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XV.  決裂
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 可南の麓に不穏な篝火が燃えていた。中心の大きな炎に幾つか離れて群れ集い、それは不吉な星座のように輝いていた。
「明日まで待つ必要ナンかネェよっ!」
 黒矢は拳で机を叩き付けた。 
「さっさとやっちまおうぜ、剣っ! いくら群れたって雑魚は雑魚だ」
「いや、それはダメだ」
 剣は立ち上がると、窓の側に寄り、遥か彼方に見え隠れする炎の群れを見下ろした。
「どうするにしても朝まで待つ。闇の中で戦っても、互いに無駄な犠牲を出すだけだ」
 藍高は先ほどから窓辺に座り、じっと遠い火を見つめていた。雑種猫の群れは夕刻からそこにいた。河原から逃げた日刺を支持する外猫の一群に違いなかった。赤の若猫も幾らか混ざっているらしかった。彼らはまだ何の行動に移るわけでもなく、ただそこで火を炊き、酒で気勢をあげているものか、頂からではその様子は計りかねた。

 口笛が聞こえ、剣の返事を待ちかねたように、黒葉と真白が入って来た。頂にいた三人の猫は一斉に立ち上がった。
「子供は」
 藍高が口を切る。
「大丈夫。水もそんなに飲んでなかったし。恐くて気を失ったんだろうね。それがかえって良かったんだ。もう目を覚ましてるよ」
 真白の言葉に、黒矢がぐったりと椅子に座り込んだ。
「藍高は、怪我は?」
 真白が寄ってきたのに、藍高は首を横に振った。
「怪我なンてほどのモンはネェよ。かすり傷だ。手当はいい」
「日刺は……怪我をしてるの?」
「いや……あいつはスグに……行っちまったからな。本気で斬り合ったワケじゃねえ。似たようなモンだろ」
「黒矢」
 剣が振り返った。
「藍華、見て来てやれよ」
「俺は……」
「いいから。どうせ朝まではどっちも動けネェよ。藍華が落ち着いたらここに帰って来ればいい」
「……解った」
 黒矢は飛び出して行った。剣は低い溜息を漏らすと、椅子に腰をかけた。
「黒葉……向こうの人数は解るか?」
「確かなことは解らん。だが多く見積もっても、二、三十だろ」
「そうか……」
「やるのか」
 外を見たまま、藍高が聞いた。

 剣はじっと考え込んでいた。あれを敵に回すのなら、切れ、と羅猛は言った。自分もそう決心していた。だがそれは、最後の手段であったはずだ。今がその時なのだろうか? そうであって欲しくはなかった。剣はまだ自分のためにも、可南のためにも、日刺を失いたくはないと思っていた。しかし彼等は現実にそこに群れている。それは完全に可南との決裂を示す姿勢であった。

「黒里が帰ってからだ」
 剣は言った。
「今、黒里が遣いに立ってる。武装を解いて家に戻り、後の沙汰を待つようにと、伝えているはずだ。だが、もしそれでも朝までに彼等が立ち退かなければ……」
「………」
 黒葉は黙って二人の会話を聞いていた。最近、特に黒葉が自らの家に黒矢一家を呼び寄せてからは、彼は剣や黒矢に口を出すことが少なくなっていた。その時も彼は口をつぐんだまま、三つの器を酒で満たした。
「さっき、赤騎が来た」
 自分の杯を受け取って、剣は黒葉の顔を見上げた。
「そうか。赤は……」
「うん、赤星もあそこにいるらしい」
 剣は低い声で言った。
「赤の長は……馬鹿な息子だ、と。頂に判断は任せると言っていた。もう赤星は赤族ではないと考えてくれ、と。麓の群れを討つなら、赤も討伐に加えてくれと」
「そうか」
 黒葉は頷いた。再び沈黙が、重苦しく頂の小屋を支配した。

「剣」
 窓際の藍高が、背中を向けたままふいに剣を呼んだ。
「なんだ?」
 剣は顔を上げた。
「お前さあ……」
 藍高は一旦言葉を切った。
「お前さ、ここに初めて来た時、どんなキモチしたか、覚えてる?」
「……頂に?」
 剣は不審げに眉をしかめた。
「ここに……来た時?」
「俺には、解らんからさ。恐かったか? 心細かったか? 不安だったかよ。ここに初めて、一人になった時さ……」
 答えたくなかったので、剣は黙っていた。藍高は振り返った。
「日刺が可南に来た時のコト……お前、考えたコトある?」
「日刺が?」
 藍高は頷いた。
「俺やお前はさ、可南の生まれだからさァ……。でも日刺は元々外猫だ。日族ナンたって、それは昔のハナシで、今はもう名ばかりの、地位もない雑種猫だった。アイツから見て、可南の山が、どんなに眩しかったかさ……。そんでアイツは、たった一人で可南に入って来たんだよな。お前が一人でここに来たみたいにさ……」
「………」
「アイツ、お前みたいにカアイゲねーからさ。バリバリに虚勢はってみせるしか無かったんだぜ。雑種がどうしたってヒト喰ったみたいな顔してよ。それにアイツ、お前よりバカだから」
 黒葉が思わず笑った。言った藍高も微笑んだ。
「……だから、賢く振る舞おうとして、わりとボケツ掘ったりしてんだよな。ヒトの足ひっぱろうとして、自分の足ばっか引っ張ってよ」
 これには思わず剣も笑った。藍高は優しく言った。
「お前サァ、剣。ここ来て、始め羅猛と自分比べて苦しまなかった? それと同じコトを今あいつは、お前に対して、してるんだと思うぜ……」
「………」
 藍高は肩を竦めて、再び窓の方へ顔を向けた。
「……ま、だからって、お前にゃ関係無いハナシだからなァ。仕出かした事は仕出かした事だしよ、例えバカだからってそれで許されるって法はねェしな。ま、お前の好きにすれば? ハッキシ言って、俺はドッチでもいーね」
 付け足しのような藍高の皮肉ぶった態度に、剣は微笑んだ。黒葉が後ろから藍高の頭を小さく小突く。
「おメエ、悔しくねーのかよ。いもーとにあんなコトされてよ。仕返ししたくねーワケ?」
「ま、アイツがもーちょっとオリコウだったら」
 藍高は大げさに顔をしかめて見せた。
「あるいはソウ思ったかもしれねーケドよ。あのバカさ加減じゃ腹も立てられネェ。二十人や三十人集めて、可南に何しようってんだよ? ありゃ、完全にヤケになってる子猫だ。それに付き合おうってヤツがいるってのが何より不思議だけどな」
「そうだな。アイツはバカのワリに猫を集めるのが上手い。そこだけが救いだな。あの状況でよ、自分の為に命も捨てようって猫をあれだけ集められるってのがな」
 黒葉も笑った。

 二人を見比べて、やがて剣は机に手を突いて、立ち上がった。
「決めた」
 二人は窓際から振り返り、族長の言葉を待った。
「こうなりゃ、持久戦だ。日刺がここに上がって来るまで、俺は待つぜ。二日でも、三日でも。ともかくアイツとサシで話してからだ」
「そうだな」
 藍高は笑って頷いた。
「忘れっぽいのは、日刺の最大の短所と長所だからねェ。あと一晩もすりゃ頭も冷える。そしたら放っといてもワビ入れに来るさ。いくらナンでもそこまで頭腐ってネェだろ。……ホントはよ、らしくないコトしたと、もう思ってるハズなんだからさ」
「オイオイ」
 黒葉が顔をしかめた。
「例えワビ入れに来ても……いくらナンでも処分無しはマズイぜ。黒矢だって納得するかよ」
「解ってる」
 剣が言った。
「だけど自分から謝意を見せて来れば……最小限の処分で済むだろ。だからさ。それまで待つ」
 黒葉が溜息を突いた。
「ま、それまであのバカがなおさらアホウな事をおっぱじめなければの話だがな……全くおメエら、甘いヤツラだよ」
「持久戦は」
 藍高がニヤリと笑った。
「お前の得意分野だモンなあ、剣」
 だが彼等は、それほど長く待つことにはならなかった。


 一夜が明け、双方引かぬまま再び夕刻が訪れようとしていた。遣いに立った黒里は、武装を解くようにと伝えただけで頂に引き返して来た。彼らが使者に攻撃を加えなかった事がまず頂をほっとさせた。日刺は、こちらの言葉を聞いてはいたものの、黙ったまま何も答えなかった、と黒里は族長に伝えた。黒矢はさすがにいささか不満げではあったが、族長の決定を聞いた後ではもう何も言わなかった。麓の火は、未だ消えなかった。彼らもそこで寝ずの二夜目に入るつもりであったろうか。日刺としては当然今日中に予測されていた頂からの攻撃が無かったことを、どう考えれば良いか解らずにいるのかもしれなかった。
 だがさすがに、頂の猫達も疲れ始めていた。寝ずに待ちの体勢を続けようという彼等を心配し、焔はさかんに食べ物や飲み物を運び入れていた。そして既に薄く積もった雪の中、焚火を囲む麓の群は、当然それ以上に憔悴しているはずであった。


 その気配に、なぜ誰も気付かなかったのか。
 ともかく、扉はいきなり開いたのである。何の合図もなく。いくら疲れていたとは言え、この部屋にいた誰もが、彼が頂に近付く気配に気付かなかったと言うのは後で考えても不思議であった。彼等は不意を突かれ、驚いて立ち上がった。焔が声を上げて盆を落とし、陶器の皿が床で粉みじんに砕けた。
「簓っ……!」
 焔が叫んだ。
 小さなその姿は、再び降り始めた雪にまみれていた。険しい可南の山を、幼い猫がたった一人で、どうやって頂に辿り付けたものだろうか? 彼は肩で苦しそうに息を付き、だがその憔悴は長い旅路によるものだけではなさそうだった。

 簓は母親には目もくれず、まっすぐに剣の元に歩み寄った。呆然と立ちすくむ剣の目を見上げ、子猫のものとは思えないリンと通る声がはっきりと告げた。
「……剣、急いで。早くしないと、間に合わない。可南を助けて。人間が、人間が来ている。もうすぐそこまで。人間が、可南を滅ぼしにやって来る……!」
 簓はそのまま床に崩れ落ちた。
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