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XVIII.  決着
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 音が、止んだ。
 平原は、静まりかえっていた。

 動きを止めた人間達に反撃しようとする猫達を、剣が手を上げて止めた。族長の命令に従うことに慣れた彼等は、訳が解らないままに弓を下ろした。そして攻撃を続けようとした人間達を、他の人間が止めた。平原は全ての動きを止め、そして全ての猫が、人間が、剣を見つめていた。

 間に合ったのだ。
 剣は立ったまま、人間に目をやったまま、自分の傷を確認した。足の付け根らしい。炎の衝撃で焼かれたと感じたが、実際は大したことはない様子だった。少なくとも、歩けないことはない。
 剣は弓矢をその場に捨て、血に染まる雪の上を、人間達の方へ歩き始めた。止めようと声を上げた日刺を藍高が制し、そして藍高も、武器を捨て剣の後に続いた。遠くから追って駆け出そうとした黒矢を、これは黒葉が止めた。

 剣の歩み寄る姿を見て、先頭にいた人間が五人ほど何やら相談を始めたが、やがて中の二人が剣の方へ進んできた。彼等は向かい合って立った。
「さっき……言ったことは、本当か」
 年かさの人間が口を切った。やけに言葉を一つ一つ区切って発音している。猫に言葉が通じることがまだ信じ難いと言った口ぶりだ。
「ああ、本当だ」
 剣は短く答えた。
「どこにいる。女は、何処だ」
 息せき切って、若い方の男が言った。剣は彼の方を見た。
「今は、言えない」
「何だとお……この猫が……ハッタリかましやがって……」
 胸ぐらを掴もうとするその手を、剣は強く抑えた。
「ハッタリじゃねェ。居場所は、確かに知っている。だがあんた達には言えない。言えばあんた達はまた攻撃を開始して、可南を全滅させるだろう。それを許すわけにはいかない」
「ナメたこと言いやがって……猫の分際で……命が惜しければ言うんだなっ!」

 彼は荒々しく剣の胸に銃を突きつけた。彼等の会話は猫達には届いてはいなかったが、その気配を察して、背後で日刺が再び弓を構える。剣は、大きく両腕を横に広げた。日刺は動きを止めた。猫が人間に、決してその力では叶わないと言うことを、もう彼は悟っていた。剣は今、この戦いを止める勝負に出ているのだ。日刺は息を詰めて、その勝負の行方を見守っていた。

 剣は若い男を睨み付けた。剣の細い漆黒の虹彩にじっと見つめられ、男は思わず身震いした。
「撃ちたければ、撃てばいい。女の居場所を知っているのは、猫の中でも俺一人だ。殺せばそれで終わりだ」
「どうすれば、教えてくれる」
 年かさの男が、比較的穏やかな口調で尋ねた。
「ここは、引いてくれ。こちらも追撃はしない。そして、あらためて使者を立ててくれ。ヴィレッジの人間はだめだ。タワーの……アルネと、リーガをよこしてくれ。そうすれば、教える」
 男達は目をむいた。剣の口からすらすらと人間社会の情報が飛び出して来るのを、半ば薄気味悪く思ったようだった。
「どうして……その名を知ってる」
 若い男が声高に尋ねるのに答えず、剣は繰り返した。
「アルネと、リーガが尋ねてくれば、その情報を渡す。今はこのまま引いてくれ。俺は、猫の族長の剣だ。可南の頂に剣を訪ねて来い、と伝えてくれ。使者に攻撃はしない。それは族長の俺が約束する」
 誓いの印に指を三本立ててみせ----だがそれは人間には通用しないのをすぐに思い出した。
「そんなことが出来るか! だいたい……」
 若い男が叫びかけたのを、年かさの男が手を振って止めた。そしてゆっくりと言う。
「お前等は、アルネを人質に取るか、殺すつもりだろう。その為に、そんな嘘をついているんじゃないのか」
 剣は笑った。
「もし俺達がそんなことをすれば、あんた達は間違いなくまた可南に攻撃をしかけて来るだろう。今度はタワーも一緒にだ。そんなことになったら俺達がかなう筈はない。可南は間違いなく全滅するだろう。そんな危険を、わざわざ俺が冒すはずがない。俺は、嘘は付いていない。人間の女がいる場所を、俺は確かに知っている。一人だけだが、黒髪の女だ。アンタ達は卵子をバイヨウ出来るんだから、一人だって別に問題はないだろう」
 本当の所、その言葉を正しく使っているのか、ひやりとしながら剣は口にしたのだが、それは人間達にかなり感銘を与えたようだった。二人の男は顔を見合わせた。
「……解った」
 やがて年かさの男が言った。
「タワーに、そう伝える。だが彼等が信じるかどうか……」
「彼等は信じるだろう」
 剣は言った。そして密かに安堵の息をついた。どうやらこの場は----この勝負に勝ったらしい。
「使者を待っている。……後ろから攻撃させるような事はしない。だからさっさと引き上げてくれ」

 話し合いはそれで終わりだった。男達が引き上げ、まだ納得の行かない様子の人間達を何とか説得し、その姿が次第に小さくなるのを、剣と藍高はじっと見送っていた。信じられない面もちの猫達も、長くその場を動かなかった。
「……剣」
 小声で、藍高が聞いた。
「……本当なのか……?」
「まあな」
 やっと剣は後ろを振り向いた。疲労と失血に青ざめたその顔は、だが微笑んでいた。
「……でも俺は何も、生きている女、とは言わなかったぜ」
「お前……」
 藍高は当惑気味だ。
「それじゃ、何にもナンねーじゃねーか……」
「ところが、人間はそれでもナンとかするンだよ……いや、何とかするんじゃないか、と思う。そーゆーの、向こうで見たんだ……ま、俺と羅猛のカンが当たってるのを祈るしかねーな。外れてたら……それはその時、全面戦争になったって、フイを突かれた今日よりはマシさ」
 彼等は肩を並べ、猫達の方へと振り向き、歩き出した。
「全く……大したヤツだよ……」
 藍高は肩を竦めた。
「かなわねーよホント」


 日刺が立ちすくんだまま、二人を出迎えた。剣はニヤリ、と彼に微笑みかけた。
「よオ……日刺、可南の警備ゴクローさん」
「……どうやって、人間追っ払ったンだよ、お前……」
「それは秘密」
 剣は声を出して笑った。強い安堵で気が抜けたのか、何だかやたらに笑えて仕方がなかった。怪我の痛みももうどこかへ消えていた。
「オイ」
 歩き続けようとした剣の前に、日刺は立ち塞がった。
「お前……ナンで、俺のコト助けた」
「ナンデって」
「……俺がいなくなった方が、お前何かとヤリ易かったハズだぜ。俺は……オメエの、邪魔ばっかしてたじゃネェかよ」
「ああ」
 剣は顔をしかめた。
「そんなコトかよ……オイ、日刺、俺は一応猫の族長だぜ。お前がそう認めてなくてもな。族長が、可南のとびきり優秀な猫を一人でも減らすようなマネするかよ」
 日刺は、穴の開くほど剣の顔を見つめていた。やがてひどく無表情に、彼は言った。
「剣……俺は……俺はちょっとばかし、アホだった。そんな風に、俺は考えたコトもなかった」
「………」
「俺は……今、決めた。俺はこれから、お前の配下だ。お前に……従うぜ。お前の言葉は、俺の言葉だ。剣」
「……日刺」
「まずは、このアイダの、処分、だろ」
 日刺は、ボソリと言った。
「ナンでも、決めてくれ。俺は今お前に従うと言った。その言葉に嘘はネエ。可南おん出されたってモンクはいわねえぜ」
「処分て……なあーに言ってンだ」
 剣は笑った。
「お前は、可南の麓を守ってくれたじゃないか。お前達があそこを死守してくれなかったら、人間はとっくに可南中に広がって攻め込んでた……そしたら、俺達はまず間に合わなかったぜ。藍華にチョッカイだしたのは、それでチャラだ。チャラだけじゃ足りねェ位だ。黒矢だってそう言うに決まってる」
「剣……」
「お前もよ、女好きもいーかげんにしろよォ」
 剣は日刺の頭を乱暴に小突いた。
「こんな季節ハズレに何やってんだよ。今にそれで身を滅ぼすぜえ、ホント」
 けらけらと、声を出して剣は笑った。
「……剣のやろう、ブチ切れてるぜ」
 後ろで、黒葉が首を振りながら弟に呟いた。
 しばし黙っていた日刺は、やがてあきれたような声を出した。
「……十五でガキ作ったヤツによ、ナンで俺がソンなこと言われなきゃいけねーんだよ。ぼろぼろ三匹も生んだスキモンの嫁さん持ちやがって……」
「あ、バカヤロウ、焔の悪口言うのは許さネェぞ」
「アホウ、ケッコンして何年になるんだよテメエ、いー加減そのナカヨシぶりは聞きあきたぜ……」

 はるか昔、十四の、その頃のように。
 勝利の安堵と、何かそれ以上の不思議な喜びを味わいながら、彼等はじゃれあい、小突きあい、可南を登って行った。やがてその周りに続々と猫達が集まって来る。黒葉が、黒里が、そして黒矢が、日刺と剣の背を叩いた。日刺を味方に付ければ、お前は族長の器だと自惚れていい。羅猛が剣に言い残した言葉さえ、今の剣は忘れていた。ただ、日刺とこうして語り、形ばかりけなし合い、そんな時間を取り戻せたことが、剣は嬉しかった。日刺の顔も、憑き物が落ちたように明るかった。その犠牲の多さにも関わらず、やけに晴れ晴れとした気持ちで、猫達は徒党を組んで可南へと還った。今、敵は多くとも、可南はやっと一つになった。まるで大きな勝利を収めた凱旋の行列のように、彼等は歓声を上げ、歩いて行った。猫の族長の住む、頂へ向かって。

 やがて、藍高が剣の側に寄り、そっとささやいた。
「……しかしホントアイツって、ちょっと楽しくなるくらい、単純なヤツだよな……」
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