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XVII.  襲撃
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 長い沈黙を----いささか長すぎた沈黙を、始めに破ったのは剣だった。
「黒葉」
「おう」
 既に黒葉は剣の言葉を待っていた。
「黒を……集めてくれ。それから赤に遣いを。赤騎はもうある程度の支度をしているはずだ。月は、もう気づいているだろうが……寄れたら途中で寄ってくれ、外猫はいい。どのみち間に合わない。麓に、結集する。藍高は、藍を頼む」
「解った。お前は」
「先に麓へ行く……日刺達が、危ない」
「アホウ、一人で行くな!」
 黒葉が叫んだ時には、剣は壁から細剣と弓を外していた。
「戦の支度を、ちゃんとして来てくれ。頼む黒葉。俺は……大丈夫だ」
 返事を待たずに表へ飛び出す。馬小屋へ走る。藍高が無言で後に続く。黒葉は舌打ちをし、てきぱきと兄弟に指示を出し始めた。そして頂はあっと言う間に空になった。雪の吹き込んで来た部屋の中では、簓が母の腕にすがり火のついたように泣き出していた。初めての神卸に操られた体が、やっと自由になって。


「黒矢ァっ!」
 藍高の叫びに、黒矢は振り返った。
「藍にも遣いを出してくれっ……俺は、剣と行くっ!」
 無言で承諾の合図をする黒矢を尻目に、既に剣の後を追い、藍高は馬を走らせていた。頂まで馬で来ていたのは、住み家の遠い藍高だけだった。やっとのことで追い付いた彼に言葉をかけようともせず、剣は馬鞭を振るう。まだ柔らかい雪に馬達は足をとられがちだ。半刻も走っただろうか。平原を見下ろす山道で、彼等は一時馬を止めた。

「これは……」
 藍高が思わず声を漏らす。
 廣瀬を越え、丘陵に迫りつつある人間たちの姿が、その場所からははっきりと見えた。その数は----剣は数えるのを諦めた。まだ点に近い彼らの持つ武器は肉眼では確認出来なかった。「ボート」も無い所を見ると、これはヴィレッジの人間達だ、と彼は判断した。それならば銃は比較的少ないはずだ。それにしても、たとえ弱々しい、馬も持たない人間の集まりにせよ、その数は多すぎた。そして彼等が何のつもりで押し寄せて来たにせよ、もし戦う意思がないのなら、これほどの数が必要でないのも明らかだった。ましてや銃は一つでさえ弓矢の百にも勝る破壊力を持っているのは承知している。もはや、一刻の猶予もない。

 剣は馬を捨て、柔らかい雪を狙って崖を滑り降りた。僅かではあるがその方が近道だ。この時ばかりは可南の広さが疎ましかった。藍高もすぐに後に続く。麓からは、まだ人間達の姿は見えないだろう。夕闇に紛れて奇襲を受けたら、反撃の態勢を整えるまでもなく日刺達が全滅することも考えられた。いや、反撃の余地があってもなお、その危険性は十分に考えられたのだ。そしてそうなってからでは、全滅の危険があるのは、何も麓に陣取る日刺たちだけに限った話ではなかった。雪に足を取られ、木の根につまずきながら、剣は一心に走っていた。自分の体が妙に重く感じられた。


 黒の半分は、麓の異常事態に備えて既に集結していた。簓の真に迫った様子からして、人間の襲撃は可南の態勢が整う前になるだろう、と察せられた。数を揃える暇を惜しみ、黒葉は若い女達に、可南中の女、子猫を頂に避難させるよう命ずると、黒矢、黒里と共に馬を駆り、剣の後を追った。人間達の持つ恐ろしい「武器」の事は、長老から聞いて黒葉も知っていた。それは遠い距離からでも猫の体を焼き尽くしたと言う。間に合うのだろうか? 可南はこのまま滅び去るのだろうか?


 麓にいた猫達が人間に気付いたのは、わりに早かった。無数の影ががゆっくりと、だが決然と近付いてくるのを、彼等は呆然と見守っていた。春草か、と日刺は目を凝らした。血のように赤い夕日に照らされたその髪は、揃って黄金に輝いていた。それにしても数が多すぎた。こんなことは、あり得ない。彼等は春草ではない。異様なその服装からも、すぐにそれと知れた。
「人間だァっ!」
 日刺は叫んでいた。
「木陰に避難しろ……バラバラになるな! 五人ずつ固まれ! 青樹と百連は、頂に、剣に知らせに走れ! あとは、戦え……可南を、守るんだっ!」
 叫びながら彼は自ら木陰に走り、弓矢を手に取っていた。人間の先頭は既に弓の届く距離にいた。戦いの始めの矢を、彼は確実に相手の胸元深く打ち込んでいた。


 麓の光景は、剣からはまだ遠かった。麓に近い藍と月の猫達が、日刺からの知らせを受け、戦の準備もそこそこに、既にその場に駆けつけていた。日刺の放った最初の矢は、確かに戦いの発端にはなったものの、今度ばかりはその原因となったわけではなかった。人間達は始めから全身に攻撃の意志をあらわにしていた。銃を持った者を中心に何人かずつ固まり、慣れぬ弓矢を銃の陰に隠れて操りながら、彼等は確実に猫達の数を減らしていた。地に伏した屍の数を数えれば、それは人間の方が圧倒的に多かったのではあるが----だがそれは数の比においては比べ物にならなかった。銃が火を噴く度に、猫達は何が起こったかも解らずその場に倒れた。浅い雪は、既に夕日の色をそのまま映し取ったかのような朱に染まっていた。

 剣は、走った。
「やめろオーっ!」
 だが、その声はまだ遠すぎた。人間はおろか、麓の猫達の耳にも届かなかった。剣は、走った。胸は破れんばかりの鼓動を打ち、呼吸は乱れ、足はもつれ、もはや彼の思い通りにはならなかった。やがて流れ矢を避けて逃げ惑う、持ち主を亡くした馬の手綱を捕らえ飛び乗り、剣は再び走った。ひたすら前へ、人間達の方へ、剣は狂ったように鞭を振るい、馬を走らせた。藍高は必死に族長の後を追った。このまま彼は人間達の前へ飛び出すつもりだろうか? 何としてもそれは止めねばならなかった。傍らの猫を押しのけるようにして彼はその馬を奪い、剣を追った。だが、既に彼は遥か前方を走っていた。藍高は叫んだ。
「剣ーっ……戻れーっ!」

 その声を聞いてか聞かずか----彼は止まらなかった。やがて炎が剣の服の端を焦がした。前方に、猫達の先頭に立って戦う日刺の姿が見えた。岩を盾にして、彼は傷を負いながらも人間の銃と矢を、何とかかわしているようだった。傍らには赤星が朱にまみれ、雪に倒れていた。日刺はその体を抱き起こし何かを叫んでいたが、すぐに立ち上がり、弓を強く引いた。彼を狙って銃が向けられる。弓が発せられるより前に銃が朱い火を噴く。馬からころげ落ちるように、剣は日刺を押しのけ、その前に飛び出していた。声を限りに叫びながら。

「やめろおーっ! 俺は、人間の女のいる場所を知っている! 俺を殺せば、それは永久に手に入らないぞーっ!」
 間に合う事を、剣は祈っていた。体に炎を感じた。
 間に合うのだろうか?
 可南は、このまま滅び去るのだろうか?
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