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XIV.  焦燥
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 秋の日は短い。既に藍高は帰り支度を済ませていた。
「なあーんだよ藍高。ゆっくりしてけばいーじゃねーかよ」
 黒矢は残念そうに叫んだ。ただでさえ冬支度に忙しい季節のこと、狩りから帰って来た黒矢はまだ弓矢を肩から下ろしてもいなかった。二人が顔を合わせたのは秋祭以来だったのである。
「そうはいかねーよ。何だか雪になりそうだしナァ」
「ああ……結構冷えてるぜ。明日には降るだろ。初雪だ」
「今年は早ェなあ……巫子がいねーと雪も読めなくて困るよな。簓はまだ五歳か?」
「秋数えでな。季節外れだからまだ四年だ。神卸はまだ無理だよナァ……」

 ふと、その小さな子猫のことを黒矢は考えていた。巫子家の後ろ盾である黒家の一員として、彼は時折簓の様子を見に行っていたのであったが、四つにしてもその子はまだ小さく、体があまり丈夫そうでないところも、今は亡き剣の兄に良く似ていた。
 それにしても----母猫の焔は度々その家を訪れているようだったが、黒矢はそこで剣と会ったことはなく、また族長が巫子家を訪れたという話も聞かなかった。父親である剣がこれほどまでに簓を遠ざけているというのは不思議なことではあったが、何か巫子の「修行」に関わる理由でもあるのかもしれなかったし、いずれにせよ、巫子家のことは彼には良く解らなかった。ただ可南中の猫がそう願っていたように、彼もまた簓の一刻も早い「開眼」を待つのみであった。

「今更だけどよ黒矢。秋祭はカッコ良かったじゃんお前。な、藍華」
 ニヤニヤと笑って藍高は言った。
「全くよネェ。いつもあのくらいカッコいいと、あたしも嬉しいんだけどね」
「……あ、それってなに、俺がいつもはカッコ悪いってこと?」
 ふくれた表情の夫の頭を、藍華は背伸びして撫でた。
「そーじゃナイのよ黒矢。いつもは可愛い、って言ってンの」
 黒矢は絶句して、藍高は思わず吹き出した。今日は母親に言われて久しぶりに妹の様子を見に来たのであった。彼女に初めての子供が、季節外れの子供が出来たらしいので。
「……いつまでも仲が宜しくて結構だな。ンじゃ、邪魔モンは失敬するぜ」
「あーら、ホントに帰っちゃうの、藍高」
「もー日が暮れるぜ。俺だってソンな暇じゃねーの」
 藍華はそれでも名残惜しそうだ。

 藍の長男と長女、一年も歳が離れていないこの兄妹は、おかしいほど良く似通っていた。無論男女のことでその体格には差があり、きつい顔の藍高に比べ妹は艶っぽく柔らかな頬と額を持っていたのだが、それにしても彼等は顔も、性格も、まるで双子のように良く似ている、と言われていた。そして、また大変に仲の良い兄妹でもあった。黒家に彼女が嫁入りしてからも、藍高は母の遣いと称して良く立ち寄ったし、藍華もその度にいそいそと兄をもてなしていた。藍高と狩り仲間であった黒矢もそれには無論やぶさかではなく、同席して酒を酌み交わすのが常であった。
「また来いよな、藍高」
 まだ名残惜しそうな黒矢と藍華に見送られて、藍高は黒家を出た。西から湧き出る雲が、明日は確かに雪になると告げていた。


 日刺は狩りの帰りであったらしい。見事に太った狐を馬の背にくくりつけている。
「よォ日刺。大猟じゃん」
「藍高か。まァな」
 並んでしばし馬を歩ませる。日刺が不機嫌に黙り込んでいるのは、昨日黒葉に呼びつけられたことに原因があるのだろう。日刺の縄張りは一部で族長直轄領に面していたのだが、最近「間違えて」その領地に矢を打ち込んでしまったらしいのだ。直轄領の木にびんと突き刺さっていた日族の矢を見付けて、黒葉は激怒した。族長の取りなしがなかったら、日刺を切り捨てんばかりの勢いだったのだ。

「……お前さァ。日刺」
「あンだよ」
「あんま剣のコトあおるの止めときな」
「……ンなコトした覚えはねーけどな」
「アホ。アイツはぼーっとしてるよーで、キレたらこあいぜえ」
 フン、と日刺は笑った。
「あいつがキレた所でナンボのモンだよ。おエラくなってから、すっかり大人しくなっちまってよ。面白くネェぜ」
「……あのな日刺。黙ってるヤツがホントに大人しいとは限らネェんだぜ……」
「お前も、剣の味方かよ」
 それは常日頃自信たっぷりの日刺らしくない、いらいらした物言いだった。
 藍高は肩をすくめた。
「最近のお前のやり方はさァ、日刺。ナンか、お前らしくないぜ。あまりにもバカっつーかよ。お前はもうちょっと悪賢いはずだろ? お前がナンか考えてるにしてもさ、もーちょっとオチツイてやれば? ま、俺には関係ないけどね……」
 皮肉っぽい言葉尻にもかかわらず、藍高の声は優しかった。だが日刺は横を向いたまま吐き捨てるように答えた。
「ああ、関係ネエだろ。セッキョーすんじゃねーよ。お前は剣に尻尾振ってな」
 藍高は笑った。
「ほらほら、俺までチョーハツしてどうすんの? 何ヤケになってんだよお前は。ま、ヤルならせいぜい気を付けてやンな。もーちょっとオリコウにな」
 指を立てた合図をして、藍高は丘を下って行った。日刺は面白くなさそうに、馬鞭を思いきり振り下ろした。

 日刺は焦っていた。それは自分でも解っていた。黒が全面的に剣を支持する姿勢を見せたこともあって、可南はわりにあっさりと、新しい族長を受け入れてしまったようだった。日刺にとっては、それは、早すぎた。自分と同じ歳の剣が、自分より力があると認められて「そこ」にいる。それが自負心の強い彼には耐えられなかったのだ。
 せめてもう少し長い間、可南が新しい族長に不満を抱き続けていれば----まだ日刺の心もある意味では晴れたのかもしれなかったのだが。自分の力が剣より劣っているなどと思ったことはなかった。それなのに彼が頂にいて、自分が相変わらず可南の下っ端に甘んじていなければならないのは----その、血のせいか。黒の血を持つ剣と、つい先頃までは可南に足を踏み入れる事も許されなかった雑種猫の自分との差は、このまま一生埋められずに終わるのか。かつては友人として育った彼等であったのに、これからは祭りでは常に後ろを歩き、狩場で出会えば道を譲り、赤矢が作った一番良い酒は常に貢ぎ物として差し出し、結局自分は雑種猫だと彼らに見下されながら終わるのか。
 日刺は、確かに焦っていた。胸を焼く嫉妬、不安が日々彼を捉えて離さず----。
 不吉な滅びの星が、彼の上に瞬き始めていた。


 もう夕刻ではあったが、藍華は河原に出ていた。秋は女房猫にもまた忙しい季節だ。明日からは雪になりそうであったし、本格的に川が氷に閉ざされる前に、秋に仕上げた染め物を一枚でも多くさらしておきたかった。
「よオ、藍華」
「あら……」
「手伝おうか」
 土手の上に馬を置いて、日刺は河原に飛び降りた。
 だが藍華の返事はつれないものだった。
「せっかくだけど。結構よ日刺」
 日刺は笑った。
「なあーに気取ってンだよ。体力シゴトだろ。かせよ。やってやるから」

 普段粗野な彼も、昔から女には優しかった。だから彼はいつも可南の女猫達からは意外と人気があった。日刺の屈託のない人なつこい笑みが藍華も本来は嫌いではなく、今もその優しさに一瞬気持ちが揺らいだのだが。しかし彼女はツンと頭を反らした。
「あのねえ日刺。あンた最近評判悪いのよ。何かって言うと剣に突っかかってさ。あたしもチョット怒ってンの。だから気軽に話しかけないで頂戴」
 彼女のつれなさは、最近日刺の態度を悪し様に言って止まない夫の態度に影響を受けたものでもあり、日刺もそれを敏感に察した様子だった。
「ハーン、黒矢にナンか言われてンなお前……。ま、秋祭ではハデにご活躍だったモンなあ。普段は目立たねーのによ。そんならなおさら俺に感謝しろよ。地味な旦那にご活躍の場を与えてやったンだぜ。お陰で黒の面目躍如、ってトコだろーよ」
 眉を上げ、フン、と日刺はせせら笑った。
「あなたにそんなにお世話にならなくても」
 藍華の言葉はますます刺々しくなった。彼女は藍の女らしく黒びいきで、また結局はかなりな夫びいきでもあった。
「黒矢は弓比べであれだけの勝負をしたのよ。あんたなんか一つも決勝に残れなかったくせに、よく黒矢にそんな偉そうな口がきけるものだわね」
 日刺の顔が朱に染まった。意地悪く唇をゆがめ、彼は藍華を見下ろした。
「ナンだよ、黒矢、黒矢かァ? 前は俺にしなだれかかってたクセしてよ。俺が相手してやンなかったら、今度は黒かよ。お前もそーとーな女だよな」
 染め物を水の中に叩き付けて、藍華は上気した顔を上げた。それはなまじ心当たりが無い事ではなかっただけに、余計彼女を傷つけたのである。
「何よっ……! アンタなんてっ……!」
 出来るだけ日刺を傷つける言葉を----彼女は探した。藍族の長女として産まれた彼女にここまで遠慮のない侮蔑の言葉を投げた男は今までいなかった。それ相当の仕返しをしてやらねば、と彼女の女の血が燃え立った。
「下品な雑種猫のクセにっ! エラソーに日一族なんて、笑っちまうわよ! さっさと可南から出てってよ! この雑種っ!」

 日刺は最後まで言わせなかった。声も立てずに飛びかかると、彼女を水の中に押し倒した。藍華は絹を裂くような悲鳴を上げた。その可憐な衣装が日刺の手で、脆くも破れた。
「この……淫売猫っ! 望み通りにしてやるよっ!」
 水が口の中に流れ込み、藍華の悲鳴は途中で途切れた。彼女は見事に日刺の最大の急所を突いたのだ。我を忘れて、日刺は藍華の頭を水中に抑え込んだ。藍華はもがき、腕にかみつき、弱い爪で必死の抵抗を試みたが、激昂した日刺に力で叶うはずもなく、秋も終わりの冷たい水の中で、その動きは次第に弱々しいものとなって行った。妹の悲鳴が届いたものか、まだそう遠くまで行っていなかった彼女の兄が駆けつけたのは、まさにその瞬間だった。
「日刺ィっ!」
 藍高は、すでにその顔色をどす黒く変えていた。
「テメエっ……! ざけるンじゃねえっ……ぶっ殺してやる……!」
 細剣を抜き放ち、彼は土手上から日刺に飛びかかった。
 水の中で、藍華は動かない。
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