が終わった後、この始末を日刺が、そして族長がどうつけるのか、今や可南中の猫が注目しているに違いなかった。だが日刺のことだ、おそらく舞が終われば素直に族長に「間違えた」と詫びてみせるだろうし、何と言っても祭りの日のことだ。族長は彼の謝罪をそのまま受け入れざるを得ないだろう。黒葉は唇を噛んだ。

 が、舞が終わるなり、舞台に飛び出した一匹の猫があった。剣が、黒葉が、口を開く間もない出来事だった。
「日刺」
 すらり、と黒矢は腰の細剣を引き抜いた。そのまま切っ先を日刺の喉に突きつける。
「今度お前が族長を侮辱したら、その場で俺がお前をたたっ切る」
 剣の脇で、黒葉が低く口笛を吹いた。日刺は顔色を変えた。が、黙って彼は舞台を降り、剣に向かって一礼した。
「……済まなかった」
「二度と、するな」
 剣は短く言った。それで充分だった。日刺はその場を引き下がった。
 黒矢が舞台を降りると、藍華がするりとその首に、しなやかな両手を巻き付けて来た。そして言った。
「……今日のアナタって、かなり最高に、カッコいいわ」
「……そうかァ? ……そうかな……」
 でれんと鼻の下を延ばした彼は、さすがにもうあまりカッコいいとは言えなかったが、藍華はそのまま夫に熱烈に口づけた。周りで猫達が奇声を上げた。やるゥ、と剣の隣で藍高が言った。


「黒矢……助かった」
 黒の陣地に帰って来た黒矢に、剣は思わず口走っていた。言ってから、しまった、と思った。それは確かに族長らしくない口のききようだった。
 黒矢は笑った。
「お前ってホントにヘンなヤツ……羅猛だったら絶対そんなコト言わネェよな。族長なんだから当然って顔してフンぞりかえってりゃいいのによ」
「ああ、そうだな」
 剣は素直に頷いた。黒矢の言う通りだった。
「……だけど俺、そーゆーの嫌いじゃない」
 黒矢は言った。
「お前と羅猛は違うし、俺と黒葉も違う。……今日さ、俺チョット感動したんだぜ。お前、凄かったよ。細剣も、弓も。お前、強いよ」
 そして彼はまっすぐに剣の目を見つめた。
「俺……黒葉には言ったけど、お前には言い忘れてたよ。だから今言っとくぜ。剣、俺は、黒は、お前の配下だ。これから先ずっと、お前が頂を降りるまで。お前の言葉は、俺の言葉だ。剣」
 剣は彼の顔を見た。そして笑った。
「ああ……覚えとくぜ黒矢。お前も、忘れンなよ」
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