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XIX.  天地
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 一夜が明けて冷静になってみると----やはり犠牲は大きかった。果敢に戦った雑種猫達はその半数までもが命を落とし、麓に近く、始めに駆けつけた月族も大打撃を受けた。日刺と行動を共にしていた赤の長男も逝った。だが彼等には、犠牲者を弔う猶予も与えられなかった。タワーからの使者はそれだけ早く到着した。

 まさかの場合にそなえ、可南の守りは強靭に固めてあり、また予測されていたことだけに猫達は迅速に動いたが、やはり若干の動揺は避けられなかった。銀の髪こそ真白で見慣れていたものの、アルネのシリコンファイバーの髪と皮膚は、ここ可南においてはタワーで見るよりなお異質であった。驚くべき事に、人間の使者はガードをも含めたった四人だけで現れたのだが、その内二人がアリスで、又生身のイムナも今はヴィレッジの流行に従って紫に髪を染めており、周りを固めて可南を先導した黒の者達も、気味悪がってあまり側には寄らなかった。


 剣の指示に従って、頂の部屋に入れたのは内二人だけだった。残りの二人は外で待ち、遠巻きに黒の若猫に見張られていた。アルネと、姿を見せなかったリーガの代わりに、イムナがその門をくぐった。

 人間との面会をたった一人で行うべきではない、と剣は判断していた。人間との和解の条件を、彼の側近も皆しっかりと理解しておく必要があった。だから机に座った剣の周りには、黒の三兄弟、藍高、そして日刺が付き添っていた。アルネに口を開かせる間もなく、剣が言った。
「俺が族長の、剣だ。……はじめてお目にかかる」
 アルネは、軽く一礼して静かに言った。
「僕が、アルネ。人間の、一応長の立場にいる。こっちがイムナ。……初めまして、猫の族長」
 イムナは、しばしアルネと剣の顔を見比べていたが、やがて言った。
「……初めまして」

「まず始めに聞きたい」
 座るようにと、剣は二人に身振りで示した。
「どうして人間はいきなり猫の山を襲った? 四、五十年前にも争いはあったらしいが、あれは元はと言えば人間が猫の女に悪さをしようとしたのが原因だったと聞く。今まで遺恨を残していたとは思えない」
「そんなに昔の理由じゃない」
 アルネが答えた。
「最近、人間でも城壁を出る者が増えた。彼等の間に、もう十五人も、猫に殺された者が出た。それも、わずかこの一月の間に」
 猫達がざわめいた。剣も顔をしかめた。
「……猫に? 何処で? ……だいたい、なぜ猫だと解る? 他の動物かもしれない」
「場所は、フェンス……いや、城壁からそうは遠くない、北の山の方が多い。人間は城壁からそう遠出はしない。相手が猫だったのは、生き残った者が目撃している。多くは黒髪の、それも長髪の猫だったらしい。それも、こちらが手出しをする間もなく、いきなり弓を射掛けて来たと」
「……猫の中に黒の長髪は、俺しかいない」
 剣は言った。
「俺はこの一月、可南を出てもいない。それに城壁の北まで、わざわざ出かけて行く猫がいるとも思えない。遠すぎる。城壁から可南の反対側だ。行って帰るだけで馬を飛ばして六日はかかる。狩りをするにしてもたいした獲物もいない。ソイツ等が本当の事を話しているとは、信じがたいな」
「彼等には、嘘をつく理由がない。猫との関わりを避けていたのは、人間も同じだ。彼等がこの山に攻め込んだのは、自分たちの命が狙われていると信じてのことだ。それ以外に、理由は考えられない。理由もなしに戦を仕掛けても……人間には何の得もない」
「……北の山に、他の猫が?」
「ここ数十年、数百年、人間は北の山には足を踏み入れて来たけれど、その間に猫と出合った事は一度もない。だから今回も、可南から遠出した猫の仕業だと、彼等も考えたんだと思う」

 剣は黙った。そして、考え込んだ。たった一つ、思い当たることがあった。可南の猫達が人間に滅ぼされて、得るところのある者達が、確かにいることはいたのだ。
「まさか……」
 思わず、彼はつぶやいた。
「まさか?」
 アルネが言うのを無視して、彼は再び考え込んだ。その疑惑が的中しているとしたら----なおさら、確かめておくべきことがあった。用心深く、剣は切り出した。
「人間の社会には……その、城壁の中には……猫はいないのか」
 アルネは眉を上げた。
「いる。城壁の中に。いや、いた、と言うべきかな」
「猫が……城壁の中に?」
 思わず日刺が叫び、すぐに口をつぐんだ。
「いた、とはどういう意味だ」
 剣が鋭く聞く。
「彼等は、一年ほど前に揃って姿を消した。どこへ行ったかは解らない」
「人間を襲った犯人が、彼等だということは考えられないのか」
 剣は訪ねた。
「いや、城壁の中に住んでいた猫は、皆金の髪に、緑の目をしていた。黒髪の猫は、一人もいなかった」
「金の髪、緑の目……春草だ……」
 黒矢が呆然と呟いた。
「春草が……一体、何人位いたんだ」
 アルネは彼の方を向いて、答えた。
「人間はずっと彼等と一緒に暮らしてきた。彼等は城壁の中で生まれ育った猫だ。僕等は彼等を『金種』と呼んでいた。数は、百人を越える。内三十人は生まれたばかりの赤ん坊だけど……。もちろん全部、男ばかりだ。女はいない」

 猫達が一様に黙り込み、考えに沈む風なのにイライラして、イムナが口を挟んだ。
「つる……、族長、それで、女の話だけど」
「その前に」
 剣は言った。
「まずはっきりさせておきたい。さっきも言ったように人間を襲った猫は可南の者ではあり得ない。俺も、そして黒の者達も、この一月は山を離れていない。五日も留守にすれば必ず他の猫に知れただろう。それも、一月もかけて人間を襲うなど、全く考えられない。こちらにしても、それは何の利もないことだ。人間を襲ったのは可南の猫ではない。それは、俺の言葉を信じてもらう他ない。人間の場所から逃げ出した猫か、あるいは北の山にもまた別に猫が住み着いていたんだろう。今まで見たことが無かったにしても」
 イムナが答える前に、アルネが素早く言った。
「解った」
「それと、まず」
 剣は続けた。
「和解の条件を決めさせて欲しい。女の話は、その後だ」
 アルネは頷いて言った。
「考えていることがあれば、聞かせて欲しい」
 剣は立ち上がった。
「そんなに複雑なことじゃない。人間は、今後一切、廣瀬を越えないで欲しい。平原の真ん中を流れる、あの河だ。人間は何と呼んでいるか知らないが」
「クリーク」
「……その、クリークから一切、こちら側には来ないで欲しい。猫も、あの河は越えない。それは俺が責任を持って守らせる。もしアッチ側に行った猫は、殺されても文句は言わない。その代わり、それは人間にも同じことだ。それを、守って欲しい。そうすれば二度と、無駄な争いは起きないだろう。俺達だって、下らない諍いでこれ以上猫の数を減らしたくはない。廣瀬のこちら側は、猫の天地。あちら側は、人間の天地だ。それで文句はないな」

 確かめる、と言うより断定的な口調だったが、アルネは静かに頷いた。
「解った」
「俺達の間では、ただの口約束しか出来ない」
 剣は続けた。
「何か書いた物を残したとしても……互いに守る気が無い限り、無駄なことだ。俺は自分の名誉にかけて、それを猫達に守らせると約束する。俺の次の世代にも、それは伝えて行こう。それを、そちらでも約束してもらえるか」
「もとより、」
 アルネは言った。
「今度の戦いは、人間全てが望んで始めたことではないよ。犠牲者を悼む気持ちはもちろんあるが……ただ僕がそれを知っていたら、決して戦にはさせなかった。平和的な解決を、僕等も望んでいた。それを人間に行き渡らせることが出来なかったのは、こちらの不手際だ。君の言う和解案は、短絡的ではあるが……少なくとも当座としては最良の方法であるように思う。僕も、今度は責任を持って人間にそれを守らせる。それを破った者が処刑されても、こちらとしても文句はないよ」
「解った。これで、決まりだな」
 確認を取るように後ろを向く。猫達もみな頷いた。
「それで」
 気短に言うイムナが言う。
「女の話だろう」
「……そうだ」
 剣が一呼吸置く。猫も、人間も、じっと剣の言葉を待った。

「女は……いる。黒髪の女だ。ただし、生きてはいない」
「……何だってェ」
 眉を逆立てたイムナを、剣は遮った。
「場所は、死の山……この可南の後ろにそびえる雪の山の、中腹より少し上、断崖の岩壁に小さな裂け目になった洞窟がある。獣道を真っ直ぐ頂上目指して、三日ほど登った所だ。入り口に大きな岩があるからすぐ解るはずだ。その中に、いる。氷づけになっている。まだ生きている内に氷づけにした、という話だ。アンタ達は、そういう生き物を蘇らせることが出来るんだろう?」
 猫達は、そして二人の人間は、穴の開くほど剣の顔を見つめている。剣は肩をすくめた。
「もし、ダメだったとしても……まあいささか詐欺まがいの手を使ったことは詫びるが、あんた達も本来は理不尽な攻撃をしかけて来たンだ。これで我慢してもらわなけりゃ困る」
「雪の山の、洞窟……」
 アルネは呟いた。
「アンタ達がそれを掘り出す間だけコッチへの立ち入りを許可する。それで、終わりだ。そこから先は、人間と猫の歴史は、別に刻まれることになる」
 その剣のいささか文学的な表現はアルネを微笑ませたが、彼は黙って頷いた。
「いつ、行く? 雪の山へ」
「明日にでも。なるべく可南には近寄らないよう、北から回り込むようにするよ。二、三日かかるかもしれないけど……その間は、攻撃を控えてくれるね?」
「解った」

 話は、終わりだった。イムナと顔を見合わせて、アルネは扉へと向かった。そして剣を振り向いた。
「猫の族長……剣、と言ったね。今日の決定は必ず人間に守らせるけれど……ただこれだけは覚えていてほしい。僕等は同じ平原に住む、血の近しい生き物同士だ。今は無理だとしても、いつか手を携えて生きて行ける世界が作れたらいい、そんな日が来る事を僕は信じている。……今後の、猫族の発展を、祈っている」
「アルネ……」
 目が合った。
「人間には……」
 剣は迷い、口ごもりながらも、そっと聞いてみた。
「人間には……黒髪の者はいないのか……その……俺のように」
「……ああ、いない。銀髪は僕一人だし、あとは黄金か、薄茶の髪の者だけだ。違う色の髪の者は、ただ染めているだけ」
 剣は黙り込み、疑念に満ちた目でアルネを見つめた。アルネはそれを無視して、静かに別れを告げた。
「それでは……元気で」
「ああ……あんたも」

 扉を閉めて、アルネはもう一度その家を振り返った。自分が訪れることなど有り得ないと思っていた、ここは西の丘の頂なのだ----。若き猫の族長が待っていたのは、本当はアルネではなかったのだろう。彼が本当に会いたかったのは----。
 だが黒里に促されて、アルネはすぐに目を伏せると、そのまま可南を降りた。人間の天地へ向かって、彼等は去っていった。


「……剣」
 猫の沈黙を破ったのは、黒葉だった。
「お前……あの話、ニンゲンの女、ナンで知ってるんだ? 自分で、見たのか? ……イヤ、そんなハズはねェよな。お前が雪山に登ったなンてハナシは聞かネェ。お前、あれは……」
「………」
「……羅猛だな」
 黒葉は剣の胸ぐらを掴んだ。
「……黒葉……」
「羅猛だな。ヤツだろう。ヤツに聞いたんだな、そうなんだろ」
「そうだよ」
 剣は言った。
「羅猛が、教えてくれた。今度人間と何か困ったことがあったら、切り札に使えって。大事に、取っておけって」
「アイツは、そこ行ったのか。死の山の洞窟に、行ったのかよ」
「それは、知らない」
 苦しげに、剣は答えた。黒葉の腕の力は、彼を持ち上げてしまいそうに強かった。
「それは、知らない。俺がその話を聞いたときは、俺は羅猛がドッカ行っちまうなんて思ってやしなかった。だから、そんなコトは俺にだって解らネェ」
「そうに決まってる」
 黒葉は呟いた。
「アイツは、そこに行ったンだ。そうに、決まってる」
 黒葉の目は、キラキラと輝いていた。彼はいきなり剣を突き放すと、乱暴に扉を開け放ち、茂みを飛び越え、坂を駆け下りて行った。まっしぐらに。まるで二十歳の若猫のような若々しい足取りで。
「黒葉っ!」
 黒矢が叫ぶと、彼も兄の後を追って駆け出して行った。まだ傷も癒えておらず、突き飛ばされたまま転びそうになった剣を、あやうい所で日刺が支えた。
「……俺にはよ」
 日刺は、まだ混乱で目を白黒させていた。
「俺にはよ……何だか今日は、サッパリ解ンねえコトばっかりだぜ……。なあ、剣」
「何だ」
「お前、何か見当ツイてんだろ……こんな事になった訳をさ。一体誰がこんなことやらかしたのかよ。どこのマヌケが人間を殺ったりしたかって」
「……ああ」
 日刺は両手を広げて叫ぶように言った。
「誰なんだよ!? いい加減吐いちまえよ!」
「……春水だ」
 ぼそりと、剣は呟いた。
「春水だよ」


「黒葉っ!」
 合図もせずに黒矢が小屋に飛び込むと、黒の長は目に付く物を無造作に、片端から革袋に放り込んでいる最中だった。
「黒葉……っ! 何する気だよっ!」
「アトはナァ。お前に任せた」
 彼は楽しそうに笑って、黒矢の顔を見た。
「お前はな、もう立派に黒の長だよ。何の心配もネエ。イザとなったら黒里に助けてもらいな。アイツはぼーっとしちゃいるが考え深い所は頼りになるぜ」
「兄貴っ!」
「剣を、支えてやれよ」
 黒葉はその手を止めようともしない。
「アレはな、お前の族長だよ。俺ンじゃネエ。俺にはナァ、やっぱアッチなんだよ。どーしよーも無くヒデエヤツだったけどな。だけど、あれが俺の族長なのさ。だからさ、見逃せよな。久しぶりに、ワクワクしてんだからよ」
 ひよいと革袋をかつぎ上げると、黒葉はニヤリと笑った。
「あばよォ。元気でやんな。縁があったらまた帰って来るからよ」
「黒葉ァっ!」

 黒矢は扉の前に、両手を広げて立ちふさがった。火のように、その赤茶の瞳が燃え上がっている。
「誰がスナオに行かせるモンかよおっ! オレはアンタとは違うぜ。黙って見送ってナンかやるもんか。たとえその方が兄貴が幸せだろうがナンだろうが……絶対に行かせてなんかやんネェ。どーしても行くンなら、力ずくでも止めてやるぜ。オレを切ってから行けよっ! オレも、黒里も、燕も、みんな切って行けよなっ!」
「黒矢ァ、俺はよ……」
 困ったように微笑み弟の方に差し出したその手を、だが黒矢は払いのけ、兄の胸に挑むように武者ぶりついた。
「行くんじゃネェよ……行くなよ、行かネェでくれよ……俺は、兄貴の言うことチャンと訊いたじゃネェかよ。兄貴のこと愛してるから、兄貴を裏切らなかったじゃネェかよ。ヒデエよ。俺のこと置いてくなよ。行かないでくれよ……頼むよ……」
 後は、声にならない。四十に近くなってもまだ若猫のように逞しい兄の体にしがみつき、どうしても離すまいとしがみつき、黒矢は男泣きに泣いた。生まれてこんなに泣いたことはない、と思った。止めようとしても、涙は止めどなく溢れた。まるで母猫に見捨てられるのを恐れる子猫のように、黒矢は兄にすがり泣き続けた。
「……だらしネェぞ、黒矢……」
 黒葉はノロノロと言った。
「オメエ、もう二十歳だろうよ……俺が黒嗣いだのと同い歳なンだぜ……」
 黒矢は無言だった。言おうとしても何も言えなかったのだ。
「……お前は、まだチッコくてよ。……お袋も死んで……」

 黒葉はしばらくそのまま、黒矢を見下ろしていた。ついに体躯は兄たちに追い付く事がなかったこの末の弟は、幼い頃から隠れて弓の稽古に励んでいた。目も赤い自分が黒として認められるには、体躯のあまり関係ない弓しかないと解っていたのだ。その姿を兄たちにも決して見せようとはしなかった負けず嫌いの弟が、今は彼に必死でしがみつき、物心付いて以来の涙を惜しげもなく見せていた。黒葉は天を仰いだ。

「ここは、猫の天地、か。剣もうまいコト言うようになったモンだ。そうだなァ。ここが、俺の天地、なのかなァ……。ナンかそーゆー風に、決まってンのかも知れネェなあ……。な、黒矢……」
 彼は弟の頭を撫でた。赤ん坊の彼によくそうしてやったように。成人した後も、まだ自分より頭一つもこの弟は小さかった。黒矢はいやいやをするように、兄の胸に顔を埋めたまま首を振った。
「……ったく、世話の焼ける……ほら、もう泣くなよ。どっこも行かネェからさ。ほら、顔上げな」
 だが黒矢はまだ兄から離れなかった。仕方無さそうに為すがままになりながら、黒葉は苦笑をもらした。
「お前は、俺とは違う、か……。そォだよな。俺はアイツを止めなかったモンな……。俺が今のお前みたくアイツを引き留めてたら……もしかしたらよ……。ホント、大バカ野郎は、アイツじゃなくって、俺の方かも知れネェよなあ……」

 黒葉は黒矢の肩を掴み、今度は無理矢理自分から引きはがした。
「……ほら、シッカリしな。お前はとにかく、今日から黒の長だぜ。今そう決めた。お前はもう二十歳だ。お前がしっかり剣を見張ってよ、アイツがあれ以上トボけた大バカ野郎になんねーよーにしてやんな。ほら、黒矢……」
 それでも黒矢は泣き続けた。十何年かぶりに流れ出した涙は、もう彼一人の力では止めようもなかったのだった。兄の胸を占めて離さない夢をたたき壊そうとでもするかのように、彼はいつまでもその拳を兄の体にぶつけていた。
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