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XXIV.  休息
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 春の眠気の中に----。
 可南はその身を委ねていた。忘れっぽい猫達には、人間との戦いも既に遠い過去になりつつあった。何せもう一年以上の年月が平和なままに流れていたのである。人間との抗争の原因を知らされることのなかった多くの猫達にとって、春草という一族の存在はもっと遥かな過去に過ぎず、そして頂にある剣の家でさえ、かつて可北を牛耳っていた男の名はついぞ久しく話題に上ることがなくなっていたのである。


 わあっ、と猫達は沸いた。春祭の組み手で初の栄冠を得た日刺も、大剣ではやはり黒葉に太刀打ち出来なかった。頂からは久しく遠ざかっていた黒葉も、その腕前まで後進に譲る気はまだまだ無さそうだった。金飾りの大剣を手渡しながら、剣は黒葉の肩を叩いた。
「黒葉ァ、たまには頂にも顔出してくれよ。みんな寂しがってるンだぜ」
 黒葉はニヤリと笑った。
「若造の間に顔出して、老猫扱いされンのはゴメンだね。メンドくせーことはお前等に任せたよ。俺は黒里と仲良く隠居してるぜ」
 黒里も後ろで笑っていた。黒の次男は最近簓の護衛役に回り、忙しく動き回る巫子を優しく支えていた。前の巫子をあっけない事故で亡くしたことを悔やみ、黒家は族長の指示の元、巫子に厳重な護衛を付けていたのだ。

 簓は、体こそ同じように弱かったものの、前代の巫子のように外出を嫌うことはなく、呼ばれれば白山にも、可北に寂しく残る緑の部落にまで顔を出した。幼いながらも利発な彼は、際だった巫子の能力以前にその人なつこい性格で既に猫達の人気者となっており、各家は巫子を迎える栄冠を競い合った。婚儀や前成人の祝いに、その姿は欠かせないものとなっていた。

 そして今、神卸を終えた縁台で、簓は近付いて来る父の姿を仰ぎ見ていた。神卸の疲労は決して軽いものではなかったが、その後に父と交わす短い会話を思えば、今日の勤めは彼にとって楽しみとさえなっていた。族長が直に結果を問いただす祭りの神卸は、簓が父と顔を合わせ、言葉をかわすことが出来る数少ない機会であった。幼い巫子がその時をどんなに心待ちにしているかを、常に側に寄り添う黒里でさえ知らなかった。やがて父の前に座り、簓は息を整えながら語り始めた。小さな胸の内の喜びを悟られぬように気を配りながら。そしてどうやってこの時を引き延ばそうかと、幼い策略を密かに心で練りながら。

 舞台に上がった族長の口から、神卸の結果が声高に知らされる。夏は長雨に見舞われるものの、秋の収穫は相変わらず期待出来そうだ。再び猫達は安堵に沸いた。技比べの順位も組み手以外は変わることなく、春の祭りは盛況ではあったが穏やかに、その本幕を開けようとしていた。


     ----彼女の目は黒曜色
     声はすみれ色
     ああ 恋よ
     花咲くオレンジの木かげ!  

 三弦のギターをつま弾き、緑の女が、篝火の影で歌っている。小手鞠の群落が重たげな芳香をまき散らし、祭りの夕べに、どこかしら気だるい華やかさを添えている。
 剣は膝の上に、二人の息子を遊ばせていた。もう四つになった双子は既にその性格の差を如実に表し始めていた。赤目の恍は、活発に動き回りすぐに父の膝から飛び出そうとする。剣に良く似た燐は、一見大人しそうではあるが、頑固で譲らない所は性格まで父親にそっくりだと、燕はいつも笑っていた。

 剣は振り返り、傍らの焔に微笑みかけた。目を細めて父子の様子を見守っていた彼女は、再びその腹を重そうに両手で支えている。季節外れの、剣の四番目の子供だ。猫の子供は生まれた時ひどく弱く、厳しい冬を越せずに死んで行く赤子も多かった。また猫の女が、腹に子供がいても働き続けることを誇りとする故か、生まれる前に流れることも、産み落としても産声を上げぬまま冷たくなることもままあった。既に黒矢も日刺も一人づつ、その子を失っていた。それがとりたてて珍しいことではない中で、焔は実に産み上手、育て上手だと女猫の間でも評判を取っていた。

「今度は女の子がいいな」
 剣は笑って言った。
「また双子にしないか? 手間が省けるぜ」
「そんなに上手くはいかないわよ」
 焔も笑う。
「もっと子供が欲しければ、さっさと側女を貰うのね。そうしたら私も楽になっていいわ。大変なんだから。頂の祭り支度を一人でするのは」
「側女ってなァにィ」
 恍が声を張り上げる。馬鹿な事を聞くな、とでも言うように燐が弟の頭をいきなりはたく。掴み合いになった双子を両手で引きはがしながら、剣は二人に頬を寄せた。
「お前らにゃまだ早いよ……まず正妻だな。もうちょっとしたら、たっぷり教えてやるからな……十五で最高の嫁さん貰う方法とかさ」
「相変わらずだねェ。ごちそーさんよ」
 日刺は、正妻の赤音と側女の緑李を両脇に連れていた。赤音は、まだ一つにもならない息子をしっかりと腕に抱いている。
「お二人さん。さっさと娘作れよォ。そんでウチにくれ」
 剣は笑った。
「そんな約束は出来ネェなあ。俺の娘の婿は、可南一の男じゃなきゃな。ま、お前の息子が細剣で俺を負かす位になったら、考えてやってもいいぜ」
 生まれて間もない息子と、まだ生まれてもいない娘についての、いかにも若い父親同士らしいその会話を、傍らで藍高が興味なさそうに聞いていた。
「お前はどうすんだよ藍高。藍の長のクセに、いつまで気楽に一人でいるワケ? あのノンビリの真白にまでどうやら先越されそーじゃねーか」
 日刺が声をかける。そら来た、という顔で彼は肩を竦めた。
「別にィ。気が乗らねェだけ。そのうちテキトーな女でも貰うよ」
「いいトシしてよォ。もう二十三だろオメエ。さっさと一人前になったら?」

 日刺の言葉を軽く笑って受け流し、藍高は誘いに来た女猫と踊りの輪に去って行った。決して女に興味が無い風ではない藍高が一体いつまで一人でいるのか、頂に集う猫達の間では、密かに賭の対象となっていた。
「やっぱ、サッサと日羅枝を押しつけっかな」
 呟いた日刺は、「来年」に賭けていた。日羅枝は今年成人を迎える彼の妹だ。溺愛している妹を、どんな男にであれ側女としてやりたいはずもなく、御三家の長で唯一独り身の藍高を、日刺は当然狙っていたのだ。
「日羅枝は美猫だからナァ、お前に似ず」
 黒矢が笑って酒の器から顔を上げた。
「俺にくれって言ってんのによ」
「アホウ、お前は藍華とヨロシくやってな」
 日刺は歯牙にもかけない。側にいる緑李を気にもかけずに言い切る。
「ナンたって大事にされンのは正妻だぜ。祭りでも扱いが違う。日羅枝は絶対側女になんかしねえぜ」
「そんなこと言ったって」
 焔がクスクスと笑った。
「日羅枝は気が強いからねェ、どっかのお兄様と良く似て。どうせ自分の思い通りの男ん所に行くわよ。正妻かそうじゃないかなんて大したことじゃないわ。好いた男と一緒にいるのが一番よネェ」
 緑李と顔を見合わせて笑う。日刺は大げさに肩を竦めて見せた。
「好いた男の正妻に収まってる女の、余裕のハツゲンだよなァ。……聞いちゃられネェよ、全く」

 藍華が迎えに来て、黒矢もいそいそと踊りに去った。既に踊り飽きていた日刺は、酒を片手に剣の脇に座り込んだ。思いきり、伸びをする。
「ナンか、技比べぐらいで疲れたぜ……体なまっちまうよなあ……最近ミョーに平和でよ」
「ああ、そうだな」
 春の宵の風は、暑くもなく寒くもなく、確かに奇妙な疲労感さえ呼び起こすようだった。
「なあ、剣……こうもウララかだとよ、忘れそうになるよな……」
「………」
 焔と赤音は、それぞれの子供を抱き、食べ物を取りに連れ立って去っていった。空になっていた日刺の杯にいそいそと酒を注ごうとした緑李を、彼は身ぶりで話の聞こえない距離へ追いやった。
「あれ以来、音沙汰ネェな」
「……ああ」
「薄気味悪ィよなあ。どうもよ」
「そうだな」
 息子達に邪魔されて飲めなかった酒を、剣もやっと壷ごと手に取った。

 春水の行方は杳として知れなかった。巫子の神卸にも伺いを立ててみたのではあったが、簓は「見えない」と首を横に振るだけであった
 火酒の壺を顔から離し、剣は宙を見上げた。
「もう一年以上もご無沙汰か……。例の計画が失敗に終わって、意気消沈してどっか平原の片隅にでも引き下がった、てンなら安心なんだがな」
「本気で言ってンのかよ、剣」
 剣は肩を竦めた。
「一年前は、奴等は人間を使って来た。あの手はもう二度と使えねェ。今度は直接来るしか無いんだぜ? そんな危険を冒すより、どこか貧しい土地でも……例え危険な平原でも、春草をなんとか存えさせようという考えを持ったって、別に不思議じゃないだろう」
「ヤツらが、そう簡単に可北を諦めるか? 春草の聖地とかなんだろ、ありゃ」
「そう……そうだな」
 剣は小さく笑った。
「そうだな…….奴等は可北を目指すんだろうな。何があっても……亡びると解っていても火に飛び込む虫みたいに……きっと……来るよな。尤も、春草の方が亡びると決まったワケじゃないけどな」
「バカな事言ってんじゃねーよ!」
 日刺が、強く剣の頭をはたいた。
「族長がそんな弱気な事言ってどーすんだよ! まさか、俺達が春草ごときに負けるとでも思ってンのか?」
「オレは、『可能性』ってヤツを言ってみただけだぜ」
 勿体振って、剣は藍高の物まねをした。これには日刺も思わず頬を緩めた。
「負けやしねーよ」
 日刺の方を振り返って、剣は笑った。
「それに……物騒な話だが、俺はどっかで春水を待ってる。今度は直接ヤツが俺の前に現れるのをな。ヤツとのカタを付けねえと、どうも俺はここにいても落ち着かないんだよ。まだチャンと族長に、なった気になれねェって言うかさ……」
「立派に族長してんじゃネェか? ……まあな、お前等は……特別なエンがあるみてェだしな……」

 いささか不安げに日刺は言った。彼とて、春水を一刻も早く「ブチ殺して」、やれやれと胸をなで下ろしたいのは山々だったのだが、どうも剣の春水へのこだわりには、何か度を過ぎたものがあるように感じられてならなかった。
「それにしてもよ」
 小さな器にじれて酒の壷にじかに口をつけながら、日刺はフン、と笑った。
「春水もドンくせえよな。動けネェほどの怪我負わせといてよ、オメエにトドメ刺せなかったナンてよ」
「……俺がもう死んだと思ったんだろ」
「そこがマヌケだってんだよ。さすが春草だぜ」
「アイツを、ナメてかからねェ方がいいぜ。特に直接切り結ぶ、なんて事になったら特にな。あの顔に油断してると、結構な目に合う」
「お前みたいに?」
「……まあな」

 その感覚を、剣はいつでもありありと思い出すことが出来た。自分の胸になめらかに滑り込んでくる細剣の切っ先。苦痛にもだえる自分を見下ろす、緑の瞳。狡猾に冷たい微笑。可北に君臨していた少年猫の優しい笑みを、剣はもうその顔に重ねることは出来なかった。もはや自分も、彼も、子猫ではないのだ。守るべき一族を互いに背負った若猫同士として----再び殺し会うその日を待っている。おそらくは春水も、何よりもその時を待ち焦がれているに違いない。自分を狙う細剣を心に研ぎ澄ませるその姿を、剣は今はっきりと目の前に感じていた。まるで離れていても心の通じ合う仲ででもあるかのように。
 ふと、以前も感じた疑問が心に沸いた。春水は簓の事を知っているのだろうか? 自分の息子が今、可南にいる、剣の長男としてあの巫子村にいるということを。
「……なあ、剣」
「ああ?」
 我に返って剣は振り返った。日刺はニヤリと笑った。
「ともかくさ、早ェとこヤツを殺っちまうしかネェよな。お前のそのワケの解んねェ思い込みを、さっさと片づけるタメにもよ……」
「そうだな」
 剣は呟いた。
「その通りだ……」


     悲しみや苦しみやまぼろしに
     まだよごれていない一つのうた
     ----それはもうあたしの髪から
     立ち去ってもどってこない

     ああ、なつかしい恋人よ
     花咲くオレンジの木かげ!

 篝火の周りで、猫達が歌い手に喝采を送っている。やっと楽師としてもサマになって来た緑の者達に、可南も賞賛を惜しまない。母の手を振りきって、恍が父親の方へ走って来た。剣は微笑んで立ち上がった。今日の祭りは、とりあえず彼等の休息だ。その日まで春水に邪魔されたくはなかった。焔が、緑李が、話が終わったのを見計らって近付いて来る。双子を抱き上げると、剣は踊りの輪に紛れ込んだ。猫達が沸き、彼等の為に場所を空ける。後込みする燐の手を取って、恍がひょうきんな身ぶりで踊りだした。はやしたてる猫達に愛嬌を振りまく息子に、剣も笑って声をかける。可南の平和を象徴するかのような華やかな祭りが、篝火を空にまで吹き上げている。満ち足りて、猫達は酒と楽の音にどっぷりと身を浸していた。長い冬は終わった。これからは眩しい夏と、豊かな秋が再び可南を彩ることだろう。
 だがその休息の日々は、思ったよりも短いものとなった。 



                 Lylics By F.G.LORCA
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