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XXV.  略奪
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 度重なる婚儀に、さすがの剣もいささかうんざりしていた。
 安定してきた可南の情勢に胸を撫で下ろし、猫達は己が春を満喫することに心を決めたかのようだった。年頃の女を奪い合うかのような勢いで婚儀が執り行われ、その度に族長としては新郎新婦の位に見合った「贈り物」を用意し、短い祝辞、祝いの舞まで披露しなければならない。前族長とは違い華やかな場所が決して嫌いではない剣ではあったが、それが連日続くと、やはり宴にも飽き飽きして、焔の前で溜息をついてみたりもするのだった。

 だが、今日ばかりは話が違う。白山で行われる婚儀の席に、剣を始め可南の若き長達は朝も早くから押し掛け、早々に酒を手に取り、既に一杯機嫌だ。支度に忙しい新郎は友人達に足止めを食って悲鳴をあげている。

「俺、一応今日の主役なんだぜっ! ソンな飲んでばっかいられネェんだよっ」
 真白は日刺の差し出した一杯を何とか断ろうと必死だ。だが日刺は容赦がない。
「お、日族の長様の酒が飲めないとおっしゃる。大胆だねェ。明日っから可南で無事にオシゴト出来ネェぜ。嫁さん貰って暮らしに困るなんて哀れだネェ」
「その位にしといてやれよ、日刺」
 黒矢がニヤニヤ笑って言う。
「婚儀の席でブッ倒れるぜえ、コイツ。お酒には弱くていらっしゃるようですから」
「それを狙ってんじゃねーか。そんな面白ェことになったら、俺が替わりに絹糸を側女に貰ってやるからサァ」
「もー、ジョーダンじゃネェよ。そこ通せったら」
 何とか二人の脇をすり抜けた真白の前に、今度は剣が立ちふさがった。
「だけどさ、まさか俺の酒は断んネェよな、真白?」
 族長の威厳をもって、彼はにっこりと笑った。
「さあ、一気に空けてもらおうか。まだ酒の壷はいくらでもあるぜ」

 それでも婚儀は一応無事に執り行われた。しきたりに従って絹糸を抱き上げた真白の足が一瞬ふらついたのは、ま、愛嬌と言うものであろう。自分たちの行為は棚に上げて、悪友共はさかんな野次を贈ったのであったが。
「真白がコッチ側にいたらさ、わー、絹糸きれーだなー、とか、夢みたいだなー、とか言ってうるさかっただろーな」
 黒矢はご機嫌だ。彼は元々真白にもまして婚儀が大好きだった。
「お前こそ、今日は得意のメデタイなー攻撃はないワケ」
 藍高がニヤニヤ笑って言う。日刺も笑った。
「あと二、三杯飲ませてみな。ジジィノリが出てくるぜ。黒の長様は案外お酒に弱くていらっしゃるようですから」
「ナンとでも」
 黒矢は怒る気配もない。既に「ゴキゲン」になりかけているらしい。
「いーじゃねーかよ。ホントにメデタイんだからさ……でもアイツ等さあ、一見ドッチが花嫁なのか、解んネェと思わん?」

 皆どっと笑った。確かに真白は彼等の中では目立って小柄で、その銀の髪も相まって、白い婚儀の衣装を着た姿はなかなかに女らしいとも言えた。尤も実際は女猫と間違えられるほどではなかったのだが。
 新しい酒の壷が開けられ、彼等の間を回されるうちすぐ空になる。祝いの酒は留まる所を知らず彼等の気分を盛り上げて行くようだった。

「だけどよ、婚儀が終わったらすぐに祝いの神卸だろ?」
 ふと藍高が顔をしかめた。
「遅ェな、簓は。まだ来ないのか」
 巫子にまつわる不吉な記憶が、一瞬彼等の顔を曇らせた。
「……ナンか、具合悪くなってるとか、ソンな事じゃなきゃいいけどな……」
 不安そうな日刺に、黒矢も首をひねる。
「何かあったンなら、黒里が知らせに来るだろ。ただ遅れてるだけじゃネェの?」
 簓には、黒の次男、黒里の率いる側近がついている。ましてや今可南に、巫子に何らかの危害を加えようとする者などいようとも思えなかったのだが。
 藍高が立ち上がった。
「様子見てくるわ」
 新郎側の席も、ざわめき始めていた。真白の父である楠木が側の者を呼び、しきりに話し合っている様子なのに声をかけ、藍高は馬でその場を去って行った。

 剣は空を見上げた。既に太陽は傾き始めている。いくらなんでも遅すぎる。彼は立ち上がり、花婿の席へ行くと、とりあえず先に酒と音楽を始めるようにと楠木と話し合った。不審がりながらも、猫達は緑の音楽に合わせて踊りの輪を作る。絹糸が細い声で歌を披露する。喝采を浴び、彼女は何度も輪の中心に引きずり出され、祝宴の歌を繰り返し歌った。
「簓は……」
 何を言おうとしたのか、黒矢が剣に話しかけた刹那、絹糸の声が悲鳴に変わった。


 一斉に猫達が振り向く中、白山の広場の中央に、血塗れの馬が駆け込んで来た。女たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
「……春草だァァァっ……!」
 片腕を失って必死に馬を走らせて来た黒の若者は、力尽きて馬ごとその場に倒れた。
「……春草だ! 春草が、巫子を……!」
 黒矢が素早く駆け寄る。
「しっかりしろっ! 巫子を、どうしたんだ!」
「巫子を……連れてった!」
「場所はっ!」
「丘の麓だ……南の丘の……」
 阿鼻叫喚の坩堝となった祝宴を抜けて、可南の長達はそれぞれの馬に向かって駆け出していた。


 口を訊く間もなく、剣は馬鞭を振るい続けた。黒矢も日刺も無言だ。黒、日、赤や藍の若猫達もすぐに後を追って来る。それでもその場に着くまで、一刻は十分にかかった。南の丘は、可南と白山の丁度中間にあった。ただでさえ今日の婚礼で、可南の長の殆どが白山へ出払っている。どこで情報を手に入れたにせよ、春草がその隙を突いて来たのは確かだった。

 日の落ち始めた丘には、もうほとんど生きた影は見あたらなかった。僅かにうめき声をあげる巫子の護衛達の間に----倒れ伏した金髪の若猫達は、既に皆絶命していた。おそらくは情報の漏れを恐れて、仲間達が自ら留めを刺していったのだろう。まだ動いていた黒の若猫を、黒矢が抱き起こした。
「簓は、どうしたっ! ……黒里はっ!」
「……簓は……巫子は、連れて行かれた……黒里は……後を、追った。五、六人で……北の、方角だ。深追いするな、と言ったんだが……」
 剣は赤の若猫を振り向いた。
「赤嶺、可南に走ってくれ。黒葉に連絡を。追手を出してくれ、と。くれぐれも、可南を手薄にし過ぎないようにと……。俺達は、このまま後を追う」
「解った」
 赤嶺はすぐに走り出した。
 そのまま馬に飛び乗り、再び鞭を振るい始めた剣の横に、黒矢が馬を付けた。
「剣、お前は、戻れっ! ……俺達が、簓を取り戻す」
 無言の剣に、黒矢は再び叫んだ。
「剣っ……! このままお前が行ったら、向こうの思う壷なンだぞっ!」
「……俺の、息子だっ!」
「剣っ!」

 剣は馬を止めなかった。激しい鞭の勢いから逃れようと、馬は転がるように平原の北を目指す。黒矢も、彼の前に出ることは出来なかった。だがじきに、剣は手綱を引いた。黒矢も、後ろから来た日刺も、そして赤の若猫達も、それにならった。

 真っ先に、黒矢が馬を下りた。無惨な中の兄の死体を、彼は厳しい顔で見下ろした。簓の護衛に付いていた彼の従兄弟も、残り四人の若猫達も、焼けただれた体を切り刻まれ、首をはねられて地面に横たわっていた。平原は血の香りに満ち、飢えた禿鷹共が、獲物を狙って彼等の周りを飛び回っていた。春草の影は、既にどこにも見あたらなかった。追っ手をここで討ち倒し、彼等は再び平原の中に消え去ったのであった。巫子を連れて。

「……春水ィ……っ!」
 剣の口から怒声が漏れた。続いて彼は吼えた。それは言葉にならない、獣の吼え声であった。簓は----彼の息子は、今や春水の手の内にあった。耐えきれず、剣は頭をかきむしった。彼が簓を----どうして愛していなかったことがあろう。愛していたからこそ、彼はその思いに苦しんだのだ。それに今になって気付くなんて。簓は、彼の息子だった。初めて彼が天から授かった、掛け替えのない息子であったものを。
「……俺は、バカだっ……」
 剣は呻いた。
「救いようのネェ……大馬鹿だっ……どーしよーもねー、大タワケだっ……何が、族長だ……何が……俺は、俺は……」

 いつも、そうだ。失わないと解らない。手の中にある内は気付かない。幼い息子を一人置き去りにして、何が「後悔しない」だ。そんなバカなことがあるか。後悔しないはずがあるものか----。自分の弱さを、愚かしさを、剣はただ呪っていた。そしてそれ以上に、その男への怒りが、憎しみが、彼の心を再び紅蓮の炎と化していた。

 肩に置かれようとした日刺の手を振り払うと、剣は顔を上げて、平原を見渡した。どこかで、その男が剣を待ち受けている。笑っている。そして再び、彼は吼えた。
「……春水っ……そこで笑ってろ! 首洗って待ってろよ……俺が、今度こそ、この手でトドメさしてヤルからなァ……っ!」
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