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XXVI.  戦略
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 黒矢は、静かだった。十年近く彼を育てて来た中の兄の名を、彼は二度と口にしようとはしなかった。老いた赤の長、赤騎も今日は頂の会議に出席していた。藍の長は----藍高は、帰らなかった。春草を追い、どこかで倒れたものか----あれから五日が過ぎてなお、彼は可南に帰還しなかったのである。

 また、春草の動きもなかった。彼等がどういったつもりで簓を連れ去ったのか、まだその目的は頂には見えてこなかった。人質? 巫子の力を欲して、あるいは恐れて? 捜索隊が、組織された。黒の若者、日や雑種の若者、赤の若者----だが、簓の側でその安全を護っていたはずの黒の精鋭達が、例えその数十名弱だったにせよ、ああも簡単に全滅させられた以上、捜索隊の力を分散させる訳にもいかず、作業は遅々として進まなかった。

「なんで……あんなに、あっけなくよ……」
 日刺が呆然と呟くのに、剣は低く答えた。
「銃だろう」
「……銃」
「ああ。お前だって覚えてるだろ。銃の威力……。倒れていた奴等の、焼かれたみたいな傷は明らかに銃によるものだろうよ。奴等は、銃を、城壁から持ち出していたんだ……」
「………」
「甘かったな。奴等が平原に出るのに、空手で逃げた筈はなかったんだ。銃がどれだけあるかは解らないが、他にも持ち出せるだけの武器を持って出たんだろうよ」
 日刺は思わず身震いした。彼は勇猛な猫であったし、狩りや戦において彼ほど恐れを知らず果敢な猫もいなかったのだが、だが自分の理解出来ない範囲のもの----巫子の力であるとか、あの得体の知れない武器、矢でもなく、剣でもなく、不気味な赤い火の玉の飛び出る武器----に関しては、迷信にも近い恐れを抱いていた。


 可南の猫達も動揺していた。もうこの世にはいないはずの春草が、集団で黒の若猫達を殺戮し、巫子を奪い去ったのだ。死霊の仕業だなどと言い立てる者もおり、遂に剣は各家の長を集め、簡単な説明をせざるを得なかった。春水が、生きていること。人間の場所から逃げ出した金種の、そして光の猫を従え、平原のどこかに居を構えているらしいこと。可南の動揺がその説明で収まったわけではなかった。今はもう身近にいない彼等であるが故に尚のこと、半ば寓話の鬼めいた虚飾を以て、可南の猫達は前当主春風の恐ろしさや狡猾さなどを今更ながらに声をひそめてささやき合い、不安そうに頂を見上げているのであった。

 だが頂の動きも停滞していた。もとより捜索隊の帰りを待つしか手だてはなく、黒葉が率いる一隊は今はもう可北の一応の探索を終え、平原の、金種達が去ったと思われる北の方角へ当てどもなく向かっているはずだった。黙りがちに、彼等は頂での夕刻を過ごしていた。

 ふいに黒葉の口笛が聞こえた。剣の返事を待つのももどかしく、黒葉は荒々しく扉を開き、ずかずかと頂の小屋に入ってきた。そして言った。
「藍高が、帰った」
 彼等は一斉に立ち上がった。


 藍高は軽い怪我をしているらしかったが、黒の小屋で燕に手当てを受けただけで、急いで頂へやってきた。焔から一反の木綿布を借りると、彼は簡単な平原の見取り図を書いてみせた。
「北の、丘だ。ここ」
 一点を、指で差して見せる。
「ここにいる。春草の今の本拠地だと思う。遠くから見ただけだから確実だとは言えないが、小規模な部洛がいくつも出来ているようだった。金髪猫がウロウロしてたぜ」
「お前……後を、つけたのか」
 剣が聴くのに藍高は頷いた。
「ああ。俺が行った時、黒里達はもう……ダメだった。遠くに馬が逃げるのが見えた。俺一人で仕掛けても、巫子を取り戻せるとは思えなかった。だから……ともかく奴等の根城を突き止めてやろうと思ってよ。奴等は、丘づたいに北の方へ向かって……。平原に出たら姿を見られやすいと思ったんだろうが、かえってそれが幸いしたぜ。こっちも馬だったからな。丘の上から、森に隠れて後を追った」
「その怪我はどうした」
 藍高は眉をしかめた。
「北の丘にな……煙が立ってるのを見つけて、部洛に近づきすぎた。さすがに見張りが立っていたらしくて、矢で射られた。傷は大したこたァねェが……だが奴等に気付かれた。悪ィな。最後の最後でドジったぜ」
「見つかっちまったのかよ……でも、良く逃げられたなオメエ」
 日刺が言うのに、藍高はやっとニヤリと笑った。
「そんな見張りの二人や三人……でもさすがに一目散に逃げたぜ。ヤツラは追って来たみたいだったけどな、夕闇に紛れて逃げおおせたぜ。後は寝ずに馬を飛ばしてよ……馬が倒れたから後は歩いた。ま、そういう訳だ」
「北に向かう途中で藍高と会った」
 黒葉が言った。
「だから、こりゃオメエの指示を仰がにゃいけねェと思って帰って来たんだよ。剣、どうする。攻めるか」
 全員が剣の方を振り向いた。

「向こうには、地の利がある」
 剣はゆっくりと言った。
「その北の丘のことを、俺達は何も知らない。多少数が勝っていても、明らかに不利だ。ましてや向うには銃がある。可南を全くカラにする訳にも行かない。戦力は二分されるな」
「おトクな戦いとは言い難ェな」
 黒矢が低く呟く。
「そうなっちゃ、いいトコ、五分五分だぜ」
「巫子を、助けるか」
 藍高が言う。
「諦めるのか、の選択が先だろうな。確かに巫子の存在は掛け替えがないが、それはあくまで可南あってこそ、だ」
「お前、簓見捨てる気かよっ!」
 日刺が激しく藍高の胸ぐらを掴んだ。
「春草の事は庇うようなコト言ってやがったクセによ。ホント、冷テェんだか、お優しいんいだか、お前はよっ……」
「全ての可能性を考えろ、って前にも言ったろっ」
 日刺の手を、彼は乱暴に振り払った。
「少しは冷静になりやがれ! 巫子は助かったが可南が滅びた、ナンて事になったら、まさに本末転倒、目も当てられネエだろうがよっ」
「お前も、落ちつきな藍高」
 黒矢が静かに言った。
「珍しくゲキしてんじゃねーよ……お前、少し休めよ。寝ないで馬飛ばして来たんだろ」
 藍高は横を向いたが、部屋を出ようとはしなかった。その肩を軽く小突いて、黒矢は言った。
「俺としちゃ、攻める、に一票かな。このまま引き下がったら、ますますアイツ等にナメられる。どうせまた次も小賢しい手ェ使って来るに決まってるぜ。せっかく藍高が本拠地突き止めてくれたんだからよ。多少の危険は犯しても、さっさとカタを付けンのが近道だ。アイツラが居場所移さねーウチによ」
「……私は、藍高の『別の可能性』に一票」
 赤の長が口を挟んだ。
「残酷なようだがな。族長には悪いが……巫子がいなくても、可南は何とかやって来た。これは楽な戦じゃない。いいとこ五分と五分だ。巫子一人と可南を計りにかけたら、どう考えても可南が重い。ここは、守りに入るべきだ」
「ハッ、なあーに言ってんだか。ご老人はよ」
 日刺が吐き捨てるように言った。
「必ず勝つイクサ、ナンて始めっからあるかよ。向こうは捨て身でかかって来てンだぜ、それをコッチが守りに入って、勝てるもンか。今更ビビったコトほざいてンじゃねーや」
「じゃあ、お前は、日刺」
 黒矢が言った。
「攻める。決まってんだろォ」
 頷いて、黒矢は藍高に目をやった。
「お前は」
 藍高は肩を竦めた。
「俺には、残念ながらご意見、ナンてねーの。常日頃から優柔不断なモンでね。俺はただ、従うだけだ。族長に」
「……族長に……剣」

 黒矢は、剣を見た。日刺も、黒葉も、赤の長も、再び全員が族長の最終決定を待ち受けて沈黙した。窓際に座ったまま、剣は動かなかった。
「……俺は、簓を取り戻す」
 やがて彼は低く言った。
「簓はまだ生きてる。殺さずに連れ去ったってことは……奴等の目的が何だったにしろ、アイツらは簓を、生きたまま欲しかったんだ。アイツは……春水は、よりによって俺の息子を、俺の目の前からかすめ取りやがった。それを無視できるほど、悪いが俺は大人じゃない。俺は行くぜ。これは、可南の為の戦いじゃねェ。俺の、我侭だ。だから付いて来いとは言えねェ。俺は……俺は、一人でも行く。どうしても……どうしても俺はアイツと決着付けなきゃならねェんだ」
 春水は今、簓をその手に抱いて何を思っているだろうか。----自分の、息子を。
「一人でだなんて」
 藍高が肩を竦めた。
「カッコ付けちゃって。おバカさんね」
「ハハア」
 日刺は笑った。
「……そう言うワケだな。オイ、来たくネエやつは来ネェでも構わんとさ。俺は行くぜえ。春草をブッ潰して、可南に巫子を取り戻すんだ」
「族長が決めたんだぜ。行きたいも行きたくねェもあるモンかよ。これは可南の決定だ。そうと決まりゃあさっさと攻める、だ」
 黒矢が言って、剣に詰め寄った。
「放っときゃ、アイツらがその北の丘から逃げ出すってコトだって考えられる。こうなりゃ一刻を争うぜ」
 剣は頷いて、黒矢を見上げた。
「……まず、黒矢、お前は残れ」
「……なンだってェ……」
 叫び声をあげた黒矢を手で制して、彼は続けた。
「お前は、可南を守れ。お前の配下の黒は全て置いて行く。まさかの時はお前が次の族長だ。これは、決定だ」
 口を開きかけた黒矢は、だがため息をついて目を落とした。
「……解った」
「赤は、半分を選抜して可南に残す。若いのとそうじゃないのと、等分に分けるようにしてくれ。攻め込んだ俺達がもし全滅した時に……それでも可南が存続出来るだけのモンは、残してかなきゃいけねェからな。あんたも残ってくれ、赤騎」
「承知した」
「日族は……全員連れて行く。外猫の中からも、二、三十適当に選んでおいてくれ。それは、任せた。日刺」
「そう来なくっちゃナァ」
 日刺は、ニヤリと笑った。
「任せとけって」
「藍は、若いのを選んで、戦場で連絡部隊を務めてもらう。もちろん戦闘にも参加してもらうけどな……。アイツラはすばしこいし、頭も切れる。ただでさえ地の利が無い場所なんだ。分散させられて孤立したらお手上げだ」
「ああ、せいぜいカシコイのを見繕っとくぜ」
 剣は、藍の長を振り向いた。
「他は、残す。藍高、お前は……」
「置いてくなよなァ」
「お前、怪我は」
 藍高は肩を竦めた。
「置いてかれちゃったら、俺ァ、スネるぜ」
「……解ったよ」
 剣は笑った。そして、壁に寄り掛かって立つ黒の長男に目をやった。
「黒葉」
「ったく、老体をこき使いやがってよ」
 黒葉はニヤリと笑った。
「俺ン所の黒を二三十、一緒に連れてくぜ。足りるか」
「ああ。充分だ」
 剣は頷いた。
「……出発は、明後日の夜明け。旅の支度は十分にさせてくれ。途中で狩りをする余裕はない。向こうでの戦略は、アッチへ行ってからだ。どうせここで考えたって、解んねェことばかりだしな。俺の予想では.……ヤツ等が逃げちまってるって事はない気がする。百以上いる部洛を、それも女子供がいるなら尚更、そう簡単には動かせまい。逃げてる途中で攻撃を受ける危険を冒す位なら、奴等はおそらくそこに留まってこっちを迎え撃つ方を選ぶだろうな。だから向こうも……もう充分に体制を整えて俺達を待ちかまえていると思った方がいい」
「それがどーした」
 日刺が腕を振り回した。
「やーっと、コッチから撃って出られるんだぜ。待ちくたびれてたぜ。オレぁ」
 剣は部屋を見回した。
「これで、全てだ。後のことは任せたぜ、黒矢。出発するまではあまり触れ回りたくない。どうせ緑の中にまだ間者が紛れ込んでるんだろう。俺達が行ったら、あとの可南を落ち着かせてやってくれ」
「了解」

 黒矢の返事を合図に、長達は急ぎ足に頂を去った。急な攻防の準備に、時間はあまり残されていなかった。剣はそのまま、窓の下に彼の山を見下ろしていた。既に日も落ちた可南は、側に迫った攻防をよそに、春の花の香りを僅かに漂わせ、穏やかな色の夕暮れに染まっていた。

 一体何が彼をここまで連れてきたのだろう。ふと、剣は思った。巫子村の平和な暮らしから、人間の社会へ。この頂へ。そしてついに、春水の許へ----。
「確かに、あンまり平穏じゃなかったよ、簓……」
 剣は呟いた。兄の名を口にしたのは、本当に久しぶりだった。
「だけどさ、俺は不幸じゃない。確かに、不幸じゃなかった。今だってそうだ。相変わらず強くはないけどな……でも、決して諦めたりはしない。もう、そんなコトはいやだ……。俺は、もう大丈夫だ。大丈夫だよ、簓……」
 大丈夫、大丈夫と、何度も、呪文のように、剣は繰り返していた。失われた兄に向かって。そして、北の丘で彼を待つ、息子に向かって。
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