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XXVII.  抗争
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 丘の全貌をその目に捉える前に。
 春草の攻撃は始まっていた。平原に隠された兎罠が、馬達の足を捉えた。刃に毒が仕込まれたそれは、馬達を悶絶させ、暴れ回らせ、死に追いやった。暴れる馬の下敷きになり傷ついた猫も、また罠自体に足を踏み入れて命を落とした者もいた。苦しむ仲間をそのままに、可南の猫達は前へと進むしかなかった。茂みに隠された仕掛け矢が、谷に仕込まれた落とし穴が、僅かずつではあるが確実に、仲間の数を減らして行った。春草は、確かに北の丘から逃げようとはしなかったのである。それはある意味では可南の猫達を安堵させないこともなかったのだが、しかし相手の姿も見ないうちの犠牲は、彼等をまた苛立たせるのにも充分であった。

「セコイことすンなあ……春草らしいぜ」
 罠に石を投げ込んで、日刺が唾を吐いた。藍高が呟く。
「有効な戦術だな。地の利を生かして、戦力の不足を補おうとしてるンだ。心理的な効果もある。サスガになかなか考えるねェ。春水も」
 日刺は溜息をついた。
「藍高、お前さあ……他人ゴトぶってンじゃネェよ。今度また春水のヤロウを褒めるような口きいたら、顔の形変えてやるからな」
「はいはい。まァ、イライラしなさんなって……剣」
「何だ?」
「馬を、何頭か先に進ませネェか? 罠の全部が見抜けるとは限らねェが、半分でも避けられりゃ気分も変わって来る。このさい馬を全部犠牲にしても、兵力を残す事を考えようぜ。どうせ北の丘に着きゃあ、馬は使えねェ」
「……よし」


 抗争前夜は、平原を避けた林の中で暮れた。遠回りになるのを覚悟で丘の反対側から回り込んだその場所には、さすがに春草の手も回ってはいなかった。まだ敵の直接攻撃がある距離ではない。篝火を囲んで、猫達はやっと元気を取り戻していた。馬は随分とその数を減らしたが、猫の犠牲はそれ以降増えることがなく済んでいた。

「遠出の戦ってのはよオ、久しぶりだぜ」
 黒葉の食欲はおおせいだ。あっと言う間に大きな塩付け肉の固まりをを片付けた。今度は酒に手を伸ばす。
「多少重くても、持ってきて良かったよナァ。これがなきゃ祭りって気がしネエ」
「……祭りィーっ!?」
 大声を上げた剣に、彼は鷹揚に笑った。
「おー、祭りよ。野っ原で篝火焚きゃあ、猫にはどこでも祭りにナンのよ。おまけに明日は戦と来ちゃ、こりゃウカれねえワケにゃいかんだろ。……ま、オメエもその位に考えな、ってコトさ。族長として初めての戦だってよ、戦う前から堅くなっててどーすんだよ。どーせ猫はよ、放っといたって戦始める生きモンなんだからよ。こんな小競り合いの一つや二つ、ナンでもねーだろ。俺なんて、今まで生きてる半分位は、戦してた気がするぜ。どーも最近物足りなくてな。これでやっと血の騒ぐのが止められるぜ」
「放っておいても戦を始める生きモン、か……」
 剣は呟いた。
「そうかな……そうなんだろうな。やっぱり」
「何シケた顔してんだよ。ホラ、お前も飲みな」
 黒葉から渡された酒の壷を手に、だが剣は苦笑した。
「だけどよ黒葉。戦が祭りってのは、ちょっと言いすぎじゃないのか? ……死んじまう奴だって、イッパイいるんだぜ」
 フン、と黒葉は笑った。
「ナンでだ? 例えばよ、祭りで篝火を炊くだろう……そうすっと夏なんて、ちっこい虫どもが篝火に飛び込んで来てよ……はじけんのよ。それがまた、キレイなんだぜ。何か色ンな色に光ってなァ。ありゃ、ハジけんの承知で飛び込むのよ。死んじまうんだけどな。ああ、キレイな炎だってんで、それだけで飛び込んじまうんだよ。そんなモンだろ。猫の戦もよ」
「……俺達は、ちっこい虫かよ」
「いンや、俺達は猫だ」
 黒葉はきっぱりと言った。
「虫じゃねェよ……だから篝火には飛び込まねェだろ。替わりに戦とか‥‥まあ、色んなモンに飛び込むのよ」
「………」
 ごろりと、剣は横になった。

「よォ、剣。一つ聞きたいんだがな」
 酒の壷に顔を埋めたまま黒葉が言うのに、剣は横になったまま振り向いた。
「何だ?」
「明日、春水が簓を人質に取ってきたら……お前、どうするよ」
「………」
「簓を殺されたくなかったら、武器を捨てろって言われたら、お前どうする」
 剣は黒葉を見上げた。
「……解んねェな……」
「アホ、族長が解んねェで済むか」
「でも、ホントに解んねェんだ。悪いな、黒葉」
「悪ィってなあ、お前……」
「黒葉が言いたいことは解るよ。でもさ、ナンかそういうのって、例えどうしようこうしようって今決心してた所で……その場になってみないと、俺には解りそうにない」
「………」
「俺は、簓を取り戻したい。もう一度チャンと抱いてやりたいさ……だけど、俺はまだ死にたくもない。簓を助けて俺が死ぬってことが……それが本当に正しいコトなのかどうかも解らない」
「正しくねェさ」
 黒葉はぼそりと呟いた。
「可南にはな」
「………」
 剣は黙り込んだ。寝ころんだまま空を見上げると、春の星が平原の空を覆い尽くしている。一つ、二つ、星座を無意味に数え初めて、剣はやがて目を閉じた。

「……黒葉」
「あん?」
 眠ったと思っていた剣に再び声をかけられて、黒葉は振り向いた。
「羅猛はさ……どうしてンのかなあ……」
 黒葉は黙り込み、やがて苦笑して答えた。
「……さァなあ……あンな我侭なヤツのこたあ、俺はもーどーでもいいケドよ。ま、自分で選んだことだ。どっかで楽しくやってりゃ、それでいーんじゃねーの。やりたいように、相変わらずやってンだろうさ……」
「黒葉ァ」
「何だよ」
「……今まで、アリガトウな」
 黒葉の手が止まった。ギョッとしたように、彼は再び剣を振り向いた。
「黒葉にはさァ、……ホント世話になった。俺、いっつも感謝してたンだぜ……」
「……剣……」
 のろのろと、黒葉は言った。剣は笑った。
「もう、二度と言わないぜ。今日だけだ。何かさ、言っときたくてさ」

 くらくらと、黒葉は眩暈に襲われていた。酒を、飲みすぎただろうか。今まで酒に酔ったことなどなかったのに。
「お休み、黒葉。明日は、ヨロシクな。頼りにしてンぜ」
 くるりと彼に背を向けて目を閉じた剣を見つめて、黒葉は言葉を失っていた。これは----この気持ちは----。今はもう解っている。これは、不安。そう、不安だ。黒葉は呆然と立ち上がり、だが成す術もなく立ちすくんだ。
 俺はもう一度繰り返すのか? また、失うのか? それは、避けられないことなのか?


 丘を間近に見る林の中で、彼等は最後に立ち止まった。
 木々の隙間から垣間見える丘は、今は不気味に静まりかえっている。岩や、茂みの中に、ちらちらとうごめく影が見えた。ここを出れば----その抗争が終わるまで、彼等には息をつく間も与えられないに違いなかった。

 自分が今ここにいることを春水は知っているはずだ、と剣は思った。元々これは、剣と春水の戦だった。簓を使い、彼は剣をここに誘き寄せたのではなかったろうか? 元々逃げる気など毛頭なく、彼は剣を呼んだのではなかったのだろうか。そしてその誘いに自分がおめおめと乗って来ることを、春水は知っていたのだ。おそらくは頭上の頂から、春水は今自分を見下ろしている。目を凝らし、薄暗い林の中に、自分の姿を追い求めている。その視線、冷酷な緑の光線を、剣はありありと身近に感じることが出来た。剣は微笑んだ。
「バカとナンとかは、高い所が好きだってナァ……」
 手にした細剣の切っ先を、彼はじっと見つめた。
「そンなら、バカもん同士だぜ。どっちのバカが生き残るか……今度こそお前に教えてやるぜ」
 高く振り上げられたその刃が、可南の猫達に抗争の始まりを告げようとしていた。


 茂みの中で、彼等は族長の合図をひたすらに待っていた。弓の先を退屈そうにしごいていた藍高が、ふいにそれで日刺の頭を小突く。
「なァ。一つ賭けしネェか」
「ナンだよ」
 不審げに日刺が振り向くのに、藍高はニヤリと笑った。
「俺はサァ、俺とお前が生きて可南に帰ンのに一点賭けだ。俺が勝ったら……お前の妹、俺にくれ」
 目を細めて、日刺は笑った。
「.賭けにナンねえなあ……俺もソッチ賭けるからよ。ま、いいや。特別だ。乗ったぜ」
 剣の細剣が、鋭い残像を描いて、真っ直ぐに北の丘を指し示した。
「……よォし、日羅枝は貰ったっ……!」
 飛び出した彼等の上に、矢が雨霰と飛んで来る。死闘が、今始まった。
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